栃木県那須郡の那珂川町馬頭広重美術館「猫じゃ猫じゃ展」記念講演に呼ばれて、漱石と猫の話をします。8月2日(土)の午後1時半から。来られる方は限られるでしょうが。

アクセス
http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/batou/hp/index.html

馬頭広重美術館
http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/batou/hp/index.html

講師:夏目房之介氏 (学習院大学大学院教授・漫画批評家)
日時:8月2日(土) 午後1時30分~ ※参加無料
演題:漱石と平凡寺の孫が語る「吾輩は猫である」と猫人形
場所:馬頭総合福祉センター(美術館より徒歩3分)

natsume

http://taipei2014.jp/tokyo.html

上野の故宮博物館展みてきました。平日夕方5時に入って8時まで、人も少なくけっこうゆっくり観られました。
書に興味のある人はぜひとも行きたい展示です。
書にも陶磁器にも興味がない人は、別に無理する必要はないのでは、というのが僕の感想。僕は台北の故宮に過去3回いっているので、白菜にもトンポウロウにも興味はないので。

natsume

Photo 昨年暮れに出て、だいぶ以前に買い、でも、何となく読んでいなかった本。元マンガ編集者が小説として書いたマンガ編集者の話である。第一話「担当の夜」は、ややマイナーながら人気のある天才肌の漫画家との壮絶なやりとり。二話「担当の朝」は、あきらかにジョージ秋山を彷彿する、韜晦の達人である大物漫画家を師匠とするマンガ編集者の苦悶。三話「最後の担当」は、「無頼」を気取るしょうもない新人に入れ込み、挫折する編集者の切なさ。四話「俺酒」は亡くなった先輩編集者たちへのレクイエムで、ひたすら酒を飲んでうだをあげる話。うち、一〜二話は「オール読物」掲載。三〜四話は書き下ろし。あとがき的なページに、表紙も描いているすぎむらしんいちがマンガを載せている。小説内では、主人公の編集者は酒を飲んで記憶がなくなると裸になるらしいが、すぎむらのマンガでは事実そういう著者の写真が見つかったと描いている。う〜ん、たしかに昔の編集者にはよくいたタイプかもしれない。

Photo_2小説内の状況から、おそらく、あのマンガ青年誌で、あの人が少なくともモデルの一人、という推測ができそうだ。「この作品はフィクションであり・・・」と末尾に書かれており、たしかにいくつかのエピソードを混ぜ合わせたりはしているかもしれないが、漫画家や編集者への友情というか戦友的感情、共有した熱のようなものは、「実在」した彼らへのものだろうと思わせる。読者のレビューでは、安達哲、華倫変などが想定されている。

http://book.akahoshitakuya.com/b/4163828605

小説としてはどうか、というと、まず文章はけしてうまいとはいいがたい。変なところでブツブツと言葉を切り(あるいはネーム的なのか?)、句読点も妙なところがあり、けれどもひたすら饒舌に熱っぽく語る。そして、困ったことに、面白いのである。いやー、ややうざったいほど熱いけど、妙に面白くて読んでしまうマンガって、あるでしょ? あれと同じ感覚。一気に読めてしまう。僕は半日で読んだ。

