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夏目房之介の「で?」

面白過ぎるよ、高取さん(笑

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竹内オサムさんの主催する同人批評誌「ビランジ」30号を送っていただいた。
高取英氏の連載「『漫画エロジェニカ』を中心に・その9」に、78年前後のエロ劇画誌の内幕が書かれていて、むちゃくちゃ面白かった。高取[以下敬称略]は当時「エロジェニカ」編集長待遇(発行人は出版社の社長)で、「劇画アリス」編集長だった亀和田武、「迷宮」グループにいて、同誌編集を継ぐ米沢嘉博と交流があった。また寺山修司周辺にいて、演劇人だった高取は、元青学全共闘で「演劇団」を主宰する流山児祥とも交流があった。
僕は青学出身で、友人が演劇団にいたりして、流山児とも交流があったが(そもそも初めて高取を紹介してくれたのは流山児だった)、エロ劇画誌の内情や、亀和田と高取、流山児の関係については、具体的には何も知らなかった。ただ、噂で何となく剣呑な話を小耳にはさんだり、よくはわからないが論争のようなものもからんでいたらしいと、漠然と記憶していた。時代もそうだったし、演劇関係の周辺では、日常的に喧嘩の話とかが飛び交っていたのだ。
この連載回では、そのあたりの話がごく具体的に書かれていて、ようやく経緯を知った。昔から、誰と誰が仲良くなって、誰誰が喧嘩してとかいう話には、どうもセンサーがないようで、多分知りたいとも思わなかったのだと思う。武闘派じゃないし、気が弱いのだ。

とはいえ、この時代のエロ劇画誌の言説は、マンガ言説の歴史の中でもかなりわかりにくい部分だろうし、ほとんど触れられることのない亀和田のマンガ論の経緯も、本当はもう少し検証しておいていいものなので、マンガ史的にも貴重な証言なのである。
亀和田のマンガ論については、かつて「コミックパーク」サイトの連載「マンガの発見」で3回にわたって書いたことがある(127~129回 2010年2~4月)。そこで僕は亀和田文体への平岡正明の影響を指摘しているが、紹介した彼の〈マンガ界を、底辺を共有する二つの二等辺三角形として示し、一方の頂点が「ビッグコミック」など〈”一般性”〉〈”娯楽性”〉に上昇する領域、もう一方を「ガロ」に集約する〈“芸術性”〉〈”社会的問題意識”〉を頂点とした制度として見〉(127回「亀和田武と『マンガは世界三段跳び』」)る観点が、じつは少し前に当ブログでも書いた平岡正明・相倉久人の「ジャズ表現構造論」の影響をもろに受けていることも、当時からわかっていた。ブログ当該記事はこちら↓
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2012/08/68-13d4.html

その経緯について高取は、こう書いている。

〈ローザ・ルクセンブルグの理論を踏まえて、平岡正明が、「マリリン・モンローはプロパガンダである」で、底辺を共有し、二つの頂点を有する重ねあわされた三角形、すなわち、底辺を五社映画とし、大島渚の知識人映画と、若松孝二のピンク映画の二つの頂点を下向きにする倒立した三角形として描き出すものを紹介していた。私が、この理論(元は松田政男らしい)を、エロ劇画に当てはめることが出来るといったことがある。亀和田武は、「あ、それ、いただき!」と喜んで、商業マンガ誌を底辺とし、一つのマンガ誌を頂点とし、もう一つの頂点を『漫画エロジェニカ』とする文章を発表したこともあった。この点では、亀和田武は、私の弟子であった。(笑)〉(前掲ビランジ」30 158p)

