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「脳を成長させるな」第三者が気付きにくい虐待がある

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昨今クローズアップされている、虐待の問題について。
身体的虐待や積極的ネグレクトではなく、教育上の精神的虐待について、思うところを書いてみます。

それが虐待かどうかの線引きは難しいところがありますが、私は教育上の精神的虐待には2種類あると思います。

ひとつは、本人の生来のスペックをはるかに超えた「あれをやれ、これをやれ」です。
それがのびしろの範囲内であれば、いくら厳しくても、スポーツの訓練と同じで、虐待ではないのではないか、と思います。ただし、脳も身体の一部であって、筋肉のように、どの程度までの負荷なら大丈夫なのかは個体差があるでしょうから、しょっちゅうMRIを撮ることもできないこともあって、線引きの難しい問題だとは思います。

もうひとつは、本人の生来のスペックを閉じ込める「あれもするな、これもするな」です。
それは、育っていこうとする脳に対して、「脳を成長させるな、成長をとめろ」というメッセージを送り続けることです。

我々の多くは、子犬の頃に付けた首輪が、成犬になってもそのままの、苦しそうな写真をニュース記事に見ると、なんとかわいそうに、動物虐待ではないかと、怒って涙します。
私には、「脳を成長させるな」というメッセージは、赤ん坊の小さな脳に付けられた、小さな首輪のように見えます。

「あれをするな、これをするな」という親の顔色をうかがうと、子供は何もできなくなります。
両親の意見が分かれていて、片方の親が「Aをするな、Bをしろ」もう片方の親が「Aをしろ、Bをするな」の場合は、子供は、AもBもできなくなります。

さらにややこしいトリプルバインドというのもあります。
子どもが生来「A」という分野に能力があり、あきらかな結果を出し(大会に出るとか、受賞するとか)複数の教師が応援しているにもかかわらず、片方の親が「Aをするな、Bをしろ」、もう片方の親が子供が「AやBで尖る必要はないから普通になれ。堅実なCの職業につけばいい」。
こうなると、子供は、本来伸ばすべき「A」の分野に時間を使えません。
できていたはずの「B」も大嫌いになります。
「C」という職業に就くことはありません。
全く別分野の「D」の方へ進んだりします。モッタイナイんじゃないかなー。

親が「あれをするな、これをするな」と言っても、反抗して自発的に学び、出過ぎた杭になれば打たれない、と、考える人がいるかもしれません。
しかし、それを、乳幼児や児童に適用するのは、無茶すぎです。

幼少期から「脳を成長させるな」というメッセージを受け続けると、洗脳されたような状態になるでしょう。

仕事の結果を出せるのは、変わらぬ努力を続けられる人です。
社会で成功するには、生まれ持ったスペックよりも、一ツ事をし続ける時間をどれだけ継続的に確保でき、それに没頭して、努力を続けられるかの方が、はるかに重要です。

しかし、「自分の能力を伸ばしていいんだ」と思えなければ、能力を伸ばすことに罪悪感が伴い、良い成果というものを出しにくくなります。年齢を重ねるだけで、その能力が育たず、社会に還元されないならば、それは本人にとってだけでなく、社会にとっても、損失です。
納められる税金の額が違ってきます。
脳は身体への司令塔なので、健康にも影響をおよぼします。医療費がかさみ、健康保険制度を圧迫します。
そして、もし、能力を何ら伸ばすことなく成長した彼らを、上の世代が逆に扶養しなければならなくなったら、社会の負担はさらに増えます。

仮に子供の数が増えても、脳の成長を許されない子供の割合が高かったら、逆に社会負担が増えるという問題が引き起こされやしないか、と、私は懸念します。

だからといって、いま現在、成長を阻害されてきたために社会への還元が難しい状態にある人々を責めるのは酷です。たとえるなら、ひき逃げされて足を骨折した人が働けないからといって、骨折した被害者を責めるのと同じだからです。

人生いくつからでも、やり直しはできます。それは、できます。
ただ、努力と苦労は違います。
努力は、脳を成長させます。
苦労は、脳を傷つけます。

傷つき続ける脳を修復しながら進まなければならないので、やり直しが難しくなってしまうのではと思います。

苦労の末、成功した人だけを見れば、苦労が精神的な成長を促したように、第三者には見えます。そして、苦労を肯定してしまいがちになります。(子供の能力の方向性が芸術や科学にある場合、苦労が側頭葉脳波異常による神的体験を引き起こし、それが成果につながるケースもあるかもしれません)
成功者だけ見れば、結果オーライです。

では、成功者以外を集めてみたら、どうでしょうか?
成功者は一握りで、虐待を恨んだまま終わったり、神的体験のために明後日の方向に逝ってしまったり、社会と折り合いをつけられない人も、少なくないでしょう。
これは、高齢出産の報道で、メディアが無事生まれた親子を大々的に取り上げると、だから高齢でも大丈夫、という印象を与えてしまうのに似ています。コホートの結果報道の罠にも似ています。

そういった、子供の脳の成長を喜ばない親って、社会を読み間違えているように思います。そして、時間と空間の認識機構の働き方がデフォルトと違うんじゃないかなー。自己が拡張しすぎているというか、子供を自分の一部だと認識しているからマニピュレートしてしまうのかも。子供からすれば、世の中が激しく動いているのに、親の言うとおりにしてたら、オレ将来絶望、みたいな。

素人の私見ですが、学校でも、パソコン教室などでも、またネット利用の講習などでも、子供の側に何かしら不安要素を認めた時は、親が、子供の脳に小さな首輪をはめてしまっていないか、確認してみた方がいいと思います。
もし、万が一問題が親の方にあるのなら、子供を責めることはセカンド・アビューズでしかなくなります。

親の側の認識機構のバグが、子の能力の自発的な伸びを阻害していることが明らかな場合は、それを改善すれば、子供も努力できるようになるかもしれません。今は「バグの影響を最小限にとどめる方法が全くない」時代ではありません。
医学は日進月歩で、その昔は原因さえ分からなかった病気も怪我も、治るようになってきています。科学技術がそれをサポートします。むしろ行き過ぎたエンハンスメント(脳ドーピング)の心配をしなければならないほどですから。

まぁ、何もバグがなくても、子供が自分の子供時代より幸せになることを悲しむ親や、海外で活躍するようになったら介護要員がいなくなると考える親などなど、子供の成長を喜ばない親も、多々いますが。
自分や自分の友人知人の親たちがそうではないから、子供の成長を願わない親などいるはずがない、と考えられる人は幸いです。(私の友人たちは皆さん良い親です)。
でも、我が国には、困ったチャン親って結構多いんじゃないかなー。

だらだら書いててまとまってませんが、まぁ、脳の成長を止めようとする虐待っていうのもあるよね、それって社会への影響大きいと思うということを言いたかったわけで。

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