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夏目房之介の「で?」

三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』刊行!

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三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』(NTT出版 ¥4200+税)が刊行されました!

三輪君は、わが身体表象文化学専攻の俊英で、大部の修士論文を提出後、博士後期課程に進み、現在も学習院で研究をすすめております。彼の関心は一貫して「マンガと映画を比較しうるとすれば、いかにして可能なのか?」という、きわめて原理的な問題にあります。
その修士論文は僕をはじめ、中条省平教授など、ほかの身体表象専任の方々にも高く評価され、「ぜひ単行本化すべきだ」という話になりました。それから2年、かなりの書き直しをへて、460ページを越える歯ごたえのある本となりました。学生さんには、この値段は少々歯ごたえがありすぎるかもしれませんが、それだけの価値はあります。

これまで日本のマンガ論では、しばしば「手塚治虫が映画的な手法を導入し、戦後のストーリーマンガが始まった」とする歴史観で語られてきました。こうした言説の枠組みに対し、ここ10年ほどの間に若手研究者を中心に様々な疑義が呈されてきたし、これら批判的言説の流れを整理することが、まずはマンガ論文の先行研究の課題であるかのような様相さえみせています。もちろん、三輪君も序論で言説史的整理を行っています。
彼の真骨頂は、それを「ガチな理論」(中条教授)、原理的な解析をもって追い詰めていったところにあります。たとえば、本書冒頭では「人類がやがて未知の知的文明を他の惑星に発見したとき、そこに「マンガ」や「映画」を「発見」しうるだろうか?」という仮説的な議論を立て、理論的にそれを排除する。しかし、それら議論は、同時に具体的な分析を伴っていて、けして「リクツのためのリクツ」になっていない。
冒頭で取り上げられる具体的な材料は、初期映画で映像の中に見られる「風」と坂口尚の作品内のそれであり、杉浦茂やテプフェール、他人のセリフを書き換えることのできるスーパーヒロイン「エディター・ガール」や『闇の国々』です。それらの材料を使いつつ、グルンステン、石子順造、夏目、瓜生吉則、スコット・マクラウド、泉信行、ロイ・T・クック、ヴァルター・ベンヤミン、ノエル・バーチ、デイヴィッド・ボードウェルなどなどを参照し、精密な理路がたどられるのです。
読者は知らないうちに、まるで推理小説のような論理展開に巻き込まれ、やがてマンガと映画というメディアを「同時代文化」としてとらえる「近代」と「時間」を巡る議論、「比較メディア論」へと向かう展開に引き込まれるはずです。それは一種の「知的冒険」の物語で、たしかにまだ「完結」していませんが、原理的な射程の大きさに、わくわくするだろうと思います。

個人的には、三輪健太朗という研究者の担当教授となった幸運に感謝するとしか、いいようがないほどです。
マンガ研究を志す人には、ぜひとも一読をおすすめしたい本です。

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