アメリカのマンガ・アニメーションの父として知られ、今年没後80年を迎えたウィンザー・マッケイ。現代の視覚文化の成り立ちを考える上で、きわめて重要な位置を占めるその多彩な仕事をめぐり、「見る」ことと「からだ」をテーマに発表と討論を行ないます。

日時:2013年11月22日(土)13:00〜17:00
会場:学習院大学 西2号館501教室(東京・目白)
http://www.gakushuin.ac.jp/mejiro.html
主催:学習院大学人文科学研究科身体表象文化学専攻
共催:学習院大学文学会
申込:不要。当日時間までに会場にお越し下さい。
受講料:無料

【内容】
■第1部:発表
夏目房之介(テーマ:マンガ「リトル・ニモ」をめぐって)
細馬宏通(タイトル:アニメーション「リトル・ニモ」「恐竜ガーティ」の奥行きと身体性)
■第2部:討論・質疑応答
夏目房之介、細馬宏通、佐々木果(司会)

【登壇者】
プロフィール:
■細馬宏通(ほそまひろみち)
滋賀県立大学人間文化学部教授。1960年生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。研究テーマは、ことばと身体動作の時間構造、視聴覚メディア史。著書『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか:アニメーションの表現史』(新潮社)、『うたのしくみ』(ぴあ)、『今日の「あまちゃん」から』(河出書房新社)、『浅草十二階』(青土社)など。

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おととい、COREDO落語会第一回というのに、知り合いの野村麻理さんに誘われて、八卦掌仲間といってきた。プログラムは、

柳家花ん謝   ※金坊の出てくる噺だが、演題忘れた
柳家権太楼  「代書屋」
柳家花緑   「二階ぞめき」
春風亭一之輔 「百川」
柳家権太楼  「富久」

 ごらんの通り、権太楼師匠が二番目とトリをとった。権太楼さんは、以前にも野村さんに誘われて聴いているが、うまい人だった。が、二人目に出てきた彼は、そのときの印象とは違って、まるで枝雀師匠みたいな演じ方で、面白かったが、意外であった。一之輔もうまかったし、花緑も以前聴いたときよりはうまくやっていた。

 が、トリの権太楼師匠の「富久」。これが凄かった。僕も若い頃から数えればそれなりに多くの落語を聴いてきたけど、これほど凄い「富久」は聴いたことがないと思う。おもに音源で聴いた志ん生の「富久」も面白いけど、志ん生のは最後まで笑わせる噺だった。権太楼の「富久」は、途中から主人公の、酒でしくじってばかりいる駄目なタイコの人間そのものを観ているような臨場感がやってきて、その人間の業と人生を感じさせてしまい、最後には恩人の親方を泥棒扱いするにもかかわらず、感情移入させてしまう。正直、周りの仲間もそうだったのだけど、涙ぐんでしまいました。
 この噺は難しい噺なんだと思う。ヘタをすると、語られている主人公を嫌いになってしまいかねない人物造形と構成なのだ。でも、それで泣かせるというのは、ほんとに凄い。酒が飲みたくて、うっかり飲み過ぎて酔っぱらっていってしまうあたりの演じ方も、まるで本人を見るみたいだった。

 生の落語も色々観てきたけど、ここまで感動してしまう噺に出会ったのは、思い出しても円生や談志など数回に過ぎない。ひょっとしたら、かなり奇跡的な幸運で出会った機会だったのかとさえ思ってしまい、だったらせっかくなので記事として残しておこうと思った次第である。いやあ、凄かった。

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2014.10.11(土) 姫路文学館 「夏目漱石展」記念講演 13:30~15:00

 「漱石のこころ、孫のココロ」 夏目房之介

1)漱石と孫の私 略年譜

 祖父漱石 1867(慶応3)年~1916(大正5)年 49歳  父は早稲田の旧名主夏目小兵衛直克(50歳)

  1900~02年ロンドン留学 「神経衰弱」に悩み、帰国後も被害妄想に陥る

父純一 1907(明治40)年(漱石が朝日新聞入社し文筆に専念した年)~99(平成11)年 91歳 

 父は6人中5人目の長男 漱石40歳の子 漱石死去時は9歳

 父誕生の頃から漱石は胃病に悩み、10(明治43)年「修善寺の大患」で「30分ほど」死ぬ

 1926(大正15)年、18歳でベルリン遊学 39(昭和14)年帰国 「高等遊民」を地でゆく

 帰国後は東京フィルハーモニー設立に関わり、第一バイオリンを務める

 孫房之介 1950(昭和25)年~存命中  孫は純一43歳時の長男

  漱石著作権は1946(昭和21)年消滅 印税の恩恵なき時代の中産階級子弟として育つ

漱石『夢十夜』「第三夜」 1908(明治41)年朝日新聞連載 純一誕生の翌年

 6歳の自分の子を背負って歩いてゆく夢。次第に重くなり、預言めいたことを語る子を捨てようと思うが、杉の根の前で子が「お前が俺を殺したのは今からちょうど百年前だね」といわれる。怪談風の一編。
 純一誕生は漱石を喜ばせ、自らフランス語を教えようと試みるほどだったが、一方で漱石の無意識に原罪めいた強迫観念があったのではないかと推測したくなる作品。父親としてのコンプレックスの投影か?

