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夏目房之介の「で?」

『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』

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デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(小野耕世、中山ゆかり訳 岩波書店)読了。素晴らしい本です。460p2段組の分厚い本なのに、次が知りたいのでページを繰るうちに読み終えてしまった。
地道な取材、インタビュー、当時の記事などを積み重ね、具体的に何が起き、誰が何を思い、話したかが、きちんと書かれているので、今まで漠然としていた50年代にアメコミをほぼ壊滅させてしまった(そのため、少なくともその直後にはスーパー・ヒーローのみが残った)バッシングの経緯がイメージできる。
取材の中心はコミックブックを制作した側、経営者、編集者、アーティストたちだが、バッシングした側(心理学者、政治家、ジャーナリスト、母親など)、その当時はほとんど発言の機会のなかった読者たち、あるいは読者ですらなかったが、焚書運動に参加した者たちの言説まで紹介し、その事態を多角的に描写している。
また、バッシングによる壊滅的状況と「MAD」誌の関係もクリアに理解できた。のちにアンダーグラウンド・コミックスを始めるロバート・クラムも、当時のコミックスを読んだ「遅れてきた青年」だったこともわかった。ようやく、米国のコミックスの歴史を具体的にイメージできる格好の参考書が翻訳された、といえるだろう。

ただ、この本の記述を理解するには、本当はもっと米国の歴史、社会文化背景の知識がないと無理だろう。たとえば、2章冒頭近くにある〈不況時代に生まれたご都合主義と合体した改革〉という記述(36p)があって、おそらくニュー・ディール政策のことかなとは思うが、注釈がないのでわからない。もちろん、出てくる作品や作家についても、ほとんど知識がなく、絵も浮かばないので、読み飛ばすしかないところも多い(図版がかなり入れられているので、その分は補足して読めるが)。

にもかかわらず、この本を読んで、非常に強く印象付けられたのは、米国のこの時期にTVが浸透していって、大きな力を発揮したこと。そして「宗教国家」(キリスト教)としてのアメリカの側面が、バッシングに反映しているな、という印象だ。
たとえばTVは、公聴会の放映の高視聴率現象として紹介される。TVは、この頃から政治を支配するようになる(このバッシングで有名になった政治家は大統領候補を狙うが、失敗し、やがてケネディが同じ力を利用する)。そして、そこで生贄とされたコミック・ブックは、宗教的な色彩の強い「清廉なアメリカ」像から批判されている。
同じ時期にマッカースズムの嵐が吹き荒れていたはずだが、どうやらマッカーシーとは直接の関係はないようだ。とはいえ、ふたつの運動の背後には、戦後、核を持った強力なライバルとなった社会主義への恐怖、「洗脳」というワードに集約される不安(日本でもオウム以降、この傾向は強い)がある。このことは、コミックブックへのバッシング(マス・ヒステリーによる熱狂的な社会浄化運動といっていいだろうと思う)もまた、米国の白人中産階級の恐怖と不安を背景にしていたことを、じゅうぶんに推測させる。

日本でも、同じ50年代にマンガ・バッシングがあり、戦前から活躍してきた漫画集団系の作家たちも参加して、悪書追放運動が盛り上がった。しかし、比較していえば、まず日本ではTVが浸透しておらず、浸透していった60年代には、マンガ→アニメという形でむしろタッグを組むことになった。また、日本のバッシングには宗教的な背景はあまり見えず、社会主義への恐怖もバッシングと連携するまでにはならなかったように思える。そもそも中産階級そのものが、戦後すぐの時期には米国ほど強固な社会層ではなかったのかもしれない。
この本を通じて、この時期のアメコミが、まだ社会的発言権を持たなかった10代の「若者」の、やがてはロックンロールに反映されるカウンター・カルチャーにかわるメディアであったことも感じることができる。50年代と60年代の時代の差が、アメコミと日本マンガの、バッシングとの関係の異動を規定している可能性は高い。もし、この時期にアメコミがここまで壊滅的な打撃を受けず、その多様性を保持していたら、恋愛物、青春物などにまたがる日本同様の多様で厚みのあるコミック文化や市場を展開していただろうことは容易に想像できる。女性作家と女性読者も、もっと拡大していたかもしれない。

もうひとついえるのは、日本でのマンガ・バッシング期において、マンガの中心を形成していたのは、戦前からの大手出版社やその子会社だったことも影響するかもしれない。もちろん戦後の混乱も基礎条件として考えられる。米国のコミックブック文化は、あらゆる意味で周縁的な、生まれたてのメディアでもあり、それゆえにアナーキーで面白かったのだろうが、社会をあげてのバッシングに対抗するには脆弱だったのかもしれない。
様々な条件が次々思い浮かぶが、そのこと自体、この本が与えてくれるものの大きさを示している。そして、小野耕世さんの「あとがき -アメリカのコミックブックとともに育って」も、素晴らしい。本を出してくれたことに感謝したい。ただ、ひとつだけいえば、このタイトルは何とかならなかったのかなあ。ちなみに原題は The Great Comic-Book Scare and It Changed America

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