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夏目房之介の「で?」

武井壮の運動理論

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日曜の『笑っていいとも創刊号』で、武井壮がタモリとタイで話すコーナーで、武井が運動について話していた。タモリが、出演者の誰それでも、自分が教えれば五輪にいけるみたいなことをよく武井がいうが、それってどういうことなのかと聞いた。それに答えた形だった。記憶のかぎりで、僕の言葉で再現してみる。
体のバランスがちゃんと円になるような状態があるとすると、何かのスポーツをやるということは、ある方向に向かって円を歪めさせてゆくことになる。どこかバランスがちょっと崩れると、いわゆるスランプになる。円が歪んだ状態でも物凄く練習すれば、あるレベルまで伸びるのだが、その状態でどこか少しでもズレると、いつもどおりのはずなのに、全然うまくいかなくなる。これがスランプだ。
でも、体の使い方をきちんと知っていれば、正常な円の形ができているので、どんな運動でもおぼえることができるし、あるレベルまでは必ずいける。
そういって武井がタモリにやらせたのが、目をつぶって、両手を左右にまっすぐ広げてみること。タモリはかなり正確に両手をあげ、少し下がっている角度を直しただけだった。正確にまっすぐ真横に両手をあげられる状態を覚えれば、次にはそれを再現できる。こういう状態を作ることなのだ、と武井はいう。

あまり正確に再現できなかったかもしれないが、彼の話は「正しい」と僕は感じた。
多分、彼のいうように、円のバランスを最初におぼえれば、スランプになったとき、戻るところを知りやすくなり、伸びしろが広がる、ということなのかもしれない。
僕自身、太極拳を習ってから体を動かす方法がわかった気がして、何を習っても、必ず一定までは憶えられるな、という自信ができたし、実際、その後水泳やボクササイズを習った。
八卦掌を練習し続けて、この感覚が、どうやら体幹の正しい位置と、それにともなった手足の動き、あるいは足のスタンスに正確に対応した上半身の動きの感覚ではないかと思うようになった。自分のポジションと動きの関係がつかめ、それを操作することができる、という感覚ではないかと。
武井のいっていることも、多分そういうようなことだろうと思う。これは、その人その人の個性的な動きと矛盾するかというと、しない。中心的な課題として、正確な円をなすようなバランスを作ってゆくと、その人の身体や動きに合ったスタイルに自然になってゆくようなものだろうと思う。
ただ、武井のシニア世界大会での走りは、残念ながら彼自身のいったとおりではなく、身体が右に傾いてエネルギーをロスしていた。たった一人での練習にこだわったせいだと思うが、いいかえれば、じつはこのことの実現がいかに難しいかということなのだろう。
僕や仲間は、とりあえず今、李先生がときどき直してくれるので、自分ではまだわからない上のレベルの要求を知ることができる。僕自身も、多分ごく初心者であれば、ある程度までは教えることができると思うが、所詮僕のレベル以上のことは無理だ。実感として、まだまだ自分の出来加減がいかに低いものかは、よくわかるのだ。
円をなすようなバランスというのは、やはり一種の理想形であって、いかにそこに近づくかという方法論、理念が問題に、結局はなるのかもしれない。

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