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夏目房之介の「で?」

森下文化センター「貸本マンガの時代」最終回

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11日(日)は午後2時から、森下文化センター「貸本マンガの時代」第4回「貸本マンガから週刊誌へ」。最終回は、めったにこうした場にこられない川崎のぼるさんと、ビッグ錠さん。司会はF.Mロッカーさん。会場には例によってみなもと太郎さん(途中で対談に会場から参加されてた)、藤本由香里さん、秋田孝宏さんほか研究者たちや、貸本関係の方々など、いつもより広い会場がいっぱいになっていた。

F.Mロッカーさんは、その豊富な知識をもとに、作品映像を見せながら、ビッグさんと川崎さんの、貸本から雑誌にいたる過程をつぶさに追い、貴重な証言を引き出しされた。ビッグさんが、大阪の新聞で『ヤネウラ3ちゃん』を読み、『ブロンディ』を読み、さらに『新宝島』に出会い、マンガに引かれていく過程、川崎さんはもらったノートに何か描こうと、「少年」の(多分『アトム』など)マンガを模写し始め、そこからマンガを読むようになった小学4年頃のお話が出た。

川崎さんの貸本時代の恩人ともいえる編集者松阪邦義さんも会場におられ、中央の雑誌に紹介された経緯などを聞けた。また、アメコミの影響、とくに「MAD」の影響についての話も出て、会場のライアン氏から質問も出た。

終了後、一階のウノ・カマキリ展会場でバロン吉元さんにお会いした。じつは、ウィル・アイズナーの『スピリット』をもっていたので、ビッグさん、川崎さんには、その色彩などについては、こんな感じだという反応をいただいたが、バロンさんは『柔侠伝』連載中にアメリカに進出しようと三ヶ月滞在された経験もあるだけに、ニール・アダムスという名前にも敏感に反応された。実家のすぐ近くに駐留軍がいて、影響も大きかったらしい。『スーパーマン』より『バットマン』がカッコよかったともいわれた。飯田耕一郎さん一緒に、アメコミ的な見せ方から、編集者の要請でコマを細かく割っていったお話などを伺った。

終了後の食事会では、松阪さんの横に座ることができたので、色々お話が聞けた。川崎さんについては、絵も構成も、このトシで今これほど描ける人はいないと思ったとおっしゃり、何か指示したりすることはなかったという。目の前には川崎さんもおられ、タイトルから表紙まで任されていたほど、川崎さんが買われていたのがよくわかった。

川崎さんは、一人ではこんな場所には出られないのだが、ビッグさんから「楽しいよ」と誘われ、一緒ならいいと出てこられたという。マンガ好きが大量に集まり、じっさい森下のイベントは楽しいのだ。多分、川崎さんも楽しまれたと思う。以前取材させていただいたときにも感じたが、川崎さんの目はとてもピュアで魅力的で、熱が入ってくるときらきら光る。宮原さんが飛雄馬の目だといわれたとおりだ。

川崎さんと仲のよかった園田光慶さんが手伝った飛雄馬を、編集の宮原さんが冷たい感じなので悪いけど飛雄馬は川崎さんが描いてくれといわれたという話は、宮原さんからも聞いていたので、確認できた。川崎さんは、編集者というのはさすがだなと思ったそうだ。

甲良幹二郎さんもおられ、挨拶をされた。甲良さんからは、貸本時代の原稿料の話などを伺った。さいとうさんがページ千円、永島さんが800円、他は大体2~300円だったという。

ビッグさんは、貸本時代、ひとコマナンセンスの佃時代、そしてストーリーマンガの時代と絵を変えられたが、正直、僕の中でつながっていなかった。絵を変える苦労をお聞きしたが、もう帰られる頃で、それほど苦労したという印象のお答えではなかった。ナンセンスの時代には、しゃれた感じの絵だったのだ。「MAD」、スタイバーグ、ポップアートやアニメの話まで、幅広い知識をお持ちで、本当はもっと取材されるべきヒトだろう。

他にも山ほど話はあるが、書ききれない。またこんな機会があることを期待したい。

追伸
川崎さんの話されたことで、いくつか思い出した。

まず、原色をフラットに使うアメコミ風の色彩は川崎さんが始めた、という発言。とすれば、園田『アイアンマッスル』の、僕がシビれたカラーは川崎さんの影響?

次に、園田光慶が『巨人の星』の手伝いをしていたとき、「これで子供の描き方がわかった」といったそうだ。とすれば『アイアン・マッスル』の子供も、その影響?

川崎さんが、雑誌に移ったとき、集英社の編集者からネーム段階からチェックを受け、状況説明の遠景の入れ方など、こまかい修正を学んだという話をしていたとき、話が西部劇映画に移った。西部劇の、たとえば屋根の陰に上半身が黒く隠れ、ロッキングチェアに深く腰掛けた両足だけが前に伸びて陽光を受けているとか、細部にわたる状況描写のかっこよさが大好きだったというような話を熱を込めて語られた。
そのとき、僕の頭にパッと『巨人の星』ラストシーンの、教会を覗く飛雄馬と教会の十字架の陰を背負って去る彼、舞い散る落ち葉の絵が蘇った。
「あの場面って、西部劇だったんですね!」
そういったら、川崎さんは驚いたようで、
「ああ、あの場面は原作になくて、僕が自分で描いた場面ですからね」
とおっしゃった。多分、最後の最後、高いテンションのまま描かれたあの場面は、川崎さんの大好きだった場面描写がピュアな感覚で蘇ったのではないかと思う。

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