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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

事業の主体の主体性

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個人、団体、企業、公共。それぞれ何らかの主体性をもった「事業主体」があるわけですが、その主体性は一体どこに存在するんだろう?と、ふと禅問答みたいな思考のループに入ってしまいました。


主体が持つべき主体性と他社に任せられる領域

何を言ってるかというと、広義のアウトソーシングだったりパートナーシップの問題です。ある「主体」が本来「主体性」を持って実行するべき部分、あるいはその実行の為に非常に重要な部分をアウトソースしたりパートナーに依存すること自体は、既に珍しいことでは無い気がします。もちろん最終的な判断や決断は「主体者」が行う訳ですが、良い悪いは別にして、非常に重要な部分が「主体者」で無い人が行い、「主体」はその判断や結果を元に次の動きを行う。あるいは評価をする。

うーん、なんだか言いたいことがまとまらない。


例えばブランドのオーナーとブランドの利用者

海外ブランドの場合に説明しやすいのですが、ファッションであれサービスであれ、あるブランドのオーナーが必ず存在します。たとえばそのブランドを本国以外で展開しようとした場合、本国とは異なる姿勢・体制・イメージでブランドを利用される場合があります。IT系で言うと、たとえばYahoo!の米国版およびその直系イメージのサービスを展開する国と、日本、中国あるいはオーストラリアなどは基本的なイメージは共有しつつ別のある意味別のモノとして存在しています。ディズニーみたいに全世界を強固に管理しようとする例もあるわけですが、そうでも無いケースの方が多いと思います。

ブランドの「主体」、ブランドとしての「主体性」と実質的なブランドの見え方や位置づけがそれぞれ異なってくる。ビジネスの展開も当然変ってくる。ローカライゼーションと括るのは簡単なのですが、それでもブランドとしてみた場合の「主体」の「主体性」はどこまで尊重されるものなのか、されるべきなのか。

はてはて。


アウトソーシングやパートナーシップというのは有史以来存在しているのですが

ある目的があって何かをしようとしていて、その中の何かを頼みたい、それを自分でやりたくない、あるいは出来ないことがあって、それをビジネスとして請け負うという業態というのはそれこそ有史以来存在しているわけです。だからこそ全ての人が完全自給自足をしているわけではないんですが、組織論に関する書物を漁っているところでこんな本にぶち当たってしまいました。


国家の安全保障関連すら、従来からある傭兵とは違う方法でアウトソースされているという事実。たとえば湾岸戦争以降話題になった「Private Military Company (もしくはFirm) 」の存在。
ならず者ではなく企業として色々な分野を請け負う、通常のビジネスではよくある状況が、すでに国家の主体性を一番体現する「安全保障」の分野にもしっかりと根を下ろしているという事実。
そして、その活動や存在の基本的な考え方は、それこそスパルタやアテネの軍隊ですら実践されてきた考え方から時代に合わせて変化しながら営々と流れてきているという事実。

別に政治論とかではなく、経済理論もしくはマーケティング論の流れでこれにたどり着いてしまいました。とりあえずこの本を読みながら、「ブランド」は誰の持ち物なのか、「ブランド」の価値は誰がどう判断するのか、「ブランド」とは・・・ ブランドとは一応何らかの主体性を持ったもの、あるいは主体そのものであると思っているのですが、その活用とかが徹底的にアウトソースされている現実をもう一度振り返ってみると・・・


とりあえず色んな理由があって考え込んでいる私的ブランド論。

「(ブランドの)主体」の「主体性」はそれ自体の存在のどこにあるんだ?というのが、ゴールデンウィークの宿題だったのですが、いまだ解決できません。

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