ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

死は人生の卒業式。自分の手で、自分に、卒業証書を渡せるような人生をおくりたい。

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人生とは学びの場で、死は、たった一人の生徒しかいない学校の、卒業式のようなものだ。
私は、自分が卒業式を迎える時は、自分で、自分に対して「卒業証書」を渡せるような人生をおくりたいと思っている。(......と、思いはするものの、なかなか実行できていないのだけれど......)。

苦労の連続で終わってはならない。苦労しないように、先んじて努力をし、苦労を寄せ付けないようにしないとだめだ。そして、自分がこれなら及第だ、と思うことのできる結果を遺さなければならない。

結果とは、この世界に、創り出す「何か」だ。
子孫でもいい、仕事の成果でもいい。記録でもいい。人とのつながりでもいい。見知らぬ人の心の中に感動を作ったのでも、もちろんいい。何かひとつを創ることができればいいだろう。
自分に対して「卒業証書」を渡せる程度に、何かを創ることができたら、(そして、最期が、事件などに巻き込まれたものではなく、自然に朽ちたものとなるならば)、きっと、よく生きた、これでよかった、と、納得して人生を終えることができるだろう。

評価をくだすのは、自分自身だ。誕生は、(母親と)二人かそれ以上(医師や看護師)の共同作業だが、死は死者になりゆく人の単独作業なのだから。

私の父は、そろそろ自分も出陣...、となる直前に終戦を迎えて難を逃れた。
旧制中学時代は医師になりたいと思っていたそうだが、当時の多くの若者がそうであったように結核になり、長期療養を余儀なくされた。
医療設備も医薬品も乏しい終戦直後、麻酔なしの手術に賭けた友人たちは皆死んだ。
父も手術を受けることになり、明日手術というとき、「もうこの美しい青い山を見られなくなるのか」と思ったそうだ。
死者自身にとっての死ということは、そういうことだ。この世界の、色や香りや音や触感が、何もない状態になるということ。

ところが、父は手術の最初の成功例となった。
ふたたび青い山を見ることができた。
20代も終わるころ退院し、それから独学で数学に取り組み、強度計算と発明を生業とするようになった。

30代半ばで母と見合いし、私が生まれた。
しかしながら、術後後遺症は、さまざまな個所に影響をおよぼした。脳血管障害で車椅子生活を送った後、私が20代の時に世を去った。

母は独身のころから心不全持ちで、入退院を繰り返してはいるが、健在だ。

父を送り、高齢の母を見ていると、年をとる過程で、どのような身体的変化があり、何を感じ、何を考えるようになるのかが、わかる。

私自身も、生まれたその日に死に直面して生還し、また偶発的な事故で死に直面し、臨死体験をしているので、死は身近にあるものとしてとらえている。

死は、怖いものではない。ただ、それは「残念なもの」だ。恐怖ではなく、強烈な「悔しさ」を引き起こす。だから、死を受容するには、その悔しさを減らす生き方を心がけなればならない。

一昨年、そういった経験を踏まえて、高齢者の晩年から死にいたるまでの、心理と認知を描写した歌を書いてみた。

タイトルは「人生の卒業」。

詩は一昨年書いたものだが、ベースになっている曲は、10代のころに作ったものだ。元歌は、高校時代の仲間たちとの思い出を綴った、いわゆる卒業ソングだった。その元歌に合わせる形で詩を書き、曲とアレンジはそのままで、入力した。

医療関係者や介護職の人、また、それらの職業を目指す人、家庭内に高齢者がいて日常的に関わっている人たちに、聴いてもらえたら、うれしい。
また、できれば若い人たちにも、聴いてほしいと思っている。
年をとると、どのような状態になり、どのように感じるようになるのかを綴っているからだ。
高齢者は邪魔者扱いされることもあるけれど(実際、次世代の幸福など微塵も考えていない高齢者も少なからずいるけれど)、若い人たちの向かう先にも、老いと死はあるのだ。

とはいっても、身近に高齢者のいない人たちには、何のことやら、わからない部分もあるはずだ。
そこで、詩に、注釈を付けてみた。

人生の卒業 (Graduation from Life)

作曲:1979年、作詞:1981年、歌詞リライト:2010年

あふれる色に喜びの木々
揺れる木漏れ日 光り
春。色とりどりの花が咲き始めた。動くことのできない木々は、花の色を楽しみ、喜んでいる。
木漏れ日は、地面に光りを投げかけ、葉が風で揺れるたびに、地面の光りも揺れている。

駈ける雲の穂 風の手触り
はや夏になった。風に押し流されて、青い空を雲が駆けていく。その形は、ねこじゃらしの穂のようだ。私は手にあたる風を感じている。

葉ずれ さざめき 舞う紅葉
おや、夏だとおもっていたら、もう秋なのか。葉ずれの音が聴こえる。紅葉が舞って落ちていく。私の人生は、もう晩秋を過ぎた

雨だれの声 彼方で咽ぶ空
冬の雨が戸を叩き、人生の終わりが近づきつつあると告げている。空の遠く深いところで、風が鳴り、むせび泣いている。

かつて見た光景
そういった四季の光景を、遠い昔、私は見てきたような気がする。

かすかにたわむ水平線に
浮かぶ島影 朧ろ

瀬戸内海の水平線は、わずかに丸く見える。
浮かんでいる小さな島の影が、おぼろげに見える。

響く潮騒 群青の綾
迫る夕闇 翳る色

潮騒が響いている。黒潮の群青の波が綾をなすように、寄せては返す。だが、すぐに夕刻が近づき、夜の帳が降りてきて、海の色は失われていく。

消えゆく星の伝言咲きほこり
孤高の月 白く滲んで
日が落ちた後には、満天の星が輝いている。まるで、花が咲きほこっているかのようだ。だが、この輝きは、星たちがかつて生きた証を知らせる伝言なのだ。
凛とした三日月の縁が、白くにじんでいる。雲の端がかかっているからだろうか。それとも、私の目に涙があふれているせいだろうか。

