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夏目房之介の「で?」

大阪のトークショー終了

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大阪国際マンガグランプリのトークショー終了しました。
前半赤本~貸本など戦後マンガ史のおさらい、後半「COM」の影響から読者組織「ぐらこん」から同人誌~ミニコミの流れのお話でした。僕個人としては霜月たかなか(原田央男)さんが、批評同人「迷宮」(のちコミケ創設)のあたりの話をしてくれたのが面白くて、行ってよかったと思いました。
先行した学生運動などに対し、それを「反面教師」として「暴力ではなく言葉・批評でやるんだ」という一点は同人共通の観点で、そこにブレはなかった、という霜月さんの話はとくに興味深いものでした。マンガを社会と結びつけて語るのではなく、マンガそのものに向かおうとする志向は、今から当時の言説を追っていってもわかる部分ですが、けっこう学生運動的な文体を援用しているにもかかわらず、じつはそれが一種の反面教師的なパロディだったというところは、なるほどね、と思うとともに、意外に公表されてはいないところかもしれません。
コミケは、今は同人誌即売会として当たり前のありようになってますが、当時の状況の中で、同人誌を売買する場を構築し、「マーケット」(...市場)としてとらえたところは、画期的だったように思えます。そこのところを聞くと、霜月さんは「マンガを自己表現として描くことがコミュニケーションとなり、誰でも交換できるものにする」という意図だったと説明してくれました。彼ら以前のマンガ批評言説の中では、マンガの受容層はあくまで既存の大衆、貸本読者、若者集団など、すでにそこに存在していた受容層でした。が、彼らは自分たち自身をこそ表現し売買する主体ととらえたんだと思います。それこそが「ぼくらのマンガ」の核心であり、たしかにそこにブレはなかった。そして、ここにオルタナティブな共同性を確立する、ひとつの転換点があったことは確かだし、僕もその輪の中にいたんだなと思います。同人や集団には距離をとって参加しなかった僕のような人間も、同様の共同幻想をもっていたのだということです。当時の若者の政治状況との関係で、既存の言説と自分たちを峻別する意識の転換をとらえかえす必要がありそうです。

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