〈そんなわけで戦後、昭和25(1950)年に、長男として僕が生まれる。/のちにわが国独特の戦後大衆文化となるマンガに幼少よりのめりこみ、長じて手塚治虫の死(昭和の終焉)を機にマンガ論を展開することとなる。/その過程で、手塚マンガの成立背景として宝塚のモダニズム、戦前期の大衆社会と中産階級の成立を想定するにいたり、父母らを育んだ時代と接点を見いだすこととあいなった。/近代建設期の漱石、一応成立した近代市民社会の父母、戦後大衆社会の僕。/明治の大知識人としての漱石と、中流趣味階層としての父母、そして戦後の知的大衆としての僕。/歴史と個人、家族の錯綜はまことに珍である。〉夏目房之介『孫が読む漱石』実業之日本社 2006年 p39

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http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/future/

お気に入りの「夢の扉」で東京医科歯科大の関谷先生の半月板損傷手術のドキュメンタリーをやっていて興味深かった。

http://www.jst.go.jp/ips-trend/network/pdf/event/symposium/no05/poster/ks_h03.pdf

半月板は、膝関節のクッションの一部で、運動などで断裂損傷したり、かつ年とともに摩耗する。半月板は一度なくなると再生しないので、これまでは半月板がなくなり、軟骨がすり減ると、その結果骨が直接ぶつかって痛みが生じる。人口関節を埋め込む以外に根本治療はなかったという。
今回の関谷さんは、レアケースの半月板再生症例に注目し、もっとも半月板になりやすそうな周辺の組織を調べ、滑膜という膝関節を覆う組織が半月板に変化しやすいと結論した。そして、半月板断裂の患者の半月板を縫い合わせ、そこに滑膜組織を培養した細胞を注入。3週間後、半月板の再生を確認したという。これが臨床的に成功すれば、大きな前進だろう。
八卦掌をやるまで、骨、筋肉以外の組織、とりわけ筋膜などの組織を認知していなかったが、ここでも「滑膜」というコトバに反応してしまった。そうなのか、膜組織はほかの組織に再生なんかもするのか! 八卦掌走圏、多分膝関節にもいいな、これは! あまり根拠はないが、勝手にそう思って興奮してしまった。ips細胞とともに再生医療の国家プロジェクトに選ばれたらしいが、細胞の再生力と走圏には関係ありそうな気がする。
番組内で、膝を痛めない歩き方を紹介していた。立ったまま内股の筋肉を使ってやるんだそうで、やってみた。こりゃ、日々走圏で使ってる筋肉と膝の動きだなと思った。なので、膝の保守には八卦掌、いいと思います!

とはいえ、やってりゃあ、問題ないかというと、そうでもない。じつは、大刀練習を始めてから、どうも左足の負担が大きく、どうやらあと少しで腰にきそうな勢いであった。負担が大きいだけに、弱い左足に矛盾がきたような気がする。そんなおり、李先生が基本的に左足が弱いので、左足を外側にした走圏を、その反対よりはるかに多くやるべきなのだ、と指摘された。以前にもそういわれたが、忘れていた。なので、その日から二ヶ月ほど、徹底的に左足走圏を多くやってきたら、だいぶ具合がよくなってきた気がする。大刀練習が一応終わったこともあるが、これを半年、一年やって、どんな効果があるか、それは今後のお楽しみ。

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Photo 姫路での講演にはたくさんの方にきていただきました。少し早く着いてしまったので、歩いて文学館まで行こうと思い、姫路城からお堀沿いに原生林を観ながらノンキに歩いていたら、結局直前で待ち合わせ時間になり、学芸員の方に迎えにきていただいた。終了後、姫路城周辺から駅まで学芸員の方とともに散歩しつつ帰りました。非常に楽しかった。

Photo_2 文学館から歩いて姫路城にいたり、裏手からみると、まるで宇宙ロケット基地のような修繕中の天守閣が。

Photo_3 姫路市のゆるキャラだそうです。

Photo_4 商店街を駅まで歩くと、昔懐かしい古本屋さんがあった。今はこんなお店は東京では見ない。このあと、小腹が減って名物あなご丼を食べました。久しぶりに少しのんびりしました。

natsume

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00000049-natalieo-ent

水曜深夜の「しくじり先生」という番組で、オリラジのアッちゃんの激走ぶり、非常に堪能。面白かった。この人の言語生産能力はなかなかのものだと思う。うまいキイワードを効果的に繰り出し、あのレベルで二回分巻き込み続けたのには感心してしまった。いわく「天狗」の時期を過ぎ、「パラシュートタイム」で落ち続けた結果、一年間山を耕し続けて放映なしの没になった企画、韓国で手相を手術で変えてしまう乱暴な手術をしたあげく、やはり没になった話など、かなり衝撃だったし、芸人達の反応も面白かった。それこれあった末の、

