村上もとか『フイチン再見』と松本かつぢ
「ビッグコミックオリジナル」に村上もとか『フイチン再見(ツァイチェン)』が連載されています。僕が読んだのは7~8回目ですが、まだ単行本は出てません。
舞台は昭和戦前期の東京、主人公は上田トシコ。そう、戦後の少女雑誌連載『フイチンさん』の作者です。『フイチンさん』は、1957~62年、「少女クラブ」に連載されたマンガで、満州を舞台に、超元気で明るい満州人の女の子フイチンさんが主人公でした。おそらく4つ上の姉が読んだ本か雑誌だと思いますが、僕も読んだ記憶がありますし、好きでした。絵がきちんとしていて、動きがあって、上品なのにお転婆なマンガでした。
上田さんには、一度インタビューをさせていただき(『あっぱれな人々』小学館 2001年 所収「大陸の風を描いた女性マンガ家」)、すでに84歳ながら、とても闊達で、まさにフイチンさんのような方でした(90歳で亡くなられた)。一時満州に住まれ、その経験から『フイチンさん』を描かれたわけですが、それにしても当時、満州を舞台に現地の人を主人公にしたマンガ作品なんて、おそらく相当珍しかったはずです。いや、それ以降も、あまりないんじゃないでしょうか。
『フイチン再見』の連載上では、今、上田さんが松本かつぢのお弟子さんになっています。これは事実で、松本かつぢは戦前戦後を通じて女の子向け挿絵画家として有名でした。かつぢの絵は、これまた上品で、しかし湿っぽさがまったくなく、カラッと陽性。大正昭和のモダニズムの、もっとも明るい少女像をモダンでおしゃれに描いた印象でした。
かつぢは、少女雑誌の挿絵画家(竹久夢二の影響もあって「抒情画」とも呼ばれた)として人気がありましたが、マンガも描いていました。そのマンガを見ると、なんとも上田トシコ作品にそっくり・・・・というか、影響関係では逆ですが、びっくりしたものです。
じつは、松本かつぢは戦前、マンガを雑誌にも、その付録にも描いています。そのひとつが、ずいぶん以前、このブログでも触れた『?(なぞ)のクローバー』という、『リボンの騎士』も真っ青な覆面少女騎士のお話。これを見たときは、ほんとにひっくり返りました。何せ、子どもマンガとは思えない等身のスタイルのいい女の子がマンガの中で躍動してたんですから。これは少女マンガの、いや戦前マンガのイメージを変えるな、と思った。
ところが、雑誌というのは、付録まで保存する習慣が図書館にはない。むろん、国会図書館にも残っていない。それもあってか、これまで松本かつぢのマンガは、ほとんど知られていなかった。そういうことを、弥生美術館(竹久夢二美術館と並立)の学芸員の方が調べられて、こんど展示が行われます。以前にも「松本かつぢ展」をやっていますが、今度は秋に、僕の講演も含めて開催されます。
というわけで、学芸員の方からお招きいただき、松本かつぢ先生の娘さんとご一緒に、あと少女マンガ研究者として藤本由香里さんにもおいでいただいて、かつぢのマンガ作品を、弥生美術館で見せていただきました(かなり前の話になりますが)。いや、びっくりでした。松本かつぢは、動きのあるマンガを描きたくて、こんなにマンガを描いていたんだ、というのが強烈な印象でした。おそらく、昭和モダンの活気を少女に投影して、絵を動かすマンガという形で表現したかったんだろうと感じます。そうそう、上田さんはそんな少女像のモデルだったんですね。上田さんも、そんなお話をしてくれていました。
娘さんは、かつぢ先生がしきりに「手塚君と動画がやりたい」とおっしゃっていたと教えてくださいました。この話は印象的で、おそらく松本かつぢの頭の中には、戦後、手塚がやったような「動きのあるマンガ」が、アニメーションのようにすでにあったのかもしれない、と思いました。そして、驚いたことに、満州を舞台にしたマンガも、かつぢは描いていたんです。中国がお好きだったようです。上田さんは、まさしく師匠がやりたかったようなマンガを、戦後に花開かせたんだろうと思います。
じつは、色々見せていただいた付録マンガを撮影し、画像もあるんですが、まだご遺族の許可を取ってませんので、取り次第に一部紹介させてもらいます。また、僕のブログの過去記事も、事情があって、しばらくしないとデータが入手できないので、こちらも入手次第再アップするつもりです。