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夏目房之介の「で?」

美術フォーラム21 第2回シンポ「漫画とマンガ、そして芸術」終了

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いやあ、京都の平安神宮あたりは、見事な桜でした。疎水の上の桜や柳がまたきれいで。そのかわり駅から街から人の波。こんな季節に滅多にこないので、びっくり。
などと観光に行ったのではなく、京都国立近代美術館でのシンポジウムに参加してきた。館では村山知義展をやっており、見られなかったが図録を購入。

シンポは、まずジャクリーヌ・ベルントさん(京都精華大学)が、昨年編された「美術フォーラム21」24号特集「漫画とマンガ、そして芸術」をもとに報告と問題設定を話され、次に4人のパネラーが15分ずつ報告。
最初が僕で「「絵・言葉・コマ」と美術史、そしてマンガ」。最初に、日本のマンガ言説が「芸術」を排除した頃の話を少し。で、フレームの連続による物語の例として、まず2世紀インドのシャカ誕生譚のレリーフを見せ、次にホガースとテプフェールを比較し、テプフェールが現在のマンガを感じさせるのは、近代的な時間の感覚によるのではないかと示唆。さらに江戸前期の手品入門のコマ割を見せ、コマの形式は現在のマンガと同じだが、形式だけでは近代的なマンガとして論じることができず、様々なコンテクストの中で考えるほかないという話。

次に早川聞多さん(国際日本文化研究センター)が春画について、たくさんの例を示しながら、じつに楽しく面白い報告。性が、ごく日常的なものとして共有され、春画は縁起物や厄除けのような機能も持っていたなど、じつに興味深かった。また江戸期には「笑絵」などと呼ばれ、性は「笑う」ものだったとか。
三人目は、うちで腐女子や二次創作を研究しようとしている学生もお世話になった(らしい)石川優さん(大阪市立大学都市文化研究センター)が「「二次創作」における物語テクストの再-生成 『ONE PIECE』の「やおい」同人誌を中心として」という報告。ただ、これらの対象に不慣れな聴衆もいるということで、まず基本的な知識の解説からせねばならず、ちょっと大変そうだった。
四人目は、雑賀忠宏さん(神戸大学)の「「マンガを描くこと」と「作者性」 信憑構造の諸相-マンガ、アメコミ、そしてBD」として、マンガやアメコミ、BDの中で、作者自身が登場することが、いかにして「芸術」的な正統化に近づくか、というような話。うちで戦後マンガ言説史をやってる可児さんともつながるところがあり、面白かった。でも、ちょっと広すぎて、日本の部分は時間切れ省略。

当然のように、全員15分では無理で、全員が早口の舌足らずという印象もあったが(海外でも大体こんなものらしい)、さらに発表の合間にパネラー間の質疑もあり、時間はどんどん押し、あっという間に時間に。休憩ののち来場者からの質問に答えたりしたが、もう目一杯。会場には、佐藤守弘さんがこられて、鋭く面白い指摘もされ、内容的には充実した面白いシンポだった。初期映画で博論を書いた研究者や、学生さんたちとも、終了後少し話しができたし。

その後、関係者だけで移動し、夕食。途中、早川さんに江戸後期に男色が衰退した事情を伺ったり、ここでも談論風発、じつに楽しかった。早川さんのお父上は、漱石の弟子でもある津田清楓に短歌を教えたとかで、かつては津田の絵が家にたくさんあったそうだ。また、早川さんと佐藤守弘さんと僕が落語好きで、途中他の方々を無視して落語話に夢中になってしまった。失礼しました。でも、楽しかったです。ベルントさん、スタッフの皆様、とても刺激的なシンポでした。ありがとうございました。

当日配布用レジュメ

201248日(日) 美術フォーラム21 第2回シンポ「漫画とマンガ、そして芸術」

「絵・言葉・コマ」と美術史、そしてマンガ   夏目房之介

1)「マンガ表現論」の(物語マンガの)定義 「絵・言葉・コマ」

 コマ(フレーム)の連続が絵・言葉を統御

しかし、連続したフレームで「物語」を表現する形式は、古代からある。

1 インド(2世紀)『アマラーヴァティーの彫刻 シッダルタ王子誕生図柱石』

マージョリー・ケイゲル『大英博物館のAからZまで』大英博物館(日本語版)2000年 17p

2)ホガースとテプフェール 絵・コマ関係と「時間」の質の変化

 ホガースWilliam Hogarth 1697~1764 英) 『ことの前後』(Before and After 1730~36 2枚)、『当世風結婚』(Marriage A La Mode 1745 6枚)など。絵の細部に意味情報を埋め込み、浮世絵同様の「絵解き」の楽しみで1枚の絵に様々な状況を読ませる。版画物語。

 →2 『当世風結婚』より第1~2プレート 

 佐々木果『まんがはどこから来たか 古代から19世紀までの図録』オフィスヘリア 2009 18~19p

 独立した一枚絵の集合で、個々はフレームを持つが、ページの上で複数のコマ構成が生じることはない。また、多くの時間の含みを持った情報量の多い絵で、空間を埋め尽くす。

 テプフェールRodolphe Tőpffer 1799~1846 スイス) 簡略な線画で、はるかに短い時間単位のコマをつなげ、個々の絵の情報を軽くし、現代のマンガに近い表現。→19世紀後半のドイツのヴィルヘルム・ブッシュ(Wilhelm Busch→米国に渡ってコミック・ストリップ

 →3『ムッシュ・ヴィユ・ボア』(Les amours de M.Vieux Bois 1827~1839

 佐々木果訳『M.ヴィユ・ボワ』オフィスヘリア 2008 9,11~13p

 ページの中に複数のコマを区切り、そのフレームが瞬間的な時間の落差や繰り返しであることが可能。空間は白っぽく、絵の意味は単純で、「読み」の早さを思わせる。

 4 『HISTOIRE d,ALBERT

 DAVID KUNZLE Rodolphe Tőpffer THE COMPLETE COMIC STRIPS2007年 430p

コマの縁が連続して描かれて、「時間の連続」そのものが狭い空間に凝縮して表現される。日常の瞬間を時計の秒針のように細かく刻む時間のイメージ化。現代の「物語マンガ」に近い印象。

均等な時間に細分化 時計的な時間感覚 分解写真に先行する近代的な「時間」?

3)日本近世の例

図5  平瀬輔世『天狗通』(1779(安永8)年)

山本慶一「奇術コレクション その2」国立演芸場・演芸資料展示室 パンフレット 2002

ページを横にコマで区切り、手品のやり方を時間順に分節。同じページ平面を複数コマに分割、微細な時間の推移を分節している点では、現代の日本マンガに近い印象。が、テプフェールのような運動の分節による説話性はなく、事柄の解説に留まる。「物語」化しなかった?

4)問題提起

様式として、「絵・文字・コマ」の混合は、古代から可能だが、問題は「物語」を表現する「時間」ではないか。「時間」と「空間」が、それ自体抽象的な枠組みとして確立した近代における、視覚文化史的な変化の中で考えられるべきかもしれない。

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