2012年度「現代学入門」マンガ編レジュメ
2012年秋の、学習院大学「現代学入門」のマンガ論講義(2コマ)用レジュメです。
2012.11.29・12.6 現代学入門⑤ 「家族」―マンガでみる家族― 夏目房之介
1)「家族」が当たり前のマンガ
長谷川町子『サザエさん』「夕刊フクニチ」(地方紙)46年~「朝日新聞」51~74年 TVアニメ 69年~
磯野波平・フネ(旧姓・石田) 長女・サザエ 長男・カツオ 次女・ワカメ
46~7年頃? サザエ、フグ田マスオと見合結婚(福岡地方紙から東京全国紙へ) 磯野家と同居 タラ誕生
★二世帯同居(妻方) 7人家族 【図1】アニメ版磯野家間取り 50年頃の世帯平均数=約5人【注1】
家族像【図2】 コタツで団らん 原作者・長谷川は未婚で、母、姉妹と同居
藤子・F・不二雄『ドラえもん』69~96年(F死亡) 「小学1年生」同「2,3,4年生」連載開始~「コロコロコミック」(77年~)など 73年初TVアニメ化 79年再アニメ化
70年頃 野比のび助(父) 玉子(旧姓・片岡) 息子・のび太 核家族+居候・ドラえもん 3~4人?
★核家族 3人家族 70年世帯平均約3.7人 05年同2.6人【注2】 高度成長期をまたぎ核家族化の進行、家族構成員の縮小 家族像【図3】 建売住宅 2階子供部屋 父和服、土管などすでにアナクロ郷愁も
「パパ、ママ」は恋愛結婚 高度成長期60年代半ばに恋愛結婚数が見合結婚数を抜く
★子供向けSFコメディとして冒険もあるが、必ず安心して帰れる場所としての家庭
★明治大正期から生活風俗描写としての「家族」は存在 岡本一平『オギアより饅頭まで』「東京朝日新聞」1921(大正10)~21年 『人の一生』「婦女界」24(大正13)~29(昭和4)年
【図4】夫婦、子供の家族成立=人生
★横山隆一『フクちゃん』「東京朝日新聞」36 (昭和11)~44年 「毎日新聞」56(昭和31)~71年 【図5】
当初『養子のフクちゃん』叔父の養子が主人公 新聞生活マンガ 子供が多く、養子も盛んだった
2)「家族」を必要としないマンガ
織田小星、樺島勝一『正チャンの冒険』「アサヒグラフ」「朝日新聞」23(大正12)~14年他
子供向け人気マンガの少年主人公の冒険物 「家族」は出てこない 少年の冒険と家族の排除
田河水泡『のらくろ』「少年倶楽部」31(昭和6)~41年 島田啓三『冒険ダン吉』同上33~39年
いずれも見なし子か、家族なし エルジェ『タンタン』(29年~ )など、海外でも伝統的にそうか?
手塚治虫『鉄腕アトム』「少年」52~68年 は「息子」として誕生し、やがて人為的に家族を後天獲得
★男の子向けのヒーロー物では、比較的「家族」は後景に退き、あるいは排除され、出自を問われない
「少年」や「青年」男子は、「家」のしがらみから離れ、冒険と空想に、向かっていた
50年代流行した絵物語『少年ケニア』『沙漠の魔王』など、親を離れ、あるいは父子のみ流浪する冒険物もあるが、そこに「家族像」を見出すことはまれ
★「週刊少年ジャンプ」など、王道バトル冒険マンガでは、多くの場合「家族」は描かれないが、ときに「血」の問題は冒険する主人公の背景となる 『巨人の星』の父子~『ジョジョの奇妙な冒険』「週刊少年ジャンプ」87~04年 「血」をめぐるスポーツ物、冒険物 家族をなす親子・血縁関係を「力」の源泉として抽出
梶原一騎、川崎のぼる『巨人の星』「週刊少年マガジン」66~71年 父、姉、弟 3人家族(母の不在)【図6】
★父のコンプレックスを継承し、やがて離脱する「成長物語」としての少年マンガ 家族は途中で退く
鳥山明『ドラゴンボール』「少年ジャンプ」84~95年
ジャンプ型バトル物の原型を完成したともいえる作品で、本来なら「家族」を排除する主題だが、特異なことに主人公は「成長」し、「結婚」し、息子をもうけ「家族」をなす 「血」の問題も色濃く反映する【図7,8】
3)憧れの家族像
★戦後、米占領後、TVドラマなどで米国のライフ・スタイルと家庭・家族像が輸入される(戦前から「モダン」のイメージとともに米コミック・ストリップ『親父教育ジグスとマギー(Bringing Up Father)』「アサヒグラフ」23年~ などが翻訳され影響を与えている)