ところで、最後の「俺酒」。読者レビューでは、これが不評。「面白くない」「いらない」と書かれている。これが不評ということは、この本の不幸で、最後の作品が納得いかないと本全体のイメージは著しく落ちる。
しかし、僕にはこの小説こそが、書かれなければならないと著者に思われたものだった気がしてならない。ふつうの読者は漫画家には興味があるが、編集者の共同体には興味がないのかもしれない。あるいは、停年後アガってしまった年齢のおっさんたちへのレクイエムなんか感情移入できないのかもしれない。たしかに、この最後の「小説」は生モノの感じがする。あるいは年齢のせいか。「面白い」かといえば、微妙だが、僕はもう少し寄り添った感じで読まされた。それは、こういう共同性ってありうるな、と感じるからだろう。
先輩編集者に聞き書きで主人公が回想録を書くというと、その先輩はいう。
「いや、どうせ昔はいい時代でしたね、って言われるだけだから。それにさあ、ほんとに忘れちゃったし、ハハハ」
その後の文章は、こうだ。
「昭和のまともな漫画編集者は過去も未来も考えてこなかった。今の今しか考えなかった。漫画週刊誌はそれ以外を考える余裕習慣を与えなかった。昔の手柄話など語らない。書かない。残さない。俺は目撃者として、そしてまともじゃないからバイアスがかかってようが彼らの業績ではなく面影素描書くことで、おおげさに言うのなら世界と折り合いをつけてみたい。世界と接点を持ちたい。」
事実、そうだったろうなと思わせる。出版及びマンガ市場がピークだった90年代半ば前後を経験した編集者らしい言葉も作品中に散見され、市場縮小の後退戦を戦ったしんどさも伝わってくる。このレクイエムは、それを背負ったための暗さを持ってもいる気がする。

マンガ編集者自身の描くマンガ編集者モノの小説は多くはないが、なかなか読ませてくれたというのが読後感。でも、表紙のイメージとはまったく違う、どろどろと自意識の折れ畳みを辿るような感じだった。面白いんだけどね、たしかに。

natsume

http://www.tv-tokyo.co.jp/aoihonoo/

観ました。なかなか楽しいものになってました。

マンガの無闇ヤタラな暑苦しさは、さすがに再現されてませんが(笑
生の人間では、あれは島本和彦さんご本人以外には無理なのかな?

natsume

【夏目房之介のマンガ講座】

日時:2014年7月31日(木)13:00~14:30

場所:花園大学拈花(ねんげ)館202教室

アクセス:http://goo.gl/F9wlRG

今年は平日開催なので、こられる方が少ないかもしれません。お時間のある方、ぜひ。また、ご友人、知人に周知していただけると嬉しいです。大学のHPには掲載されてませんが、毎年やってます。今年は手塚治虫とマンガ論言説の話をしようかと。集中講義のほうは短編マンガをいくつか徹底的に読みつつ進めようと思ってます。

集中講義は今年は7月30日(水)、公開講座と同じ教室です。

natsume

147jrしばらく以前から目白駅にはこんな「痴漢撲滅キャンペーン」のマンガ広告が貼ってあって、マンガ・ゼミの帰りに学生と階段を降りるといつも眼に入ってきた。かなりレトロ感を、それも微妙な線のマンガを狙って引いてきてる感じなので、そもそも元のマンガがあっての転載なのか、それともデザイナーの模写的創作なのかなどと、もやもやと話し合ったりしていた。僕が連想した作家は、六田登、篠原とおる、あと名前忘れたけどサラリーマンマンガ描いてた人とか‥‥。で、その次のバージョンがこれ↓

147jr_2少しばかり時代が下がった気もするが、相変わらず微妙な線を狙っている。あー、やっぱりどこかで見たようなキャラクターが。もやもや‥‥。

というわけで、検索してみたら、とあるデザイナーの作品だったらしいです。

東京新聞記事 「正真正銘オリジナル イラストレーター・師岡とおるさん」

Jタウンネット おさんぽコラム 「「痴漢撲滅」ポスターのレトロ漫画風キャラが今年もかわいい」

それによると、師岡とおるさんというデザイナーの作品だとか。しかも、オリジナルであると。あんたも好きね〜w
ちょっと検索するとわかっちゃうんだから、すごいなー。でも、だから逆に「検索すればいつでもわかるし」なんつって、いつまでも調べなかったりするのが僕なんですが。なるほどー。

natsume

Photo川勝徳重君の自費出版「貸本マンガ誌的」体裁の雑誌「怪奇短編劇画集 蝸牛」1号表紙(詳しい情報は「追記」参照。
表紙の時点ですでに彼の貸本マンガ愛が感じられるが、いやいやなかなか。貸本マンガが好きな向きにはタマラン作りになっております。

