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夏目房之介の「で?」

NHK『八重の桜』のこれからと『ある明治人の記録』

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『八重の桜』は、会津戦争が終わり、これから過酷な会津人の経緯が描かれることになりそうだ。興味のある人に、ぜひすすめたい本がある。

中公新書『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(石光真人編)は、1971年初版以来、今も読み続けられている名著。会津藩の上級武士の子であった柴五郎の、会津落城以来の苦闘の人生を書き残したものを、石光真人が編集した書。10歳で会津戦争を経験し、母と姉妹全員が自決し、様々な苦労をへて軍人となった柴五郎は、明治10年の西南戦争に参加。多くの会津人が同様に軍人、警察隊として参戦し、会津戦争の仇を討つ。その頃の心情の率直な吐露は、心を打つ。柴五郎が世話になった熊本人・野田編者意石を介して、柴は編者石光真人の父・真清と友情をはぐくむ。その縁で、本書は世に出ることになった。会津の運命について知りたい人、興味のある人には、ぜひ読んでみてもらいたい。

柴は、陸軍に入り、1900年の義和団事件のとき北京で活躍し、彼と当時の日本軍の規律正しさに信頼した英国が日英同盟締結にいたったとされる。また、やはり幼少時に熊本で神風連の乱に出会った石光真清は、その後シベリアに軍の密偵として潜入し、やがてロシア革命をも身近に経験する。その信じがたい世界史的経験談は、中公文庫『城下の人』以後4冊の自伝に残されている。柴五郎と石光真清は、しかし生涯お互いの軍人としての経験については、まったく語り合っていなかったらしい。柴と石光の自伝的記録に、孫文を助けて中国革命に投じ、今も中国では「いい日本人」として記憶される宮崎滔天の『三十三年の夢』は、日本の近代史の中で主流にならなかった思想を感じさせる記録である。彼らは、いずれも中国に詳しく、日本軍の中国侵攻に批判的であった。
柴五郎は、太平洋戦争が始まった当初から石光真人に「この戦は負けます」といい、その意見をついに変えなかったという。日清戦争で中国に勝った日本人の傲慢を批判した日本人に、勝海舟と漱石がいる。そうした系譜があり、それが覆い隠されていったのが、ある意味で戦争への歴史で、同時に戦後の近代史なのかもしれない、などと昔思ったものでした。

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