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夏目房之介の「で?」

松本かつぢ展記念講演「かつぢマンガの驚き」レジュメ

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2013.11.2弥生美術館「松本かつぢ展」特別講演 「かつぢマンガの驚き」 夏目房之介

 1)『?(なぞ)のクローバー』の衝撃

  前回同館「松本かつぢ展」(20064~6月)で出会った『?のクローバー』p6-7 「少女の友」昭和9(1934)4月号附録漫画 1)の躍動感【図1。かっこよさ。大画面の迫力。関節のあるプロポーションの人物の運動感。読者視線の回転や奥行きへの誘導を含む、画面構成。

 人気連載で戦後まで続いたかつぢ『くるくるクルミちゃん』(「少女の友」1938~40年連載)も「お転婆」な少女だったが、プロポーション的には当時の「子供漫画」の等身で関節は曖昧。同時期の子供漫画と比較してみると・・・・。

【図2『くるくるクルミちゃん』「少女の友」昭和131月号 (弥生美術館 内田静枝編『松本かつぢ 昭和の可愛い!をつくったイラストレーター』河出書房新社 2006年 p24

【図3田河水泡『のらくろ軍曹』大日本雄弁会講談社 昭和9年刊 (講談社 1969年復刻 p114-115

【図4宍戸左行『スピード太郎』第一書房 昭和10年刊 (竹内オサム編「少年小説体系資料編1」 復刻 三一書房 1988年 p11 2

 2)かつぢ漫画と躍動感

 【図1の解説 右頁上段の俯瞰から時計回りに運動する人の流れ 左頁下段奥行きへ躍動する群衆

 読者の視線が左右上下に動くだけではなく、奥行きに誘われ、それが他のコマと連動して構成される

【図5】【図1の視線運動の模式図

【図6『?のクローバー』同上 p9 同様の時計回りの運動感 大きな紙面を使う意味?

【図7『?のクローバー』同上 p2 少女の活躍を促す「悲劇」=尊敬される僧侶の「死」

 童話的語りの中ではあるが、運動のみならず「物語」の起伏を少女主人公の感情に動機を与える形で起動している。おそらく、かつぢの中には戦後手塚マンガが実現するような「物語」漫画への志向があったのではないか?

 3)『ピチ子とチャー公 湖畔の一夏』 

 【図8かつぢ『ピチ子とチャー公 湖畔の一夏』 「少女の友」昭和9(1934)8月号付録 p30-31

 主人公姉妹(とくに姉)の活躍で溺れそうな少女を助ける場面。戦後の白土三平のような運動分節。

【図9同上 p2 風景 → じつは絵だったという漫画的フェイク。実験精神旺盛。

これ以前にも『ペペ子とチャ公の夏休』(「少女の友」19339月号付録)があり、ほぼ同じ姉弟キャラクターが活躍するが、基本的に弟がドジで優しく、姉は活発で運動能力抜群。問題を解決する主役。

 4)かつぢ漫画の「少女」とモダニズム

  松本かつぢは、漫画においてのちの手塚的な表現を目指していた可能性があり、それは主体的に溌剌と行動する少女像に集約されていた。戦前少女雑誌は、少年の「立身出世」主義に対し「良妻賢母」思想に支配され、閉塞した「少女」幻想の圏域に留まったとされる。しかし、ここにはそうしたイメージを破ろうとする「少女」像があったといえるのではないか。また、そのイメージは、彼の弟子だった上田トシ子(『フイチンさん』 3)に受け継がれ、戦後へとつながる。

 松本かつぢ

明治37(1904) 神戸に生まれる。父は貿易商だったが、誕生の頃事業に失敗、裕福ではなかった。

大正10(1921) 17歳。立教中学在学中、教師の紹介で「新青年」(博文館 1920~50年)にカットを描くアルバイトを始める。翌年少年誌、少女誌にも挿絵などを描き、中学を中退。

大正12(1923) 19歳。9月、関東大震災。渡仏を目指して上海に渡る。

昭和61931)年 27歳。帰国後勤めた朝日新聞社を退社、挿絵画家として独立。「少女の友」主筆、内山基と出会う。

 かつぢは大正~昭和モダニズムの中で育まれた明るい抒情を持っていた。映画が新たな芸術として大衆に浸透し、女性、子供向けの消費文化が花開く都市文化の時代であり、そのポジティブな側面がとりわけ彼の漫画に映し出されているのかもしれない。昭和3(1928)年大阪に生まれ宝塚に育った手塚治虫と歳は離れているが、同じ時代の都市文化を背景にモダンな表現を追求したといえる。かつぢは、妹龍子を少女像のモデルにしたといわれる(妹の結婚後、彼の前に現れたのが上田トシ子だった)が、手塚も妹が自分の表現に影響を与えたように語っている。

また、かつぢは戦前からディズニーや『ポパイ』などの漫画映画を好み、戦後は「手塚君と漫画映画を作りたい」と語っていたという。戦前のモダニズム文化の水脈が、戦後に新たな形で展開したひとつの比較例として、かつぢ~上田トシ子と手塚を語れるかもしれない。

 

 1 「少女の友」 実業之日本社 明治41(1908)年創刊 講談社「少女倶楽部」(大正12(1923)年創刊)と並ぶ戦前の代表的な少女誌で、「倶楽部」が小学生対象だったのに対し、「友」は女学生を対象にし、都会的でおしゃれな雑誌だったといわれる。

2 田河水泡『のらくろ』 講談社「少年倶楽部」1931~41年連載(戦前版)

   宍戸左行『スピード太郎』 読売新聞社「読売サンデー漫画」 1930~34年連載

3 上田トシ子『フイチンさん』 講談社「少女クラブ」 1957~62年連載

   ※なお、現在連載中の村上もとか『フイチン再見(ツァイチェン)』(小学館「ビッグコミックオリジナル」2013年~ 単行本①201310月刊)には、上田トシ子と松本かつぢの師弟関係が描かれている。

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