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~攻撃は最大の防御なり~正解のない対策を斜めから斬る

Facebookが「巨大監視ビッグブラザー」の機能をして、我々は「全展望型監視パノプティコン」の深い中に入っていく

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ここには「プライバシー」が存在しません。プライバシーの定義は色々ありますが、自分がイヤと思うことはプライバシーである。と私は考えています。じゃあ「そんなもの」を拒否すればいいだろう!となるのですが、そもそもの存在を知らないままにダダ洩れしている場合どうなるのでしょうね? 圧倒的に大勢の利用者がそうだと思うのですが・・・

逆な考え方をすれば、その存在を知り尽くし情報コントロールをする「公開型プライバシー」って使い方もあるかも知れません。相当悪意な使い方が出来そうです(笑)

Facebook 友だちがあなたを見守っている ― 世界は1984に近付いたのか?

2010年、これが「FACEBOOKがあなたを見守っている」に置き換わるかもしれない。いや、「FACEBOOK友だちがあなたを見守っている」の方がいいかもしれない。Facebookでは、ユーザーの選択によって、現在位置を自分または友だちが投稿して、その情報を共有できるようになった。
Facebookは、この新しい位置情報機能を、今週行われた発表イベントで披露し、Placesスタート直後にユーザーたちがどこにいるかを、プロジェクターで写した巨大な米国地図に表示した。MG Sieglerはこれを、「Facebookの凄いダークナイト風ライブチェックインディスプレイ」と名付けた 。しかし、それはこれまで私が見た中で最も恐ろしいものの一つだった。

ビッグ・ブラザーとは、小説「1984年」に出てくる独裁者です。これはプライバシーの研究をすると必ず出てきます。1Q84じゃありませんが、私は似たようなもの(世界)と認識しています。

このブログも、毎日使っているメールも、すべてインターネットを利用しています。インターネットはご存じの通り、公開クモの巣ネットワークです。東京の地下鉄のようなイメージです。迂回ルートが複数ある便利なものでもあります。

が、もともと軍事利用されていた非公開型ネットワークが民間開放されたものなので、誰でも繋げること(そんな意識もなく)ができる公開ネットワークです。セキュリティな話をすれば、部分的には大丈夫ですが、何度も言うようにそもそもが公開ネットワークなので、セキュリティもその上に乗っているだけです。

検索エンジンがなければ、インターネットはどれほど使いにくいものになったことでしょう。本当に便利、ありがとうです。

しかし、便利なものには裏側が存在します。便利になればなるほどに益していきます。自分も知らない自分の情報が収集されています。そんなことはないだろう!と思いたいものですが、現実です。

日本では個人情報を売買することは、表向きありませんが、海外では個人の情報を収集し売買されています。自分も知らない情報までもが売買されているようです。インターネットだけでも、それなりに収集出来ますが、情報のコワイところは集数した情報を組み合わせることにより、別な側面が見えてくる部分です。断片を繋げていけば、自分しか知らないことや、自分も知らない嘘な自分情報が出来上がっているのです。『ビッグブラザー賞』なるものまで存在します。

Michael Arringtonは、プライバシーはすでに全く完全に消滅している、と主張している。彼はこう書いた、

することすべて、買う物すべて、行くところすべてが追跡され、どこかのデータベースに格納されている。私たちの位置は携帯電話、あるいは車のGPSを通じて。クレジットカードの取引きも。何もかも。

もっともな指摘だ。すでに相当1984年っぽい。しかし、彼の挙げた出来事の中で、プライバシーの喪失はその殆どが副作用である。何かを買うことは自分の選択だが、クレジットカードのデータを渡すことは、耐えなければならない副作用だ。Placesを使う上で重要なのは、 自分の位置情報を自発的に手渡すことによって、一部のプライバシー(他人の存在あるいは他人から見られることから隔離された状態)が失われることである。

パノプティコン(全展望型監視システム)の中に我々は居ることを意外と知りません。パノプティコンについては、Google のプライバシー問題:洗練された全展望監視パノプティコンの世界Google がパケットをのぞき見ている?次はエシュロンか?を参照ください。

例えば、田舎に住む1人暮らしの老人向けに、電気ポットを利用した使用確認が出来るものがあります。これはポットを利用することで元気であると確認するためのものです。最近ではケータイにも歩いた距離をメールしてくれるものもあるようです。これらは遠方にいても、元気を確認できる便利な機能と思っています。

一方で、すべての行動を記録され続けるというのは、どうなのでしょう? ライフログなるものもあります。以前に聞いた話では80年生きた場合、人生のすべてをロギングした時でもテラだかペタだか忘れましたが、聞いたことのある単位のデジタルデータで記録出来るようです。人生の記録のすべてをデジタルデータにすることに違和感を感じております。

もちろん、写真はデジカメで撮りますし、ビデオも最近ではメモリーで管理するようになりました。それはあくまでも一部分の記録でしかありませんし、--だけです。

位置情報が確認できるのも便利ですが、それも一部でしかありません。自分の意志で自分の居場所をケータイを使って調べられるのは便利です。地方に行った時など、とても便利です。そこまでを全自動で人に知らせる?ばれる?ことってどうなのかなぁ…と思うのです。

それがいいならば、それを使えばいいのですが、問題は「その存在」を知らない利用者までもが、それを使っている意識のないままにダダ洩れすることだと思います。ストリートビューなども「その一部」に入るかもしれません。

冒頭に書いた「その存在を知り尽くし情報コントロールをする」のであれば、それはそれでOKでしょう。脅威を感じるほうが強いのですが…それもそれ。

時に応じた使い分ける能力とか、便利なものと必要なものの区別を利用者である私たちが選択を迫られている。と感じています。

居場所のダダ漏れ防止に、Facebookの「スポット」を無効にする方法が動画で詳しくありますので、一度確認してみてはいかがでしょうか?

自分で自分を守るしか方法はありません。「十分に理解した上で賢く使うこと」が、これからの時代必要になってくると改めて実感しました。

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