なるほど、これが元になってくだんの論になったのか。大体想像はつくが、当時のエロ劇画誌周辺の言説成立の雰囲気が伝わってくる。高取の「エロジェニカ」と亀和田の「アリス」(こちらは自販機本)は、「プレイガイドジャーナル」誌上で座談をしたあと交換広告をしたり、亀和田の文章を「エロジェニカ」が載せたり、「アリス」に高取が連載したり、同じ「場」を共有していた。僕は、ときたま買って読む程度で、全貌は知らないが、そういう「場」の雰囲気はぼんやりおぼえている。
やがて、これら二誌は「ジャズライフ」誌に取り上げられ、椎名誠に「週刊朝日」で応援されたり、〈エロ劇画ブーム〉が醸成され、78年秋にTV「11PM」で取り上げられる。出演は高取によると〈マンガ家は、あがた有為、中島史雄、小多魔若史、清水おさむ、など〉で、高取、亀和田なども出たらしい(この番組の記憶は僕はない)。その結果、「エロジェニカ」に警視庁から3号分警告がきて、そのあと11月号が摘発されたという。そのときの社の幹部の発言というのがふるっている。
〈この日、会社の幹部は、「万歳! これで『漫画エロジェニカ』は売れる!」と叫んだ。〉(同上 162p)
まさしくエロ雑誌界のたくましさで、これが本音だろうと思う。弁護士に相談した高取は、かえって社から注意されたらしい。裁判などすれば銀行が引き上げ、社がつぶれるから、法廷闘争などはしないのだ。このあたりにも、エロ劇画ムーブメントの状況が感じられて面白い。驚いたのは、当時「エロジェニカ」が10万部を越えていたという記述で、12月号は11万9千部出たそうだ。今の雑誌状況と単純比較できないにしても、すごい。売上90%を越え、ほぼ完売だったそうだ。ちなみに「大快楽」で7万部、自販機流通の「アリス」は3万部だったとある。

そのほかにも、当時のさまざまな状況が実名をまじえて書かれていて、僕などにはむちゃくちゃに面白い。アリス出版近くに極真会館があり、「極真の悪口は書かないで」と亀和田が高取に頼んだ話など、今読むとつい笑ってしまう。自身、武闘派だった高取にすれば揶揄したい話だろうが、僕でも同じことを考えると思う。亀和田と流山児の、新左翼党派を巡る反目とか、中島史雄と山岸凉子が「同じ屋根の下に住んでいた」と米澤が書いた(単に同じアパートにいたことがあるらしい)件とか、当時僕が拾われてライター兼カット描きをし、ちょうど78年には「デキゴトロジー・イラストレイテッド」の絵担当に抜擢してくれた「週刊朝日」のAの話も出てくる。僕にとっては、「ヤングコミック」の筧副編集長(当時)と並ぶ、駆け出し時代の恩人の一人だが、高取からすると取材もせずにいい加減なことを書いた奴ということになる。ただ、Aがライターの仕事を手直しして掲載した可能性もあるので、はっきりしたことはいえない。僕の記憶力がもっとよければいいのだが、何しろ自慢じゃないが、ほとんど覚えていないのだ。

この短い文章に、ほかにどんな実名が出てくるかというと、松岡正剛、権藤晋、小林信彦、呉智英、野村秋介、日下潤一など。いったい、どんなからみで・・・と思うだろうが、それは読んでいただくしかない(もっとも、竹内オサムさんから直接送っていただくしかないので、なかなか難しいとは思うが)。こうした動きが、翌79年春「別冊新評 三流劇画の世界」(新評社)刊行につながるのだろう。この特集刊行については、たしか米澤も労作『戦後エロマンガ史』(青林工藝舎)で触れていたと記憶するので、あわせ読む必要があるかもしれない。
高取の記憶を疑うわけではないが、もちろんこうした「資料」に研究者として当たる場合は、それをすべて事実として扱うわけにはいかない。経験的にも、当事者の記憶は多くの場合、ほかの資料と食い違い、どちらを事実とも判断できない場合が多い。記憶Aと記憶Bその他の間あたりで、双方の記述が出てくる状況があったのだろうと推測するほかはない。とはいえ、高取の記述には彼の人となりを感じさせる率直さと、簡潔な語りなのに雰囲気を伝えるニュアンスが含まれていて、読んでいてあきない資料であることは間違いない。

ひとことでいうなら「高取さん、面白すぎるよ(笑)」ということだ。

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