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夏目房之介の「で?」

1月26日シンポジウム「マンガ研究とアーカイブ」

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http://mediag.jp/project/project/archive.html

26日(土)は、午後から文化庁のシンポジウムに参加。冒頭で短い挨拶をし、清水勲先生の講演のあと、佐々木果氏の司会による京都精華の吉村和真氏、明大の宮本大人氏、北九州漫画ミュージアムの表智之氏による各自発表とシンポジウムがあった。
マンガのアーカイブズの調査、連携についての構想は、マンガ研究の進展に伴う大きな課題になっている。どんな研究対象であっても、その歴史調査とその基礎となる「史観」の構築は必要な過程だが、マンガ史についても、戦前~戦後、前近代~近代史の連続性、非連続性、さらに海外との関係など、あらたな観点にもとづくアーカイブズ調査が課題となっている。
そうした課題に具体的にかかわってきた各氏による討議は、大変勉強になった。こうした討議は、僕も何度も企画してきたが、なかなか実質的な討議になりにくい。今回の討議も、具体的な方策が構築されるような具体性には至らなかったものの、マンガのアーカイブズというものをどうイメージし、どのように問題化してゆくかに関しては、かなり実質的なやりとりがなされたと思う。

印象に残ったのは、研究機能をもたない北九州ミュージアムの表氏の語ったことだった。
彼はもともとマンガ研究者だったわけではないが、北九州に赴任するにあたり、「地方の利点と欠点」について明晰な分析をされていた。大衆文化であるマンガは、そこに多様な要素を含んでいるが、たとえば北九州出身やかかわる漫画家を調べると、そこには当然、かつて日本近代を支えた都市・地域としての北九州の歴史(「富国強兵」と製鉄、石炭、そして戦前からあった新聞社など)が見えてくる。マンガから歴史、経済、軍事にわたる文化の多極性を見出すこともできる。欠点としては、館内外の研究者の数が、関東関西圏に比して圧倒的に少ない点があげられる、という。
これは、まさに歴史研究者の視点であり、アーカイブズを考えるとき、たんに整備され集中された資料ミュージアムだけを想像することの不備をも考えさせてくれる。資料は、それがどこにあり、それまでにどんな経緯をたどってきたかも含めて歴史資料なのである。

このことは宮本氏も指摘していた。
宮本氏は、大阪児童文学館の縮小のときのことに触れ、たとえば「福祉に廻すお金がないので、マンガ資料のほうには廻せない」といわれた場合、個人的には反論する論理がない、いやこっちに必要なんだといえる自信はない、と語った。じつは、くだんの事件のとき、僕も同じことを考えていた。こうしたことを、本当は「文学館を守れ」というべきマンガ研究者でありながら発言するのは、勇気がいるし、また誤解も生みやすい。なので、僕もその疑念は公表しなかった。
資料館、ミュージアムなどが、あること自体は、宮本氏もいうように「いいこと」である。だが、研究者も一方で一市民であり、この国の福祉がさらに充実されべきだという立場もありうるし、その場合、市民としての立場と研究者の立場は当然矛盾するのである。どちらかを当然の姿として理念化してしまい、それだけが立場であると語ることは、物事を形骸化し、ものの見え方をゆがめさせる可能性がある。こうした矛盾について語ることが許される状態も、マンガという新しい分野の研究領域であるからありうるのだと思う。
宮本氏の発言は、討議全体の中では根本的過ぎて当面解決しようのない問題であろうかと思う。が、こうした疑問が提出されること自体は、評価されていいと僕は思う。また吉村氏も、ここで行われた討議で、それぞれ出された問題点は一見異なってみえるが、じつは担当者たちにとっては共有されている課題なのだと述べて、調整型の彼らしい立場で有効に討議をまとめてくれた。こうした討議の司会は、見かけより困難なものだが、佐々木氏は抑制的にこれを統御していた。それらも含めていい討議であったと感じる。
少なくとも、アーカイブズについて無知な僕にとっては、様々な観点で考え直す刺激的なシンポジウムであった。

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