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商標権がたいせつにされるべき理由

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相方が愛用していた Microsoft のロゴ入りマグカップが壊れ、新しいマグが必要だというので、Amazon のロゴ入りマグを、Amazonで(当たり前だが)購入した。

こういった企業のロゴが入っているグッズは、なんだかちょっといい感じである。
そう思ってしまうのは、その企業が、社会的に評価されている企業で、なんだかちょっといい印象があるからだ。
だから、そのロゴも、なんだかちょっといい。

ユーザーがそのシンボルを尊び喜ぶ、それは、ロゴの価値のひとつである。
色や形を超えるものである。

ロゴの真の価値は、色や形の造形そのものではない。デザイナーが作るものではない。

ロゴの価値は、そのロゴのもとに売り出される製品やサービスを世に送り出しているスタッフ(社員、契約社員、バイト問わず、下請けや外注先、販売先まで含む)全員が作りあげるものなのだ。
それら多数の人の言動が、価値を生み出す。

ロゴのデザインが企業理念を的確に視覚化したクールなものであるにこしたことはないが、それが仮に、単に市販のフォントを打っただけのものであったとしても、スタッフの働きしだいで、価値を帯びてくることがある。

だからこそ、ロゴの商標権はたいせつに扱わなければならない。

商標を持つ企業の売上や評価に物理的な影響を与えてしまう恐れがあるから、という理由ももちろんある。
もうひとつ、誰ひとりとして、同じ価値を生み出すことができないという理由があるのだ。

誰も、過去の、その企業の出発点に戻り、そのロゴの価値を生み出してきた多数のスタッフに成り代わって存在することはできない。その色や形に対して、同じ価値を付けることはできない。
失った売上は賠償できることもあるかもしれない。だが、価値そのものは、賠償できないものである。

これは、なぜ人を殺してはいけないのか、という問いにも通じる。
未来を奪った、というだけでなく、過去を奪うことにもなるのである。

誰も、ヒトを、寸分違わず再生成することはできない。
ヒトは時間と空間に規定されている。その時間、その空間にいた人、その人がまさに今いた瞬間までの道のりを、取り戻すことはできない。
誰も、その時間その空間にいたヒトの原子をその配列のままの状態で、再び存在させることはできない。
失われた時点から生成されたクローンではだめなのだ。その時間その空間を占有していたことこそが、大事なのだから。

話を拡げ過ぎた。

ロゴの価値は、デザイナーが作るものではない。
そのロゴを冠する製品を作るスタッフ全員が築くもの。
だから商標は大切に扱おう。

ただ、それだけの話。いまさら改めて書くようなことでもないけれど。下書きフォルダに眠っていたので公開。

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