Photo_2これが裏表紙の裏側。そうそう、これですよね。凝ってる。

Photo_3これが目次のページ。雰囲気でまくり。川勝本人と崇山崇、高木ひとし、黒川じょんのマンガ、大江留丈二による80年代ホラー専門誌についてのエッセイという内容になっております。

Photo_4

予告も、これ。ちなみに貸本にあった「マンガ原稿募集」ページも楽しい。もちろんほんとに募集してるらしい。

Photo_5そしてこれが川勝徳重渾身の80ページ余の大作「首猫島」。

賢明なる読者諸君にはすでにおわかりのことと思うが、川勝徳重君はかくのごとく変な奴である。そして私は変な奴が好物なので、彼を見ていると楽しい。ちなみに彼は、学部生1年のときから、モグリで僕の学習院大学でのマンガ論講義に出ていて、院生でもないのに、座席の一番前に陣取って、私のミスを指摘したりしていたのであった。その後、美術史専攻を卒業し、めでたくわが身体表象の夏目ゼミのニューカマーになったのである。昨今、変さにもみがきがかかり、相当面白い人生を過ごしそうな予感に打震えるのであります。がんばれ、カワカツ! 水木しげる学者といわれるその日まで。

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natsume

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id342363/

だいぶ時間たっちゃったけども、観ました。
もちろん、それなりに面白いのはわかってたけど、何となく想像の範囲内という気がしたのと、007シリーズ独特の「明るさ」がダニエル・クレイグになってから暗くなっちゃって、ちょいと意気沮喪するような傾向になってたので、手が出にくかったんですね。いや、もちろん彼のジェームス・ボンドは、いささか同じパターンでは先が見えなくなってきてたシリーズを蘇生させたキャラクターを作り上げたので、好きだし、面白いと思うし評価もする。だけど、何しろ半世紀前の007を青春とともに過ごし愛しただけに、昔の007で得られた上向きの感覚が逆向きになった気もしているので、躊躇があったんであります。

ま、いいわけはともかく(多分誰にも意味をもたないいいわけですが)、当然のように面白かったです。まずは、冒頭のスタント・アクションはかなりすごい。あともいっさい飽きない。でも、昔からのファンとしては、新旧(いろんな意味での)の対立がなかなか見応えがあった。そして、何よりも、最後の対決の前に懐かしのアストンマーティンDB5(車には詳しくないけど『ゴールドフィンガー』に登場したこの車はおぼえてる)が出てきて、おまけに音楽がそこで昔の演奏バージョンになったのが嬉しくて、叫んでしまった。最後にボンドが入るオフィスには、美人秘書と帽子かけがあるし(ただ、ボンドが帽子を投げてかける場面はなかったけどね)。

それにしても、これでシリーズは50年になるのだった。
1964年!
何と、僕は14歳。中学生で、ショーン・コネリーのボンドにいかれ、『ロシアより愛を込めて』でぞっこんになり、『ゴールドフィンガー』ですっかり「なじみ」になってしまった。半世紀前の恋人が(人は変わったけど)、今でも素敵なそぶりを見せてくれるのをずっと観てきたような感じだ。今、僕は63歳で、来月64歳。

昔のボンドを見直してみたい気がする映画だなあ。

natsume

「 痩蛙まけるな一茶是にあり
  やれ打つな蠅が手を摺り足をする
 といった句で知られる、善良な眼をもち、小動物にもやさしい心配りを忘れない、多少こっけいな句を作る俳諧師の姿」(藤田昌司「解説」 藤沢周平『一茶』文春文庫 p888)

