オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

談志さん、逝く

»

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111124-00000010-sph-ent

立川談志さんが亡くなった。
米澤図書館でのイベントの後の打ち上げ会で知って、びっくりした。

僕は、中学のときに談志さんの『現代落語論』(三一書房)という新書で、あらためて落語に「入門」し、それから落語好きになった。志ん生、文楽を知ったのも、その本だった気がする。

談志さんの噺は、若い頃、スピード感があって、まるで筒井康隆の小説をジャズを聴くようだった。天才肌で、調子のいいときと悪いときの落差が激しく、ときに枕といっていいのかどうかわからないグチだけで終わることさえあった。でも、ノルと凄まじい力で噺の中に客を引き込み、客席全部が咳払いも聞こえない、シンとした静寂に包まれることがあった。客が談志という噺家の所作と声に集中しきっていた。一人会に通っていた頃を思い出す。

談志さんはまた、天才といえるのはダ・ヴィンチと手塚治虫だけだというほど手塚マンガのファンで、「俺ぁ、手塚さんがいてくれれば、それだけでいいんだよ」と話していた。ああ、ほんとのファンてこういうものかな、と思った。

そんなことで、談志さんとは、手塚賞のパーティで、多分二度ほどお会いしている。僕が『現代落語論』との出会いをお話しすると、物凄くシャイな反応だが、嬉しそうにされていた。二度目にお会いしたとき、遠くから、例の手つきでおいでおいでをされたので、近くに行った。横にいる人に「これ、漱石の孫」とイタズラっぽくいわれた。何となく、勝手に「あ、俺気に入られてるな」と感じて、凄く嬉しかった。

僕は、円生、小さん、志ん朝、談志という名人を生で聞けて、本当に幸せだったなと思う。もちろん、まだ小三治もいるし、小朝や正蔵や昇太や多くの噺家が競っている。今の人は、今の落語との出会いを、いつか僕のように思い出すだろう。でも、僕にとっての落語は、談志さんを含む、これらの名人たちとともにあった。

今まで本当にありがとうございました。
もちろん、映像と音源はまだ残っているので、これからも楽しませてもらいます。
本当に落語を愛した人でした。

心からご冥福をお祈りします。

Comment(1)