「しくじらない人間なんているのか?!」

は、名台詞だったね。それだけ単体で聞いてもどうってことないけど、2回続けたテンションの最後にくると、むちゃくちゃ面白い。もっと観たかったかも。でも、2回だから、あの密度だったんだろうなあ。

natsume

このところバタバタでお知らせが直前になってしまいました。
10月11日(土)13:30~15:00 姫路文学館にて漱石関連の講演「漱石のこころ、孫のココロ」を開催します。
http://www.city.himeji.lg.jp/bungaku/schedule/index26.htm

特別展「『こころ』から百年 ー漱石山房の日々ー」にあわせたものです。
http://www.city.himeji.lg.jp/koho/press/_30718/_32415/_32637.html

natsume

いやああ、ホノオモユルもそうだが、それぞれキャラ立ちまくりで楽しみでしたが、中でも劇中の庵野(役の役者)の存在感たるや、なかなかでしたねえ。シリーズ化しそう。

と思ってたら、いきなり先生になった島本に戻った。あはは。
大学生の青春を謳歌したんだろうか?

とりあえず、エンドで島本和彦本人登場、岡田斗司夫も登場。楽しめました。
作中で再現されたマンガ、アニメなども、じつに親切設計でありました。
多謝。

natsume

白ヒゲ房爺 2014/09/21

G 少し前にいただいたおみやげの「EMERGENCY Moustaches」の白ヒゲをつけてみました。

Photo じつは、遊びにきた孫が見つけて「つけてみたい!」といったので、つけてみたのであった(笑)。

natsume

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0914/

「NHKスペシャル 臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」

 立花隆の『臨死体験』の本はだいぶ以前に読んだ。非常に興味深いものだった。何よりも臨死体験のさいに見る「あの世」の世界観が、体験者の文化(日本、米国、インド)に規定されている(日本人の多くは三途の川を渡り、米国人は渡らずにお花畑を見、インド人の多くは閻魔大王に会う)ということが、臨死体験における「あの世」の普遍的実在生よりも、脳内の「幻覚」である蓋然性の高さを示しているように思えた。立花も、この本の時点では脳内現象であるという結論に近かったと思う。一方で、今回の番組にも登場した利根川進への取材本では、利根川の「心は科学的にすべて解明できる」という主張に違和感を表明していたと記憶する。

 今回の番組では、臨死体験者の取材(1歳で危険な状態にあった米国の男の子が2歳でその記憶を、周囲の様子とともに語り始めた、という例が面白い)より、多くの取材を科学者にあてている。その科学者にも「心と脳の関係」や「あの世の実在」について、数学的に脳神経のクモの巣構造と意識の「量」の対応を証明できるとする人や、自身の臨死体験から「あの世」の実在を科学的に論証できるとする人まで、様々な意見が取られる(それらの論証過程については詳細には語られない)。最終的な結論については不確定なまま、それぞれの研究や意見を「事実」として並べてゆく立花の手法をドキュメンタリーも踏襲していて、それが見る者それぞれで思索する楽しさにつながる。

 というわけで、以下は番組の紹介ではなく、むしろそれで触発されて僕が勝手に考えたことである。昔から考えてきたことだが、まとめて公表したことはないので、自分勝手な文脈になっているかもしれないし、読みにくいかもしれない。興味のない人には寝言に過ぎないだろうとも思うが、たまにはこんな記事もあっていいかと思ってブログに載せてみることにした。

 意識(コンシャスネス)を「心」の一部と規定し、その「量」を数式であらわした研究者は、意識を、クモの巣よりも複雑にからみあった脳神経の情報系により生ずる現象としている。これは僕もそう思う。数式に関してはわからないが、きわめて高次の方程式になるような電気信号/情報のいきかいの結果生ずる領域であろうという推論は妥当なように思える。そう考えると、意識現象のすべてを脳の部位に還元する思考は、どこかで限界を迎える気もする。意識を統合すべき中心(自我)の物理的な脳の場所は、特定できないのではないか、という直感がある。脳神経ネットワーク全体(あるいはその広範囲な領域)から、疎外されて生じる意識領域があり、統合そのものが脳の全体的な機能なのではないか、という仮説になる。この構造によって、個人の自我、人間の意識あるいは心が(またその領域の拡大が)、現実から遊離し自立した領域であるという自己言及をもたらすのではないか、とも感じるのだ。

 人の言語は、目の前の現実を描写する形態とともに、目の前にはまだ現前していない現実をもたらす形態(命令形など)がある。抽象化された想像の領域から現実を実現しようとする(おそらくは元来呪術的な)形態が言語/意識に存在するといってもいい。この領域が、やがて自身の意識そのものへの自己言及をもたらすのかもしれない。番組の中で「想像力」に言及している部分は、そのことを裏付けようとしているように感じた。この「想像=創造」の領域が、神話、物語を生む。また、そこに存在しない領域の拡大は、人の記憶の拡大貯蔵を可能にし、現在の選択による「記憶」の生成をもたらすと思われる。

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プロフィール

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夏目 房之介

72年マンガ家デビュー。現在マンガ・コラムニストとしてマンガ、イラスト、エッセイ、講演、TV番組などで活躍中。

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