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夏目房之介の「で?」

谷口ジロー『遥かな町へ』

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読み直して、あらためて思う。名作である。
米澤記念館での谷口さんとのトーク、先日の鳥取でのブノワ・ペータース氏をまじえたトークでも、この作家がいてくれたことの可能性(マンガとBDの同一性と差異の検証)を感じた。
ペータースさんは、僕との雑談の中で「谷口のマンガは、BDと日本マンガの間にある」というようなことを語っていた。その通りだと思う。谷口マンガには、彼のいう通り、世界のどこにでも通じ、また世代を超えた普遍性があり、だから欧州で映画化もされるのだ。

映画は、素敵に美しく、かわいい物語だったが、できれば映画を先に観て、それから原作を読んだほうがいいように感じた。もちろん、日本初上映の映画を、原作を読んだうえで観て面白かったという人もいたが、僕にはやはり細部の演出、人間関係の錯綜など、原作との比較が頭に浮かんでしまい、「ああ、ここはこうだったよな」「ここは、やはり原作のほうが」などと思ってしまうのだ。それほど、原作は細心の注意を払って描かれている。また、マンガの絵で見せられると、実年齢48歳の主人公が14歳になってしまう設定は、わりと無理なく受け入れられる。が、実写映像の生々しさの中では、違和感が残ってしまうように感じられた。

僕は谷口さんの作品が好きだが、中でも『遥かな町へ』や『父の暦』の切なさは深く心に残っていて、あちこちで触れている。『遥かな町へ』の「ビッグコミック スペシャル版」(2005年)には解説も書かせてもらっているし、今回の鳥取原画展のパンフには、角度をかえて谷口論を書かせていただいた(ちなみに、このパンフには藤本由香里、宮本大人、ブノワ・ペータース諸氏も書いていて、豪華な執筆陣である)。だが、原作を読み直すと、もっともっと語りたいことがあるように感じる。

原画展会場には、フランス・アマゾンのコメント欄にある読者評のいくつかが翻訳され、パネル化されていて、すごく面白い。とくに、普段BDですら読まない人たち、それも十代から50代にわたる幅広い世代の人たちが、その驚きを語っているのが感動的だ。向こうにはクリスマスに本を贈る習慣があり、それでもらって気に入ったという声がいくつもある。谷口さん自身、サイン会をすると、幅広い読者からサインを求められて驚くといっていた。
トークの中で「もはや日本でより、欧州での人気が高い」と僕がいうと、谷口さんは「日本でも、もっと人気が出るといいんだけど」と笑った。

谷口作品は、ある時期(ほぼ『「坊っちゃん」の時代』以降)から、あまりに緻密な演出と描きこみで、日本マンガ一般の「読み」の質量をはるかに越えてしまった印象がある。じっくりと、没入するように読む時間は、他の連載マンガの多くとは一線を画す。そこが、BDとも似ており、また日本では一種気合を入れて読まねばならない敷居の高さになるかもしれない。それがまた谷口作品の魅力であり、世界性につながる要素にもなっている。フランスの知識人に長く愛される小津映画のように、今後も世界に浸透してゆくだろう。
そんな作家をもてたことを、日本のマンガ読者や関係者は、誇りに思っていい。谷口マンガは、研究も含めて、欧州との架け橋になりうるものだと思う。

谷口さん、本当にありがとう。

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