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夏目房之介の「で?」

病気と練習

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本日は、李老師の8月講習会が始まり、獅子形の三。何せ、練習前からみんな汗だくの猛暑。ウチの練習は基本エアコンがあっても使わず、夏は目一杯汗をかくことで、練習後はスッキリ心地よくなるのが恒例。獅子形自体かなりの負荷なので、もうこれは当然の厳しい特訓のはず。
案の定、ハードな練習で、これまでにない2時間のうちに3度の水分補給休憩という破格さ。脱水症状予防ということでしょうな。いや、低い姿勢もあって、事実キツかった。途中で何度も立ち往生し、しまいには頭がボーッとしてきて、間違えたり。
いつもなら、このレベルの練習のあと必ず足に来るのだが、案外それほどではなかった。じつはここ二ヶ月ほど、毎日の自己練習で熊、龍、単勾式、獅子と、きっちり走圏し、さらに88式左右(全部やると40~50分)を続けてきたせいで、足が鍛えられたんだと思う。毎週の自主練習会でも、20~30分早く始めて走圏してたりした。一体なんでこんなに一生懸命やってるのかというと、多分病気をしたせいなのだ。

2月にインフルエンザで半月動けず、その後不調のまま、気づいたら甲状腺機能亢進症を発症。最大10キロ痩せ、ちょっと前までかなりの気血の充実を感じていたのが、もうすっからかんのダダ漏れ感満載。それでも身体が動く間は練習を続けた。そうすると、それまで感じていた充実感がまったくないまま、思うようにできない状態で続けることになり、これってかなり心理的にもしんどい。それを数ヶ月続けたわけで、ようやく感覚が戻り始めると、練習できることのしあわせって奴をそれまでより痛感するんである。
李先生は「病気をした後、回復してからの充実は、それまでよりよいものなのだ」と慰めてくれていたのだが、まさにその通りで、急速に回復し、以前にもまして充実を感じ始めるにしたがって、練習のありがたみも身にしみるということになるのだ。その感覚を大事にしながら、さらに練習できるときにしなければと思う。おまけに単勾式と獅子形という、練習レベルと身体改造を飛躍的に伸ばす過程に入ったことで、ここはきっちりやり抜かねばと懸命に励むことと相成る次第。

じっさい、単勾式と獅子形では、両腕のつながりと、背中を中心に全身を腰腹で動かす感覚を養うので、今後、かなり自覚的にその感覚をもって走圏もほかの掌法も練習することになるだろう。すでに龍形も今までと違った感じでやっているし、すべてがこれまでとは違ってくる予感がする。よわい62にして(あ、あと2日で、だけど)こんな感覚で身体を鍛えられるってことの幸福ってものがあるんだなあ、という実感を味わっているわけですな。ほんとに1円貯金みたいな練習なのだが、「継続は力なり」とはよくいったもんです。
これって、もともと丈夫な人にはあまり体験できないことかもしれない。もとがひ弱だと、何度もこうした経験を通ることになる。でも、そのことで練習の質が上がるってこともあるのだ。前から李先生は「調子のいい時もあれば具合の悪いときもあるのが人間の自然であり、それに逆らわずに、いかにしてその時の状態なりの練習をするかを工夫することが大事なんだ」というようなことを話されていたが、まことにそのような状態を通ってきております。
調子が悪いからといって、練習をサボるのではなく、それなりのやり方をしつつ、とにかく続けること。これですな。おかげで、甲状腺の薬も、そろそろ卒業できそうだし、体重も58~59キロとベストになってきている。とはいえ、さすがに腰の負担は感じるのだが、今回の獅子形練習はいつも以上にマジメにやらせていただこうかなと思っております。この10月で丸9年になる八卦掌練習の成果は、とりあえず病気の急速な回復ってことで。

いやホント、練習したくてもできないときもあるってことなんですよ。それを知るって大事だよね。

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