第40回 エンジニアリングから遠ざかる技術者たち ~メルマガ連載記事の転載(2014/04/21 配信分)
この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。
連載 「データ・デザインの地平」 エンジニアリングから遠ざかる技術者たち
仕事の精度に影響する倫理観
今では迅速に編集・公開可能な電子マニュアルも、その昔は手作業で作られる印刷物でした。PCのスペックが向上し、CADが広く使われ、インターネット網が張り巡らされて、SGMLを母胎とするXMLが誕生するまで、設計データをドキュメントに利用することは困難でした。昭和の時代、我が国の製品を海外で販売するにあたっては、紙媒体のマニュアルを国内で準備して輸送していました(※1)。
当時はまだ交通網が整備されておらず、輸送技術も発達していませんでした。印刷の後に修正するなど論外ですから、ドキュメント類の原稿は、もちろん完璧でなければなりませんでした。
電子部品の型番や定数の1文字は、たかが1文字ではありません。回路図の交点の1個も、たかが1つの点ではありません(※2)。 印刷物の一文字は、デジタルデータの1ビットよりも、重さを感じさせるものでした(※3)。
ひとつのミスもないドキュメントの背景には、技術者たちの「高い倫理観」にもとづく使命感と責任感があったのです。
手作業時代には、国内で流通する技術書や記事についても、(文字校正については特に)その精度には高いものがありました。
筆者が精度を強く記憶しているものに、PC普及期の雑誌に掲載されていたインベーダーゲームのコードがあります。まだDTPのなかった当時、出版社がどのようなチェック体制を敷いていたのかは知りません。ただ、テクニカルプルーフの担当者たちが16進数の羅列に赤ペンを走らせて、完全を期していたのでしょう。その職務意識の高さには。今でも驚きを禁じえません。
1文字が「たかが1文字」ではない重さ
ドキュメントの品質は直接コストに影響します。とりわけ、受け渡しに特殊な輸送技術と専用の運搬車両を必要とするような製品の場合は、その影響には大きいものがあります。
たとえば、海外に建設される巨大なプラントをイメージしてください(※4)。
その製造のために手配する部品のドキュメント(部材集計表)に過不足があってはなりません。
かつて、そういった部材集計は手作業で行われていました。配管図面上のフランジやエルボなどの部材別に(種類やサイズなどによってさらに細かく分類される)色鉛筆でチェックを付けながらカウントし、集計していたのです。
なにしろ作る物が巨大ですから、部材ひとつとっても輸送コストは巨額です。また、強度計算された設計通りの部材を使わなければ、人命が失われる事故につながる可能性があります。不足する部材を省略したり、異なる種類の部材で代替してよいものでもありません(※5)。
さらにいうなら、怖さを強調するまでもなく、図面には、当たり前のように、(たとえば児童が理科の授業で習って恐さを知るような)硫酸や硝酸などの化学式が並んでいます。
想像してみてください。たとえば、あなたが赤信号の前で停車しているとき、目の前を通り過ぎるタンクローリーに、硫酸や硝酸が積載されている様子を。
ささいな1文字のミスが、(他者の)人命を損ねたり、その家族を悲しませる可能性があることを、昭和の時代の重厚長大系技術者たちは理解していました。その「怖さ」のうえに、責任感を重ねていました。
ですから、上司の指示などなくとも、自ら三重チェックを行い、重要な個所は示唆呼称しつつ最終確認を行ったものです。
ヒトはミスをする生き物です。100%の安全など誰も保証できません。だからこそ技術者たちには、高い倫理観がもとめられるのです。限りなく100%に近づけるために、おのれに対して厳しく、完全を期す姿勢を持たなければならないのです。
見て触れて取得する「モノのたしかさ」
高い倫理観を獲得するには、仕事の社会的影響をありありと思い浮かべられる推察力が必要です。
その推察力は、直にモノを見て、手で触れる、体験によって、強化されていきます。
現在、データ設計者が定義しているデータの多くは、ヒトや機器といったモノに従属する情報と、その性質を表現するメタ情報です(※6)。モノとデータとメタデータは、本来、密接に結びついています。
ところが、計算機とITの進化は、モノからデータを切り離してしまいました。モノは製造業者や輸送業者が扱い、IT技術者たちは四六時中画面に向かってデータを扱っており、モノに触れる機会を奪われています。
技術者たちは、データだけでなく、モノに向き合う機会を取り戻さなければなりません。モノに向き合ってこそ分かる「たしかさ」があります。
たとえば、画面上で売上金額を入力する作業と、顧客からその金額分の現金を受け取る作業を想像してみてください。両者では、脳の働きかたが異なるでしょう。紙幣やコインという物質を、目で見て手に触れることによる「たしかさ」は、我々の脳に痕跡を残します。かたや、データだけならば、定着することなく通り過ぎてしまうことも少なくないでしょう。
扱うものが機器のデータなら、機器の操作方法を学び、使ってみましょう。
それが医療用データなら、患者に向き合い、その苦闘に耳を傾けてみましょう。
それが製造データなら、町工場に行って、鋼材の山を眺めてみましょう。小さな部材の一つを持ちあげて、その重さに驚き、冷たくざらざらした手触りを記憶しましょう。真夏の工場の暑さに汗をぬぐい、棒心の技能と熱意に感嘆しましょう。
我々の生活は、画面上のデータさえあれば成立するというものではありません。五感から取得される情報を蓄積することこそが、怖さを知らない技術者たちへの処方箋になることでしょう(※7)。