チック・ヤング(Chic Young)『ブロンディ(Blondie)』「朝日新聞」49~51年(米30~) 夫婦物
★掃除機、冷蔵庫、洗濯機、特大サンドイッチ、「豪華」な部屋・家具など、敗戦日本からみた米国の中流生活への憧れ 60年代、高度成長期に、「三種の神器」とされた家電は日本家庭に浸透する 【図9】
『サザエさん』的大家族と対照的な、占領期理想像としての「核家族」 民主的「夫婦」像 しかし、『サザエさん』が現実を反映し、理想的でなかったとはいえない。
ジョージ秋山『浮浪雲』「ビッグコミックオリジナル」73年~ 【図10】
幕末、品川付近の運送業の親方・雲 妻(かめ)、長男(新之助)、のち長女(花) 4人家族
いい加減な遊び人で浮気もするが、妻と子も大事にし、周辺住人の人気者の夫 じつはラディカルな思想の牙を隠し持ち、仕込杖の使い手 討幕運動に誘われるが断る 新撰組の沖田総司とも交流
★連載開始の73年、戦後ベビーブーマーは成人し、連載中に結婚・出産を迎える。学生運動、ベトナム反戦を経験しながら、就職・結婚してゆく彼らにとって、浮浪雲はある種、理想的な社会への着地イメージだった。
猫十字社『小さなお茶会』「花とゆめ」78~87年 【図11】
もっぷ(夫) ぷりん(妻) のち長女 猫の夫婦を主人公に、ファンタジックでメルヘンな夫婦生活を描く 4コママンガから次第に長編化 登場人物は善意と愛に満ち、老夫婦のカブトムシの死でさえも美しい
★少女マンガの読者層が上がっていった時期に、理想的な「夫婦」のディテールを描く。
〈男女の恋愛をそのまま結婚に一致させた理想形で、男女一対の時間だけに閉じてこそ成り立つユートピアだった。夫の猫がおいしいお茶をいれ、その音やかおりを半分目覚めながら待つ妻の猫。声をかけられるまでの幸せな時間【図11】。たしかに「理想のような瞬間」見える。が、恋愛や結婚の中でじっさいにも存在しうる瞬間だ。他のさまざまな葛藤や行き違いや外的な諸問題を、とりあえず棚上げしてしまえば。〉夏目【注3】
★当時、戦後ベビーブーマーの夫婦は「ニュー・ファミリー」と呼ばれた。大学生活で出会った友達的夫婦で、仕事よりも家庭を優先し、おしゃれで余暇を楽しむ消費層とみられ、高度成長期のモーレツ社員世代と比して、安定成長期の家族像を意味した。
4)「当たり前」ではない「家族」
★50~60年代前半までの子供向けマンガでは、多くが片親 戦争の影響で、戦災孤児が社会問題化し、父が死に、母子家庭だったり、家族離散して母をさがしたりする状態はじっさいに存在した
福井英一→武内つなよし『赤銅鈴之助』「少年画報」54~60年 江戸後期の少年剣士物 【図12】
★父不在 母と生き別れ ようやく出会った母は、剣を学ぶ息子の気がゆるむのを恐れ名乗らない
牧美也子『マキの口笛』「りぼん」60~63年 母恋物バレエ・マンガ 姉妹家庭 【図13~14】
★母が死に、銀行員の姉と暮らすバレエ少女マキが主人公 超豪華な家(マンガの「憧れ」=欠落充足機能)
じつは母は女優で、それゆえ名乗れないことが判明 姉は反発し、マキはなつく 家族の関係性を主題化
★「家族」の問題を、その内部に掘り下げる視線は「少女マンガ」にこそあった 母恋物は当時少女マンガの王道路線→やがて学園物、恋愛物へと移行 欧米への憧れの強さ→次第に自分自身の生活へと視線が移行
「少女マンガ」は「家族」「恋愛」など、人間関係を主題化する 心理劇の側面が拡大
〈少女マンガにおいても、離婚問題や私生児という設定が八〇年代末頃から目立って増えてきた。それもかつてのような描き方ではなく、たしかに少女たちをとりまく現実として取り上げられている。〉藤本由香里【注4】
【図15】近代日本の離婚率 近代国家(婚姻、離婚の届出制 意識の抑制)以前は比較的自由に離婚できた
明治31年民法制定で激減し以後戦争期まで減少(他の先進諸国では増加) 63年より増加 90年代顕著に増加 03年以降減少(若者の結婚減少のため?)
