夏目房之介の「で?」

この寒い中、東禅寺の参道にて

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DSC_0746.JPG地元散策中、東禅寺参道のあたりで見つけたソテツ(でしょうか?)の花(ですかね?)。よくわからんが、低いけどデカかったです。この寒いのに、けなげな。

久しぶりに近所を歩いたら、昔の町名と地図の碑があった。実家があったのは伊皿子町だった。隣は芝車町(品川に上がる海からの品々を、江戸時代に京都の牛車に許された牛車を運輸業使用を許され、。車町という)高輪は昔、東海道の南側はすぐ海で(街道の向こうがすぐ海なので、土手になり、高い縄手があったので、高輪と呼んだとの説あり)、母がたの三田平凡寺の実家は泉岳寺参道あたりの地主だった。母は二階から帆掛け船をみたといっていた。東海道は今の京浜国道の多分三分の一くらいではなかったか。明治以降拡幅と埋め立てが進み、三田家はそのたびに海を埋め立てて後ずさっていったと、たしか叔母から聞いたが、どうなんだろう。いずれにせよ、戦時までは参道沿いの商店は三田家の家作で、小学生の僕は、そこの商店に同級生がおり、家から高輪台小学校への通い道の途中でもあり、よく上がりこんで遊んだ。あとから考えれば元の店子たちの親が商売をしてたのだろう。僕は元地主のお坊ちゃまだったのだろう。

僕の育った家は、泉岳寺からさらに東に少しいった、大木戸跡のあたりで、三田家で買っていた土地だった。昔は家の前の坂に小さな商店街があり、その中に母が始めたCOMOという小さな喫茶店があった。近所の方が継いでくれて、今も同じドアと内装で営業されている。家は今や僕と姉の手を離れたが、この坂は、おそらく昔は潮見坂とよばれた細い坂で、上から海が見えたのだろう。坂を上がると伊皿子坂、そこを上までいくと、こんどは急坂を降りる。その途中に魚籃観音のある寺があり、この坂は魚籃坂という。きりがないのでやめるが、久々に近所を歩いたら、いろいろ思い出したのだった。写真撮る習慣がないので、結局植物の写真だけなんだけど。

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コメント

三河町半七

おお魚籃坂。牧野信一に「魚籃坂にて」というエッセイがあって、そのあたりに住んでいたことがわかるんだけど、というより、坂口安吾が訪ねていったんではなかったか。筒井の『魚籃観音記』を思い出して、取り出しました。

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