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夏目房之介の「で?」

ウィル・アイズナー作品の翻訳を

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ウィル・アイズナー(Will Eisner 1927~2005)は、米国でもっとも重要なコミック作家のひとりとみなされているという。マンガを使ってマンガの手法などを解析する本も出しており、かつコミック・スタジオの主催など企業家でもあり、アイズナー賞が設定されるような著名な人物である。スコット・マクラウド『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論 Understanding Comics The invisible Art』では、マンガ(Comics)の定義として、まずウィルの「Sequential Art(連続的芸術)」を参照して始めている。

僕は小野耕世さんの著作で間接的に彼のことを知る程度だが、それでも重要な作家であることはわかる。でも、日本では実地に彼の凄さを見ることはできない。うちの客員研究員として米国から来ているライアン氏のおかげで、最近、身体表象の図書にアメコミ関連が充実しつつあり、その中にウィル・アイズナーの著作も含まれていた。

まず『The Best of The Sprit』。これは、1940年から戦後にかけて連載された探偵物のベスト版で、かなり格好いい。絵もうまいし、原色的な色彩もポップでクール。何よりコマ構成の工夫などが相当凄い。のちのアメコミに大きな影響を与えたらしいが、何となくわかる気がする(直接ではないかもしれないが、戦後の日本マンガにも影響を与えたスタイルだろうと思う)。登場人物の目玉の内側が描かれた、まさに「一人称視点」な描写も面白いし、コマとコマの間(間白)を工夫した演出も洗練されている。1946年の「Meet P'Gell」という作品の扉には、胸もとの開いた色っぽい姉ちゃんが横たわって「I AM P'GELL・・・・AND THIS IS NOT A STORY FOR LITTLE BOYS!!(これはちっちゃいコたちのためのお話しじゃないのよ!!)」と、いわば劇画宣言をしている。たしかに、ちょっとおませな十代向けの感じがする作品群だ。

僕の英語力でも何となく意味がわかるので、ある程度読めたのだが、やはり内容が面白いからでもあろうと思う。で、次にだいぶ厚い本で『LIFE,in PICTURES AUTOBIOGRAPHICAL STORIES』も手にとってみた。これまた面白そうなので、借りて読んでみたら、これが面白い! まさか自分がこんな厚い英語の本を(マンガとはいえ)ハマって読んでしまうとは思いもよらなかった。これはウィル・アイズナーの自伝的短編中篇を集めたものなのだが、なかなか人生を感じさせるいい話があり、ちょっとニューヨーカーの小説を読んだような気分もある。

「THE DREAMER」は、マンガ家見習いの青年が、パルプマガジンの受難時代にコミック製作スタジオを立ち上げていく話を描いたもので、非常に興味深い。主人公が始める、製図机を並べて量産体制を整備したスタジオは、共同経営者に「奴隷のガレー船みたいだな」と突っ込まれたりする。1930年代のことらしいので、日本のさいとうたかをと比較すれば20年以上早かったことになる。

やがて主人公は徴兵されるのだが(ウィル・アイズナー自身も同じ経験をしている)、1942年に戦地に向かう列車の中で、思いに沈む主人公の回想が続く「To The Heart of the Storrm」は、東欧から移民してくるユダヤ人(ウィルの先祖もそうらしい)の人生をたどる。全体として米国におけるユダヤ人の複雑な人生を描く重厚な物語で、教養小説のような読み応えがあり感動する。ユダヤ人問題を描いたコミックでは『マウス』が有名だが、これもまた素晴らしい。

ドイツ移民と若き主人公の友情や恋、その破綻の話は胸を打つし、ガールフレンドの父親のドイツ移民でマルクス主義者の男の怒りや悲しみも、切々たる感じがある。また、ここでのコマ枠をあまり使わない視線誘導による画面展開は、日本ではあまり発展しなかったマンガ表現の可能性を思わせ、彼が理論書を出す理由も分かる気がする。

正直にいうと、あまり長く借りっぱなしだと本も傷むし、付箋を貼ることもできないので、途中でアマゾンで購入し、その結果2冊ともまだ全部は読んで いない。でも、ときどき海外コミックスの話などをしているくせに、こんな凄い作家・作品を全然知らなかったというのは、まことに忸怩たる思いで、ちゃんちゃんらおかしい。詳しい人が見れば「今頃何いっとるか」ということだろうが、いやあ、参りました。米国の日本マンガ好きが手塚治虫を知らないようなものだろうか。

というわけで、ぜひともこれらのウィル・アイズナー作品をどこかで翻訳出版してもらえないだろうかと、強く祈念している昨今であります。

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