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夏目房之介の「で?」

萩原朔太郎『猫町 他十七篇』岩波文庫

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萩原朔太郎の1920~30年代中心の短編、エッセイなどを集めた本だが、大変に興味深かった。とくに、マンガ史、大衆文化史のうえでも重要だなあと思っている年代の知識人文学者の感じ方、思想を考える上ではまことに格好の資料となる。本であった。

突如〈日清にっしん戦争が始まった。[略]そして「恨み重なるチャンチャン坊主ぼうず」が、至る所の絵え草紙ぞうし店に漫画化されて描かれていた。〉 (「日清戦争異聞(原田重吉)の夢」1935 p.47)などという描写に出くわしたり、「田舎」と「都会」の典型的な文化比較がされたり(「田舎の時計」1927 p.56~57)(といっても萩原の故郷は前橋で、当時は「田舎」だったんだなあと驚くが)、清岡卓行の解説によると『猫町』(1935年)は軍事化する時代の大衆の不気味な状況を反映しているらしいとか。

それとは別に、個人的には萩原がひどく身近な場所を点々としているのを知って驚いた。彼の転居先を列挙すると:

1925年2月〈38歳〉前橋→大井町、4月田端→11月鎌倉材木座 →26年11月馬込→29年11月赤坂→12月前橋→30年10月市ヶ谷→31年7月東北沢→9月下北沢→32年11月代田

と、僕の人生でも親しみのある場所、住んだ近所が多い。まして、散歩好きの萩原が以下のように書くと、またちょっとびっくりしてしまう。

〈特に武蔵野(むさしの)の平野を縦横に貫通している、様々な私設線の電車に乗って、沿線の新開地を見に行くのが、不思議に物珍しく楽しみである。碑文(ひもん)谷(や)、武蔵小山(こやま)、戸越(とごし)銀座など、見たことも聞いたこともない名前の町が、広漠たる野原の真中に実在して、夢に見る竜宮城のように雑沓している。開店広告の赤い旗が、店々の前にひるがえり、チンドン楽隊の鳴らす響が、秋空に高く聴(きこ)えているのである。〉(「秋と漫歩」初出不祥 p.103) 原文ルビは( )

武蔵野の平野に「実在」する「見たことも聞いたこともない」町に今住んでいると思うと、まことに不思議な感慨がわく。場末だったんだろうなあ。

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