西原理恵子『ぼくんち』「ビッグコミックスピリッツ」95~98年
母(家出癖) 姉(物語冒頭で帰ってきた母が「買って」きた) 兄弟 のち母再び家出→3人家族
【図16~17】 全員異父 男や父親は、ここでは常に流れていってしまう 姉が「母」がわりとなる
【図18】 主人公兄弟の母も流浪の民で、よそに子供もいる 泣く弟を殴って「笑え」という姉
【図19】 一度帰ってきた母は家の権利証とともに消え、兄弟は家を失う その後も父代りの男がやってきて去り、兄がいつか働いて買い戻そうとしていた家も、姉が最後に団欒した後、燃やしてしまう。兄も姉も去る。
★小市民的な「家族像」の底を割ってしまった作品 悲惨極る説話を一見「かわいい」記号的な絵で楽天的に描く 記号的な表情の虚無(とくに目) 大和絵のような風景の単純化された「抜け」が救いに
〈あまりにも記号的なので、その悲惨な現実との間にすごい落差が生まれて、なんか、それが笑いに見えない笑いの記号に見えちゃうという、その辺がね、絵としての西原さんの面白さだと思うんです。[略]この炭団目というのは、手塚治虫が、かつて戦後マンガを生み出した時に、これを一生懸命苦労して変えて、いろんな目の心理表情を作り上げてきた後に、それを否定した形で出てきた目なんです。〉夏目【注5】
★バブル崩壊後、「モラル崩壊」が語られる時代の「家族像」崩壊をネガティブな視線だけではなく「当たり前」であるかのように描く 女性の目線で「家族」や「家族のようなもの」のありようを見ている
★父の不在と「母性」〈まず目を奪うのが、父親の不在あるいは無責任な父親というモチーフである。[略 カリブ海の島々の文学を連想させるが]そこでは、「父親」の影はきわめて希薄であり、次から次へと女をはらませて、生まれてきた子供の面倒をみることのない男たちが影のように物語世界を横切っていく。[略]『ぼくんち』では、母性愛がないことは、欠損でもなんでもなく、単なる「不在」でしかない。[略]だからといって「母性」が否定されているわけでもない。いや、『ゆんぼくん』にしても『ぼくんち』にしても隅々まで「母性的なもの」が充満していると言ってよいくらいである。〉小野正嗣【注6】
★「学校」の不在〈「学校」という制度にかたくなに場所を与えないという点で、西原理恵子の二作品に描かれる世界は、学校を通じて社会的なヒエラルキーを昇ることが可能になるような近代的なシステムにのっかることを完全に拒否している。その意味でこれらの作品は、反「ふつうの社会」――「ふつう」とされる規範を個々人に押しつけ、例外を認めようとしない社会――であると言ってもいいし、前社会的と言ってもいいかもしれない。〉小野【注7】
★学校制度をインフラとする近代社会と市民の関係(19世紀欧州で完成し、日本も輸入)において成立した近代「家族・家庭像」からの逸脱 「崩壊」によって何が見えてくるのか それを肯定することは可能か
5)「家族」のようなもの
古谷実『僕といっしょ』「ヤングマガジン」97~98年
【図20~21】 母が死に、義父から逃れて家出した14歳と小3の兄弟が、シンナー中毒の孤児と空き家に同居し、さらに父と娘の住む理髪店に居候 ギャクマンガだが、悲惨な状況で生じる「疑似家族」を描く
★古谷は前作『行け!稲中卓球部』でそうだったように思春期物の延長で描いている 思春期物では鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』(「週刊少年チャンピオン」77~79年)などもそうであったように「家族」は後景に退く
★『巨人の星』同様の「思春期」男子の「家」からの離脱、自立のモティーフを持ちつつ、近代家族の「ふつう」を逸脱する「疑似家族」のイメージが描かれる 血縁の親子でなくとも「家族」は可能ではないかという問い
★「疑似家族」的なマンガは、あずまきよひこ『よつばと』(「月刊コミック電撃大王」03年~)など、多い
吉田秋生『海街diary』「月刊フラワーズ」07年~
【図22~23】両親が離婚し、父は他で再婚、母も再婚して家を出、三姉妹で同居 物語は父の死で始まり、葬儀に参加したとき、やはり母の異なる義妹に当たる中学生の少女と出会い、彼女を引き取ることになる
★母子、父子でなく、ここでも兄弟姉妹を軸とした「家族のようなもの」が描かれる 父は
★現実的な「家族」「親族」の問題が描かれる 父は、再婚相手が死に、娘を連れて温泉町で連れ子のある女性と再々婚、中古住宅を購入後ガンで死去 現在の妻側は相続放棄を打診(法律のままであれば全財産を法定相続人で均等割り) 預金などは死後、凍結されることなども描かれている
