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~攻撃は最大の防御なり~正解のない対策を斜めから斬る

子供にケータイは必要か?安全と危険のトレードオフは使用方法で決まる

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学校に携帯電話は必要か?

学校の中で携帯電話が必要なケースは多くない。授業中に使うのはもってのほかだし、休み時間に使う理由もない。もし、親などが緊急で連絡を取りたい場合、学校に直接連絡して取り次いでもらえばいい。教育の場である学校では原則的に携帯電話の出る幕はないはずである。

 一方で「子どもの安全のために携帯電話は必要だ」という人も出てくるだろう。携帯電話があれば、トラブルの際に連絡が取れるし、機種によっては GPS機能でおおよその所在も把握できる。しかし、これで「安全」となるわけではない。不幸にも事件に巻き込まれた児童の中には、防犯ブザーや携帯電話を所持している子もいた。逆に、「携帯電話を持たせているから安心」という親の過信につながる方が問題である。

 といっても、かつては街中に設置されていた公衆電話も、撤去されて数が少なくなってきた。携帯電話の普及が、公衆電話を減少させてしまったのだ。つまり、外出時における緊急時の連絡手段が少なくなってしまっている中で、携帯電話を取り上げるのはどうかという意見も一理ある。

私も学校にケータイは必要ないと考えます。ここでケータイを携帯することが安全になるのか?を考えてみます。

確かに、街中の公衆電話は少なくなってきました。私はケータイを20年近く使っています。自動車電話の延長にあった、肩掛けのショルダーホンから使ってます。当時は、珍しいショルダーホンだったのですが、今時じゃ普通にある電車の中で鳴った事を思い出します。

いやぁ恥ずかしかったですね。だって誰もそれが電話とは思ってない。。。しかしどう見ても電話の形と呼び出し音。鳴っているのも、私が肩からかけている黒い物体。

その後普及し出した頃は、公衆電話の横でケータイを使う人が多くいました。公衆電話のBOXの中でケータイしている人もいました。

で・・・ケータイを携帯することが安全に繋がるのか?

例えば、持っていない場合

ないのだから、連絡を取るにも手段がありません。一方で、紛失の心配はゼロです。持ってないものは無くすことはないのですから・・・

持っている場合

連絡はとれます。位置情報も確認できます。電源が入っていて電波が届く限りは・・・

紛失の可能性は十分にあります。持っているものは紛失するものですから。遠隔でデータを消せるサービスもありますが、これも電波が届く限りにおいて有効です。

所持そのものが安全ではなさそうです。安心程度にはなると思います。安心ならば持った方が良いのかもしれません。が、使い方によっては、良くも悪くも作用します。

誘拐の場合など、位置情報で場所が特定出来るでしょうが、そんなに簡単に位置情報がわかるようなことを、犯人がさせるでしょうか?そんな場面に遭遇したら、即ケータイをぶっ壊すほうが、余程安全です。ぶっ壊した場所がケータイから最後に電波の出ていた場所になるからです。例えばでしかありませんが。。

 

いじめをまん延させている携帯電話

 さて、子どもによる携帯電話の使い方をみると、年齢が上がるほど、通話から電子メール、インターネットへと変わっきているようだ。その変化とともに、見過ごせない状況が生まれてしまった。「ケータイ」からのネットを使った中傷、いじめである。

 この事象自体は昔からあるものだが、それがケータイを媒体とすることによって、悪化しているようなのだ。自己紹介サイトである「プロフ」を偽装されたケース、学校裏サイトでの悪口雑言、そしてケータイメールを利用した言葉によるいじめ--。

 特に、ケータイメールを使う場合は深刻だ。つまり、ケータイがそのまま凶器となるわけである。24時間、ケータイを持っている限り、いつ送られてくるか分からないメール。それが楽しいものであれば生活を豊かにしてくれるが、いじめの手段として使われた場合は最悪だ

ちょうど昨年の今頃、修士論文を書くために高校生からプロフにおけるリテラシーに関するインタビューを行いました。テーマは「ネット社会における”機密保持幻想”の解明」です。なにやら難しそうですが、プライバシーはない。というものです。

必要以上の自分情報を開示している部分は、皆が書いているから抵抗がない。らしいです。プロフは名前の通りプロフィールの略ですが、プロフィールなんだから書かなきゃ意味がないようです。インタビューの母数が少ないこともありますが、何か問題があれば「使わなくなるだけ」との冷静な意見もありました。

この手の中にある身近な端末のケータイで見るメッセージは、良くも悪くも心にダイレクトに響きます。ネガティブなメッセージを受けた人と、それをギャラリーとして見たり参加したりする人、無責任なメッセージを出すことでより悪化させる人たち・・・使い方次第で、いくらでも変化していくのだと考えています。

一方で、ちょっとした一言で励まされることも多くあるようです。

常に携帯するものだからこそ、わずかな言葉に大きく左右されるだと。。。これは大人でも同じだと思います。

 

しかし、すでに子供たちの社会の中に、ケータイは深く入り込んでしまっているのだ。いくら学校で禁止しても、子どもたちが学校の外に出た瞬間にケータイに依存するな状況では意味がない。いじめに悪用する子どもがいるならやめさせる必要がある。

 ただ「使うな」「禁止」というのではなく、「なぜ、学校で使ってはいけないのか」「何をしたらいけないのか」などといった「ケータイ教育」を、学校および家庭でする必要に迫られているのだ。親は安易に携帯電話を与えるのではなく、使い方のルールを明確にし、違反したら取り上げるくらいの家庭教育をしなければならないのだ。

 河村官房長官は、12月4日夕の記者会見で橋下知事の方針に触れ、「子どもたちの安心安全の問題は、解決方法が考えられるのではないか」と述べている。保護者が、子供の安全の意味で携帯電話を持たせている場合は、携帯電話ではなく別の方法を考える時期にきているのかもしれない。ケータイ依存の状態は子どもにとって、良い状態ではない。

コミュニケーションの1つのツールでしかない。のですが、その先に相手がいることをもっと意識しなければならないと思います。

使っちゃダメ!と言われれば、使いたくなるものです。そんなもんです。使う上で起こる色々な事を知らなければならないのです。

高橋名人のようなボタン連打で、もの凄いスピードでメールが打てたとしても、話し言葉で文字を打ってしまうのです。決して打つのが面倒な訳じゃないはずです。話言葉だと、対面の場合ならば誤解も訂正できますが、文字に残るメールだとそうもいきません。こんな部分にも問題があることを、知っておかなければならないのです。

メールを書き言葉で表せば、問題も少なくなるのかもしれませんが、ポイントはココじゃないと思います。

文字に宿る言霊のようなことを、教えて行くことも必要なのでしょう。自分の気分が文字になっても、同じ気分で相手に届くとは限りません。絵文字を使っても限界はあります。ネット上にある情報を見極めるためのリテラシーを各自が持たなければ、ダメ!だけでは解決できないと考えています。

結局、使用方法に落ち着きます。リテラシー教育をしっかり進めていくことだと。これは子供だけの話ではなく、大人にも十分必要なことでもあります。

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