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夏目房之介の「で?」

病気と八卦掌

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夏の終わりあたりから、足が痛くなり、どうも調子がおかしいと感じていて、やはり八卦大刀練習は僕にはハードすぎたのかなと思っていた。が、どんどん具合がおかしくなり、11月6日に「あ、これは甲状腺機能亢進症だ!」と症状を自覚(独特の身体感覚がある)。投薬を始めたが、そこから2〜3週間がもっともつらい時期だった。大学の研究室から教室まで行くのでさえ、きつかった。山、というより谷を越えて、向こうがみえるまでが、どんなしんどい体験でも一番きついのだ。

11月16日、症状自覚以来、運動による消耗を避けてやめていた自分の八卦症練習をようやくおそるおそる始めた。もちろん以前同様にはできないので、以前の4分の1ほどの量で走圏、それも消耗しないように掌法をやらずに、おとなしく始めた。

丹田の感じはもちろんなく、足に力がないのも感じる。ふらふらするが、腰を落とすこともできない。ただ、しばらくすると、とにかく上半身に力がないので、上半身を下に落とすのが比較的楽にできることに気づいた。さらに、相当ふらふらだとしても、中心軸を作る記憶ははっきり残っていて、ただひたすらそれだけに意識を集中した。数週間、中心軸を保ち、落とすことだけに集中してた結果、ようやく丹田の感じも少し戻ってきた。まだ力の感覚はないが、「あ、これでいいんだ」という感覚はもたらせられた。

本当に、中心軸なんだなあ、とつくづく思った。おそらく、生来丈夫な人、病気をして練習途上で止めねばならないような経験がない人には、わからない感覚だろうが、ああ、一通りやってきてよかったと感じる。あの独特な八卦掌の感覚が少しでも戻ってくると、自分が回復してゆくことが信じられ、自信にも少しずつなってゆく。練習途上で同じ病気で停止したのは、これで二度目だけど、こういう経験をもったことが、それはそれなりに貴重な経験になるんだろう。人間、それぞれに波があるわけで、いつも最高にいいなんてことは、ありえない。波が引いていくときに、それを受け入れて、そこでどうすべきかは、こういう経験で学ぶことができるのかもしれない。

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