★父は、だらしがないが、同時に「やさしい人」でもあったことが次第に明らかになる 「ダメな父」像と同時に娘たちを捨てた母など、女性からの視線は『ぼくんち』同様に冷徹だが、市民社会規範も描いている
★女性作家を中心に、姉妹が「家族」を成す作品は、羽海野チカ『3月のライオン』(「ヤングアニマル」07年~)など数多い 女性側から「家族」を問う視線は、マンガにおいて活発に見られる
6)「家族」を描くとはどういうことか
★自然な環境であるかのように「当たり前」に「家族」を反映してきたマンガは、一方で「憧れ」を、他方で「喪失」の悲劇を描き、戦後マンガが思春期を迎えると「家族」からの自立、逸脱をくりこみ、やがて「崩壊」や「疑似家族」を描き、兄弟姉妹による「家族像」のモティーフにたどりつく
★これは一種の設定類型にもなるが、同時に近代家族像を超えた「家族」は可能か、という問いを包含しているようにみえる
★男性の長時間労働、女性の社会参加、個人化の進行で「家族像」は変化し、絆は希薄化しているといわれる。が、じつは〈日本家族の象徴的存在であった老親・夫婦・子どもがそろって同居する「三世代世帯」〉は、05年においても全国445万世帯(80年で522万世帯)と、北西欧州諸国に比して圧倒的に多く〈直系家族の伝統がよく残っている〉【注8】
★また、「家族」への「憧れ」、希望はむしろ高まっている。「国民性調査」(統計数理研究所)によれば、「あなたにとって一番大切なもの」の回答で、58~73年までは「生命・健康・自分」「愛情・精神」が1、2位だったが、83年に「家族」が1位となり、以後増え続けている【図24】
★日本のマンガにみられる「家族」や、それに準じる絆への希求の強さは、こうした〈直系家族〉の伝統や、「憧れ」の強さ、またそれを現在の現実にあわせた新たな「家族像」へと向かわせようとする無意識の模索を意味しているのではないか
★とりわけ、人間関係と心理を主題としてきた女性向けマンガにおいて、女性の側からの模索がさかんに行われていることは、日本マンガに特徴的である
注1 湯沢雍彦、宮本みち子『新版データで読む家族問題』NHKブックス 2008年 p17 図表「普通・一般世帯平均人員の推移」
注2 同上
注3 夏目房之介『マンガに人生を学んで何が悪い?』ランダムハウス講談社 06年 p196
注4 藤本由香里『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』学陽書房 98年 p90
注5 キネ旬ムック『「マンガ夜話」7 「青木雄二「ナニワ金融道」 西原理恵子「ぼくんち」 福元伸行「賭博黙示録カイジ」』 キネマ旬報社 00年 p121 『ぼくんち』「夏目の目」コーナー
注6 小野正嗣「母性と幼年期 西原理恵子『ゆんぼくん』と『ぼくんち』について」 「ユリイカ」 06/7 「特集・西原理恵子」 p92~93
注7 同上 p98
注8 同上 p24
図1 『アニメ サザエさん公式大図鑑 サザエでございま~す!』扶桑社 2011年 p108
図2 長谷川町子『別冊サザエさん』第2集 59年 p19
図3 藤子・F・不二雄『ドラえもん』1 小学館 74年 p12
図4 岡本一平『オギアより饅頭まで』 清水勲、湯本豪一『漫画と小説のはざまで 現代漫画の父・岡本一平』文芸春秋 94年 p111
図5 河合隼雄、作田啓一、多田道太郎、津金沢聡広、鶴見俊輔『昭和マンガのヒーローたち』講談社 87年 p65
図6 梶原一騎、川崎のぼる『巨人の星』1 講談社 95年 p25
図7 鳥山明『ドラゴンボール』17 集英社 89年 p33
図8 同上 p55
図9 岩本茂樹『憧れのブロンディ 戦後日本のアメリカニゼーション』新曜社 07年 p83
図10 ジョージ秋山『浮浪雲』2 小学館 75年 p20
図11 猫十字社『小さなお茶会』2 扶桑社 04年 p41
図12 武内つなよし『赤銅鈴之助』1 小学館クリエイティブ 07年 p50
図13 牧美也子『マキの口笛』小学館クリエイティブ 06年 p24
図14 同上 p179
図15 前掲『データで読む家族問題』 p203
図16 西原理恵子『ぼくんち』1 小学館 96年 p5
図17 同上 p8
図18 同上 p16~17
図19 同上 『ぼくんち』3 p67
図20 古谷実『僕といっしょ』1 講談社 98年 p20
図21 同上 『僕といっしょ』4 98年 p4
図22 吉田秋生『海街diary』1 小学館 07年 p65
図23 同上 p78
図24 前掲『データで読む家族問題』 p241