灯る吊り橋
刻む夜汽車の音
そういえばこの時間に、瀬戸大橋を通ったことがあった。夜汽車の音が耳に残っている。

記憶の底
漂う

若いころの記憶は底の方に蓄積されていて取り出しにくいようで、それらの光景は、記憶の底を漂っているかのようだ。

この世界の彩りは夢
淡い日差しに浮かび消える
私が生きてきたこの世界の景色は、たくさんの色にあふれていて、まるで夢のように美しかった。
だが、夢ははかなく、思い出の光景は、日差しの中に浮かんでは消えていく。

年を重ね姿変われど
そこにいた
たしかに

年をとって、白髪になり、視力も弱り、腰もすこし曲がってしまったけれど、記憶の光景の場所に、私は、たしかに、存在していた。

(ここから2番)

桜を80回見られるだけの
ほんのわずかないのち
毎年一度の花見を80回程度しか経験できないほど、人生とは短いものだ。

1から80指折り数え
80秒待たずに数え終えて

若い人たちよ、指を降りながら1から80まで数えてごらん。80秒もかからないでしょう。そのくらい、あっという間に、人生の時間なんて過ぎていくものなのだ。

過去は増えれど、未来は減るばかり
急ぐ四季に戸惑う

毎日、過去が増えて未来が減ることを思い知らされ、愕然とする。
四季が恐ろしい速度で通り過ぎていくのには、戸惑うばかりだ。

忘れ得ぬ人 たよりは絶えて
夜明けと日暮れに惑い
故郷を離れて暮らしていると、友人たちからの手紙が途絶えて、訃報を知る。
悲しみ疲れてうたたねをして薄暗い時に目覚めると、夜明けなのか日暮れなのか分からない。時計を見ても、時報を聞いても、見当識が出始めているのか、すぐには理解できなくなってしまった。

来年の春を明日に感じて
色も 香りも 音も 凪ぎ
時間があまりに速く過ぎるから、来年の春が明日のことのように感じられてしまう。
視力は弱くなり、香りも分からなくなり、耳は遠くなり、何もかもが、凪いだ海のようにぼんやりとしか感じられなくなってしまった。

子供のころの喜び湧きあがり
虹のように輝いて消え

それにもかかわらず、子供のころのことが、突然思い出されたりする。ああ、先に逝った友だちと小学校の頃、よく遊んだなあ、楽しかったなあ。
そんな楽しい思い出も、突然、湧きあがっては、虹のように、はかなく消えていく。

明日より今日に 今日より今に 在り
うつつのなか佇む

目が覚めたら、ああ、生きていたのかと思うのだから、明日のことなど考えられるはずもない。いや、今日のことさえ考えられない。今この瞬間だけだ。
そして、その瞬間を生きている実感もかすかで、夢うつつのまま、ぼんやりと、一人部屋にたたずんでいる

うつせみのひとときは夢
揺れる日差しに溶けて流る

人生は、蝉の一生のよう。一炊の夢とはよく言ったものだ。
私の記憶は、ちらちら光る日差しの中に溶けて、どこかへ流れて行ってしまうのだろう。そして、それを記憶している人々もまた同じように流れていく。

薄桜に透ける光
あと幾度見るのか
せめて桜の薄い花びらを透かして届く、あの淡い光りを、見たいものだ。あと何度、見られるだろうか。あと何年生きられるだろうか。

(間奏)

よく生きた
なつかしい道

ほんとうに、よく頑張って生きたものだ。苦難続きの人生だったのだから。だが、歩いてきた人生の道を振り返ると、それもまた懐かしい。

これでいい 何もかも
これで十分だ、私の人生は、これでよかったのだ。

夢の終わりをやさしく告げる時の音
かすかになり

一炊の夢に終わりが近づいたことを、私に知らせるかのように、脈の音が、弱くなっていく。

あるがままに芽吹き萎れ
かすむ日差しに溶けて朽ちる
私は、あるがままに、自分らしく生きた。そして、あるがままにこの世界を去る。花が萎れるように、自然のままに。
かすむ日差しの中に溶けるかのように、私は朽ちていく。

閉じる記憶
泊まる静けさ
私を成立させていた記憶のフォルダが閉じていき、誰からもアクセスできず、もはや私にも取り出せなくなった。
心拍の音が止まり、静けさが立ち止まる。

人生の卒業
私は、いま、人生という学びの場の、卒業式を迎えている。

ゆるやかに
だが、生と死の境界は明確ではない。ここまでが生、ここからが死というように、決めることはできはしない。私は、ゆるやかに死の状態へと向かいつつある。

皆さんは、いずれくる自分の終焉のときに、自分で自分に卒業証書を渡せるように、生きていますか?私は、そのように生きることができていません。改めなければ!

iTunesストア(3曲入りアルバム「Change The Brain」収録)

※昨年Amazonで発売したシングルには、この歌は含まれていません。

歌は、巡音ルカです。
巡音ルカは、死ぬことがない、人の生死を、外から見送り続ける存在です。第三者的な視点をもって歌うには最適の歌手のような気がします。

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