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夏目房之介の「で?」

龍の意味

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李老師曰く、龍の動きで学ぶ通順とは、動きのなめらかさ自体を意味しない。どんな状態でも留まることのない途切れない運動が龍である。身体はもちろん思考においても、動きを区切って制限してはいけない。龍は完全なる自由である。」野村八戒さん訳

先日の講習会で、ひさしぶりに双換掌、回身掌をやったとき、李先生がいわれたことだ。
その直前の練習では、じつは大きな動きで練習したあと、小さな動きもやるといわれ、単換掌のコンパクト版をやった。それは、おそらく翌日の対錬を想定したの練習(僕は出られなかった)だと思うが、なるほど、と感じた。そういう意味では「実践的」(実戦的ではなく)な練習かもしれない。

が、こんどは「大きく」「自由に」である。ところが、ほんとに久しぶりにやった双換掌は、何というか、これまでに感じたことのない気持ちのよさを感じた。極端にいって、自分の周囲の空間に関しては、何も怖くないみたいな静かな高揚があって、自分の体がこれまでの限界や区切りを超えてのびやかに広がるような、まさに自由で、不思議な感じだった。
とくに途中で李先生から双撞掌のとき前後に伸ばす腕を「もっと大きく」と直されたあと、すごく気持ちが広がった感じがする。精神が高く、広くなり、自在な感じを持てたのだ。もちろん、実際に戦えるとかどういうことではない。そうではなく、李先生がいわれた龍の「神(精神?)を養う」という側面を、やっとほんの少し感じられたのかな、ということである。大げさにいえば、ね。

こいうのは、とても書くのは難しい。実際、このレベルの感覚は、主観的なもので、それ自体客観的に検証されうるものではない。自分の内部の問題だから、たんに「思い込み」である可能性を論理的には排除できない。逆に、思い込みたい人たちは、そこに何か神秘的なものを見て取りたがると思う。そういうことを考えてしまうとブログに書くことは躊躇しないでもないのだが、しかし鍛錬過程の報告と記録として残しておきたい。

双換掌のあと、休憩中に李先生と話した。いつものように「どうだった?」と聴くので、「今まで経験したことのないほど気持ちがよかった」といったら、「そうだろう。見ていてわかった」といわれた。そこで「こういう内部のことを、どうやって教えるんですか?」と聴くと、「どうやって、とかはいえない。それは、ほんの一言とか、何かちょっとした動きを示しただけでも、そのレベルにくると、ぱっとわかって変化するものだ」というようなことをいわれた。たしかに、李先生は双撞掌の腕を指して「もっと大きく」といわれただけだった。

今年は、前半甲状腺の病気でだいぶ後退してしまったが、そのあと始まった講習会では、これまであまりやらなかった単勾式、獅子形、さらにあらためて熊形をやり、そのつどあらたなレベルを感じた。その上で、今回龍形に戻ったのだが、すでにそれ以前の過程で、自分で練習していた龍形も変化していた。腕の伸び、背中のひっぱられる感じ、腰のねじりの充実感など。
それでできてきた体でやった双換掌は、これまでとは違う感覚で、周囲の空間を領する自分の動きが、まるで以前ワークショップで経験したモダンダンスの演技のように心地よいのだ。

それが李先生のいうレベルの「神」へのとば口なのかどうか、僕には判断できない。ただ、李先生のこれまでの指導が的確にレベルアップを保証してくれたという経験則があるだけだ。僕としては、それが勘違いであろうと、思い込みであろうと、あるいは事実何か次のレベルを示すものであろうと、一瞬にせよ、これほど心と体が自在で気持ちいい状態になるものなら、またそれを経験したいと思う。

後半に練習した回身掌は、それほどうまくできなかった。そもそもちゃんと憶えていない。双換掌ほど、それぞれの動きがつながってできない。この動きと、次の動き、という具合に分節してしまうのだ。ただ、最後にくる下勢は気持ちよくできた。キツいのだが、龍の上下の動きを意識すると、とても気持ちいい。双換掌も回身掌も、今までよりキツくできてしまうし、それが正しいと体がいうので、余計しんどいのだが、それと比例して気持ちいいのだ。
李先生が近寄ってきたので、また直されるのかと思ったら、下勢を褒められた。若い人より、ずっとよくできてる、と。ほんと、おだて上手なんだから、李先生ったら。

冗談はともかく、その後、自分で練習してても、ねじりの感覚が強まり、日々進化を感じられる。62歳になって、まだ進化できるって、凄いよなあ、って思う。

そうそう。最近、またいったん体重が減り、今戻りつつあるところだが、どうも体力と体重のバランスが絶妙なようで、信号が変わるのを見て、50メートルほどダッシュで走るのが楽しみになっている。あの、風を切って加速していく感じは、たしかに若い頃感じた爽快感で、とても嬉しい。体重が増えてくと、そうもいかないだろうけど、今のところ、それで心臓がばくばくするようなこともなく、それどころか息もほとんどきれない。いや、馬貴八卦掌、僕にはなくてならない、すばらしいエクササイズです。

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