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夏目房之介の「で?」

ご法要 浄土宗の裏打ち木魚

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本日、長い間実家でお世話になった近所のお寺・成覚寺の先代ご住職の納骨ご法要に伺ってきました。父が犬と散歩しながらよくお邪魔し、先代ご住職とよく雑談していて、そのご縁で実家の法要にはおいでいただいていました。とてもいい方で、お人柄のよさを父も家族も慕ってのことでした。夏目の家は、本来は浄土真宗だったと聞いたことがあります(このへんは研究者の人のほうがご存知かもしれない、僕のは昔聞いたおぼろな記憶)。漱石が禅宗好きで、縁は切れたようですが、高輪の地に住み、ご近所の浄土宗・三田成覚寺とのご縁になったということになります。とてもいいご法要で、感動しました。ありがとうございました。

ところで、浄土宗では読経のさいの木魚を、いわゆる裏打ちのリズムで叩きます(浄土宗すべてがそうなのか、一部の流派なのかまでは知りませんが)。このことに最初に気づいたのは、だいぶ以前の法要に参加した義兄(姉の夫)でした。彼は音楽好きなので、それに気づいたんですね。いわれてみれば、たしかにそうで、感心したものでした。

本日のご法要には、十人ほどのお坊さんが読経され、僕はもうほとんどかぶりつきのような席にたまたま案内されたので、ライブ感溢れるお経を聴くことができました。それ自体、まるで音楽ライブのような感動がありましたが、また裏打ちのリズムが、微妙にグルーブ感を感じさせてくれて、素晴らしかったです。意味は取れないのですが、人の集合した声とリズムというのは、それ自体で人を引き込むものなんですね。そうでなければ、バリのケチャでも、イスラムの声明でも「いい」とは感じないでしょう。

裏打ちというのは、表打ちの逆です。表打ちは、たとえば歌ならば、その言葉の音に合わせて叩くリズムで、裏は音と音の間に、少し送れて叩く、ということになりましょうか。

な~~む・あ~~み・だ~~ぶ
・     ・     ・     ・  ・・・・と、これが表だとすると、
な~~む・あ~~み・だ~~ぶ
  ・      ・      ・   ・・・・と、こんな感じなのが裏打ち(正確じゃないかもしれない)

日本のリズムはたいてい表なので、珍しいようです。
http://ameblo.jp/igataro50/entry-10901031622.html

 

合掌

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