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夏目房之介の「で?」

NHKスペシャル「オウム真理教」

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http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/

土日にかけて全3回、ドキュメンタリーとドラマで構成された番組。驚いたのは、教団内の膨大な極秘録音テープまでが使われていたこと。番組内でもいってたが、よく押収されなかったものだ。これによって、浅原が教団設立当初から宗教国家の建設(=国家権力の奪取 番組内では武装化としていたが、出された情報だけではそこまでかどうか)を想定していたとされる。また教団設立以前からの幹部や、上祐が証言し、さらに3回目では警察の捜査状況が取材によって明らかになってゆく。

興味深かったのは全編ドキュメンタリーの3回目で、これを観ればほかはいいかもしれないぐらい。警察が各県警単位で、部分的にはオウムのサリン製造に迫っていたこと。しかし、県警上層部も警察庁も慎重な態度をとり、結局サリン散布が起きてしまう過程を追う。とくに松本サリン事件で、県警内部に化学捜査班があり、そこではやがてえん罪となる通報者について、個人ではできない、集団の仕業だと上層部に報告していたくだりは、警察内部の複雑な意思決定過程を思わせる。
なぜ、散布前に強制捜査できなかったか、止められなかったのか、というのが番組のモチーフでもあり、そういう意見もあるという。が、だとしたら警察だけではなく、サリン残留物の捜査などをすっぱ抜いてオウムを焦らせたマスコミにも責任はある。オウム報道において、日本のマスコミの、噂レベルで偽善的正義を振りかざす醜悪ぶりはひどいものだった。
それに、だからといって警察に大胆な執行を求めるのは、かえって危険だろう。また、悔しいのは被害者だけではなく、警察現場もそうであろうと思う。

1~2回は、ドラマ部分が多く、これは3回目と比べて、面白くなかった。とくにドラマの主人公となるNHKの取材者が浅く、視聴者への言い訳のために作られたのかなと思う。
目的のために人を殺すのが宗教なのか、と元信者に迫る場面があるが、まあ実際にそんなことをすれば被取材者の心は離れてしまうので、いい取材ではない。問題は、そんな宗教集団は世界中にいくらもあるし、宗教が集団である限り、イデオロギーや民族主義と同じように、いつでも内部に過激な集団を生み出しうることだ。その集団が自らを抑圧され疎外されていると信じるのであれば、人は簡単に人を殺すし、殺人は集団内で正義になりうる。集団が国家や民族であれば、それは戦争になる。戦争で人を殺すことは国家規模で正当化される。そのことを問わず、オウムが宗教であるから「殺す」のはおかしいと、宗教として否定するかのような議論を持ち出すのは、ジャーナリストとしては不勉強ということになるだろう。宗教も、イデオロギーや民族主義同様に、人間が集団で持つ共同幻想としては同じだ。宗教だから人殺しを正当化しないはず、という思い込みは、歴史をみればいとも簡単に裏切られる。宗教だから人を殺さない/殺す、のではなく、人間の集団が本来持つメカニズムの問題であるはずだ。
ドラマ部分は白々しく、いらなかったのではないかと感じた。

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