また、次世代の技術者育成のためには、乳幼児の置かれている環境を見直す必要があるかもしれません。
いまや、少なくない乳幼児が、TVやゲームやビデオに囲まれて育っています。それらは、他の誰かが考えた音や映像を伝えるものであり、本のように、言葉から音や映像を自ら想像させるものではありません。
子供たちをビットの海に閉じ込めてしまうと、将来的に、五感を軽視した、データしか見ない技術者が増えやしないでしょうか。我々は「あえて効率や利便性を追求しないこと」がもたらすメリットについて、もっと考えたほうがよさそうです。
エンジニアリングを知る技術者たれ
いまや計算機の圧倒的な進化は、効率化に拍車をかけ、「手をとめて考える」時間は奪われています。
頭の中でシミュレーションを行う必要性がなくなると、考えてからコードを入力するのではなく、先にキーを叩いてから考えるという人が現れても不思議ではありません。
それがプログラミングであれば、バグの原因をじっくり考えるよりも、少し修正してはデバッグを繰り返す人が増えてしまいそうです。「プログラムは動いてなんぼ」ではありますが、それは、理論だけではユーザーへの訴求力や説得力に欠ける、目に見える形にした方が分かりやすい、という意味です。動きさえすればロジックの理解など不要、という意味ではありません。理解なく書かれたコードは、テストした条件以外で、不具合の生じる可能性を否定できません。
さらに、優れた開発ツールと豊富なリソースは、未経験者を簡単に技術者に仕立てあげます。技術倫理について考える機会を与えられないまま、技術に関わる仕事に就く者が増えていきます。
そのうえ、ことさらに独創性が叫ばれ、独創性と社会性を天秤にかけては前者が優先される時代です。独創性と社会性は両立できるにもかかわらず、独創性があれば社会性に欠けてもやむをえない、といわんばかりに。
倫理観を問うことなく成果のみを問う傾向が強まれば強まるほど、技術倫理は置き去りにされてしまうでしょう(※8)。
こういった傾向は、旧来の技術者の姿とは、ずいぶん異なるものです。
先達の働き方や生き方を見て、倫理観を身に付け、技術を学び、吸収し、社会の中での技術のあり方を考え、少しだけ創造性を発揮して技術革新の歩を進め、確実に後進へ引き継いでいく。そういった、社会基盤を支える裏方作業をコツコツと真面目に丁寧にこなし、淡々と生きることに満足感をおぼえる技術者の姿は、もはや過去の遺物なのかもしれません。
しかし、そうであったとしても、(趣味や個人公開のアプリ開発ではなく)社会基盤整備のための受託開発や、一大プロジェクトに参加することは、高い倫理観を持ち合わせた技術者の特権であってほしいものです。
現在では、センサーの進化などにより、ハードウェア開発とソフトウェア開発の境界は曖昧になりつつあります。さらに、UXが重視されるようになり、デザイナーと技術者の境界も徐々に壊れつつあります。
技術に関わる仕事に就くならば、企画・設計者であれ、データ入力者であれ、技術広告デザイナーであれ、ドキュメント制作者であれ、Web/UXデザイナーであれ、コーダーであれ、プログラマであれ、はたまたスーツであれ、それぞれの職業人である前に、高い倫理観を持つ技術者であるべき、ではないでしょうか。
※1 マニュアルは大まかに分けると3種類あります。取扱説明書、操作説明書、サービスマニュアルです。前2つは主にエンドユーザー向けの公開ドキュメントです。サービスマニュアルは機器のメンテナンスや修理を行うサービスマン向けの内部ドキュメントであり、機器の分解・組立方法を表現したテクニカルイラスト、部品の仕様詳細を記載したパーツリスト、不具合の箇所を特定したり修理方法を判断するための回路図や実体配線図などから構成されます。
※2 抵抗やコンデンサの部品定数は、カラーコードで示されます。マスプロ(マスプロダクト=最終製品)用の部品の仕様や配置は、回路図・実体配線図・パーツリストなどに記載された情報と、完全に整合性を保っていなければなりません(カラーコードの読みかたに興味のある人は「抵抗 定数」で、bingってください)。
※3 本連載のテーマはデータ・デザインであるため、ドキュメント制作を取り上げていますが、ドキュメントの元情報を提供する設計者ともなると、その責任は何万倍も重大であり、さらに高い倫理観がもとめられます。かつて、設計者は、頭の中でシミュレーションして、電卓を叩き、フリーハンドで図面を引き、製図技師が清書していました。彼らは、一文字の重圧と責任をよく理解していました。
※4 輸送するモノのサイズをイメージしにくい場合は、「重量品輸送」で画像検索してください。人間に比べて輸送するモノがいかに大きいか一目瞭然です。
※5 もっとも、昭和の時代にも、高い倫理観を維持することが困難なケースはあったようです。~壁が近くにあって、天井の梁と配管や機器がぶつかっているはずの図面には、都合のいいように壁や梁の形が変えてある。この手の図面を信用して、新しく改造図を作成するととんでもないことになる。~「ぼくが原発に反対する理由 海を見た原発技師」西岡孝彦著、1989年初版、徳間書店。
※6 たとえば、「H型鋼」というモノに、「高さ」「幅」「厚み」といったメタデータがあり、さまざまなサイズのデータがある、という関係です。
※7 工場の夜景は愛でるべき美しいものではなく、ヒトが一人の力で制御できる範囲をはるかに超えたものを作りだしたことへの恐怖心を湧き立たせるものでしょう。設計や製造や運転に関わったことのある中の人なら、単純な称賛ではなく、ヒトの想像力に対する畏怖の念と、留まることを知らない技術進化への不安を感じているはずです。
※8 社会性と倫理学の関係については、社会脳(social brain)、社会神経科学(social neuroscience)などで、bingってください。