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夏目房之介の「で?」

論文の「引用」と著作権法

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9月25日の学習院、僕の批評研究ゼミで、「引用」と著作権に関する講義を行いました。
以下、そのレジュメです。なお、引用した宮本大人氏の論文を、改変して例とした部分については宮本氏の許諾を得ました。

2013.9.25 マンガ・アニメーション批評研究ゼミ

 論文の「引用」と著作権法 夏目房之介

 1)論文の引用例 宮本大人「昭和50年代のマンガ批評、その仕事と場所」より

  「ぼくら」にとって、「日常性をとび越える」ことは、目の前にある「日常性のリアリティー」から逃れることではなく、それを通過したその「向こう側」にしかありえない、という認識を与えてくれたのは「青年まんが」であった。しかし、1970年代に入ってからのそれは「日常性を切り捨て、ひたすらロマンの自閉の道を目指した、小池一夫、梶原一騎の原作」18)の方向と、「何をやっても先がみえてしまっている、日常の枠からとびだしてみせることの困難さを知ってしまっている世代」に「共通の認識」19)に寄りかかるようにして、「ついに日常性へと埋没してゆく」20)方向とに、収束していったと村上は言う。

   だが、七〇年代には、ぼくらのあれほど待ちのぞんだ「われらの時代」は、ついにやって来なかった。(略)その空白は七五年秋、ぼくが「ポーの一族」に出会うまで、ぼくのなかで続くのである21)

 18)同書、p12 【夏目註 村上知彦『黄昏通信(トワイライトタイムス) 同時代のまんがのために』(ブロンズ社、1979年) 文中、引用註番号のない「日常性をとび越える」「日常性のリアリティー」も、直前に引用された同書から】

19)同書、p32

20)同書、p45

21)同書、pp.12-13

  宮本大人「昭和50年代のマンガ批評、その仕事と場所」 「立命館言語文化研究」2001年 第13巻1号 

 

2)悪例

 

 70年代以前の村上知彦にとって、日常性をとび越えることは、目の前にある日常性のリアリティーから逃れることではなく、それを通過したその向こう側にしかありえなかった。その認識を与えてくれたのは「青年まんが」であった。しかし、1970年代に入ってからのそれは日常性を切り捨て、ひたすらロマンの自閉の道を目指した、小池一夫、梶原一騎の原作の方向と、何をやっても先がみえてしまっている、日常の枠からとびだしてみせることの困難さを知ってしまっている世代に共通の認識に寄りかかるようにして、ついに日常性へと埋没してゆく方向とに、収束していったと村上は言う。

 だが、七〇年代には、村上のあれほど待ちのぞんだ「われらの時代」は、ついにやって来なかった。その空白は七五年秋、村上が「ポーの一族」に出会うまで、ぼくのなかで続くのである。

 

 村上の著書から多く転載しているにもかかわらず、論文執筆者の地の文と区別されておらず、どこまでが執筆者の文で、どこが転載部かわからない。文章の意図が曖昧になり、出典も明示されていない。厳密にいえば、これは執筆者による村上言説の要約ではなく、剽窃とみなされるかも知れない。ちなみに、厳密にいうと、ここで悪例として提示した文章は、「著作物の改変」にあたり「引用」とはみなされない。

 

2)引用のポイント

 ①区分、主従関係  引用例では、引用文と本文(地の文)の区分が明瞭で、主従(論文本体が主で、引用はあくまで従の関係)が明確。かつて、美術展の図録図版を「引用」として裁判で否定された例がある。

②改変 引用部は、著作物を忠実に再現している。著作物を必要以上に改変していない。(「ママ」の使用)

③出典の明示 引用の掲載誌(その発行年度、発行元、頁)、単行本(同上)、必要があれば両方の明示。

④必然性 村上知彦の歴史的マンガ論言説の読み解きのための引用であること(必然性)が明らか。

⑤原著作物の公表  公表された著作物の引用でなければならない。私信、子供の落書きといえども著作物性があり、その公表権は著作人格権に保証されているので、著作者の許諾が 必要。私信の場合、所有者の所有権が著作権を意味しない。あくまでも、その著作物をあらわした権利者に著作権がある(著作隣接権移譲などの契約がある場合 を除く。ただし著作人格権は移譲できない)。

 3)著作権引用条項 第32条(引用)

 ①公表された著作物は、引用して利用することができる。

 この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。

②国もしくは地方公共団体の機関、独立行政法人または地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。

 ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りではない。【下線 引用者】

  三修社編集部編『ヨコ組 知的財産権六法 二〇〇八』三修社 2007年 p352

   「引用」は、文化発展のための法である著作権法が、権利の保護だけではなく、その社会的利用について、権利の制限を定める条項の一部である。著作物(創作 物)は、社会に共有されることで文化の一部をなし、発展し継承されるという立場からすれば、権利のみの規定は文化共有発展の障害となりうる。この点を理解 しない著作権者の主張がしばしば見られる。著作権法は、文化価値を維持するための法とする観点が必要である。

 その中に、「報道、批評、研究その他」における自由な利用が含まれるのだろうし、著作創作のみならず、それへの批評研究もまた重要な文化価値である。

 また、「引用」と「転載」が異なることにも留意。一般に許諾を必要とするのは「転載」であり、「引用」に許諾は不要。「引用の許諾」は語矛盾になる。WEB公開(公衆送信)にあたっても同様である。

  著作権法 第1条(目的)

 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。【下線 引用者】

  同上

 4)「引用」理解の曖昧さ、「鑑賞性」の有無、「フェアユース」(米)概念 別紙①②資料参照

 ①北村行夫『新版 判例から学ぶ著作権法』太田出版 2004年 p295~296,p307~309

 ②夏目房之介『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』NTT出版 2004年 p156~159

 

参考文献 岡本薫『著作権の考え方』岩波新書 2003年

       宮田登『新訂1版 学術論文のための著作権Q&A 著作権に則った「論文作法」』東海大学出版 2005年 他

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