 藤沢にとっても、かつては一茶のイメージはこうであったという。僕もまったく同じだった。この小説を読む前まで、ということだが。
 藤沢が資料を読んで知った一茶とは「一茶は義弟との遺産争いにしのぎをけずり、悪どいと思われるような手段まで使って、ついに財産をきっちり半分とりあげた人物だった。また五十を過ぎてもらった若妻と、荒淫ともいえる夜夜をすごす老人であり、句の中に悪態と自嘲を交互に吐き出さずにいられない、拗ね者の俳人だった」(藤沢周平 エッセイ「一茶という人」 同上より)という。
 この小説では、まさにそうした俗っぽく、欲にまみれ、傲慢で卑屈で、貧にひしゃげた男の人生が描かれる。読者は、漠然ともっていた一茶のイメージを次々に壊されて、のもってゆくしかない。江戸での俳諧師の道に挫折し、故郷に帰ってからは、義母と義弟が盛り上げてきた田地、家の半分を父の遺言を盾にとりあげ、ようやく落ち着くが、さらに嫁を亡くし、二度目の嫁を離縁し、ついに三人目の嫁のもとで65歳で逝く。凡俗の徒でありながら、それを貫くような男が、生活のために飛び込んだ世界であったにもかかわらず、ついに2万もの句を吐き出さざるをえなかったことによって詩人であった不思議、しかも優れた詩人ですらあったことの奇怪さを描いている。そして、余裕のある階級の趣味とされた当時の俳諧が、芭蕉のもたらした高尚から、次第に変化し、趣味階級にシラミのように巣食う食い詰めた俳諧師であった一茶によって変貌する時代の様が描かれる。まことに、表現とはかくのごとく人の欲望や美や風狂を波のように変容させながら時代を作ってゆくものなのだろう。
一茶が、当時の百姓や雇い人としては怠け者で辛抱のきかない人物であり、性格的には遊侠の徒に近かったろうことは読んでいて感じられる。それは大都会江戸で可能だったことだろうが、しかし同時に、挫折すれば悲惨な行き倒れになるしかない過酷な商売でもあった。作中の一茶は、しばしば孤独と鬱屈を味わって寒さの中で膝を抱える。そして、たった一人で老いて死ぬことへの不安と恐怖に苛まれる。

現在マンガを描く人の中にも、同じ思いはありうるだろうと思わざるをえなかった。あるいは僕でも、似たような境涯はありうるだろう。読んでいながら、そくそくと身にしみるところがある。一茶を句の道に誘うことになる元御家人の男の、山で行き倒れ霜に覆われて発見された死が描かれるが、なぜか他人事ならず読んでしまった。
藤沢周平の一茶へのまなざしは、ときにつめたく、ときにやさしく、鋭い批評をなしている。読者は、そこに共鳴してしまうし、一茶という凡人の生涯を黙然と見守るしかない切なさを味わう。そして、自分も同じように膝を抱える気分になる。どこかで生きること死ぬことの覚悟を迫られる気がしながら。

いい小説だと思う。

natsume

https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/4670/

すでにお知らせしたこの連続講義ですが、どうも参加者が少なくてかなり危ない状況のようです。まあ、会費の必要な講義であり、かつとびとびの土曜日開催でもあり、難しいかもしれませんが、僕はともかく新進の研究者の講義による手塚論なので、お迷いの方はぜひとも参加をお願いします。そろそろ「マンガ」「手塚」といいさえすれば人が集まる時代は終わりつつあるということかもしれませんが、面白い内容になると思いますんで、ひとつコノよろしくお願いしたいわけであります。

手塚治虫の世界 手塚治虫とマンガ論研究

夏目 房之介(学習院大学教授)
野田 謙介(マンガ研究者・翻訳者)
岩下 朋世(相模女子大学講師)
三輪 健太朗(東京工芸大学講師)

日程 07/12, 07/19, 08/09, 08/23, 08/30, 09/06, 09/13

07/12 手塚治虫をめぐる現在の課題(夏目
07/19 手塚治虫と少女マンガ(1)(岩下朋世
08/09 同上(2)
08/23 手塚治虫と海外マンガ(戦前編)海外マンガの影響と日本マンガ(野田謙介
08/30 同上(戦後編)排除される海外マンガ
09/06 手塚治虫と映画(三輪健太朗
09/13 総合討議(夏目、岩下、野田、三輪
 ※なお、夏目は全回参加します。

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プロフィール

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夏目 房之介

72年マンガ家デビュー。現在マンガ・コラムニストとしてマンガ、イラスト、エッセイ、講演、TV番組などで活躍中。

詳しいプロフィール

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