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夏目房之介の「で?」

東フィル807回サントリー定期コンサート

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昨夜、サントリーホールで東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに、姪二人とともに行ってきた。プレトーク「時代背景と浅草オペラ」から聞き、堪能した。

「東京フィル100周年記念 ~グルリットの遺した功績~ 東京フィルが初演したオペラの名曲」と題されたコンサート。
プレトークでは、日本の洋楽の歴史と、東京フィルの歴史を、浅草オペラなどの音源や、ドイツから亡命して東京フィルで父と一緒に在籍したグルリット氏の指揮した音源を少しずつ聞かせながら二人の方(音楽評論家・片山社秀氏、音楽ジャーナリスト・岩野裕一氏)が対談された。大変興味深いお話で、勉強になった。

浅草オペラの名前は知っていても、どんなものだったかわからなかった。が、少しイメージできるようになった。僕の知っているのは、せいぜい映画の一部をTVで観た、エノケンの「ベアトリねえちゃん」だが、そのオリジナルも聴けた。戦前のオペラ歌手、オケの演奏といっても、音は悪いものの、かなりのレベルであることもわかった。

コンサートの指揮はダン・エッティンガー。演奏曲は以下。

ワーグナー 歌劇「ニュールンベルグのマイスタージンガー」第一幕 前奏曲
        歌劇「ローエングリン」第二幕「エルザの大聖堂への入場」
        歌劇「タンホイザー」 「歌の殿堂をたたえよう」
R・シュトラウス 歌劇「サロメ」 「七つのヴェールの踊り」
          歌劇「ばらの騎士」第二幕 「ばらの献呈」 第三幕「三重唱」
グルリット 歌劇「ナナ」第一幕 小序曲と第3景
ヴェルディ 歌劇「アイーダ」第二幕 「アイーダとアムネリスの二重唱」
          「凱旋行進曲」「第二幕の終曲」

普段、姪の参加する演奏会くらいしか行かない僕だが、なぜこのコンサートに行ったのかというと、じつはグルリット氏のことで東京フィルからご連絡があり、ご好意で招待していただいたからだった。グルリット氏の奥様が、父にグルリット氏のことを取材されたインタビュー音源があり、それを起こして今回のパンフレットに掲載し、その編集をまた知り合いの編集プロダクションがやったりして、色々とお世話になったのだ。ありがとうございました。

めったにクラシックなど聴かないのだが、今回の選曲はすばらしく、本当に楽しんでリラックスして楽しく全部聴けた。歌も演奏もすばらしくて、久しぶりに「音楽」を全身で堪能した気分だった。姪たちもとても喜んでいた。

僕は両親が音楽家だったので、子供の頃から家ではクラシックが鳴っていた。が、クラシックに積極的な興味を持たず、ジャズやR&Bに行ってしまった僕は、クラシックの曲名も作曲者も全然わからない。どの曲が誰のもので、どんな音なのか、まるきり知識がないのだ。

なのだが、たとえば今回の演奏を聴いても、シュトラウス以外は不思議だが全部聴いたことがある。体が知っている感じだ。R・シュトラウスも、ワルツの部分があったりするので、ウィーンのシュトラウス父子と勘違いして、ずいぶん違う曲作るんだなと思って姪に聞いて笑われたくらいだ。でも、「サロメ」はとても面白い曲だった。いわれてみれば20世紀の音楽だよね。

コンサートを聴きながら、自然と体が動いてしまう。音が体の中を通って響いている感じで、ああ、僕の体の中には子供の頃から「音楽」がいっぱい詰まっていたんだなと思った。でも、クラシックの観客って、どうして体を微動だにせずに聴けるんだろう。不思議だ。ともあれ、音楽で体を満たしてくれた両親と家にあらためて感謝する気持ちになった。

グルリット氏は、ドイツで大変有望な音楽家、指揮者、作曲家だった。が、ナチドイツの台頭で国を出ざるをえず、東京フィルの指揮者になった。父もまた、遊学中の欧州から第二次大戦に追われて帰国し、東京フィルの第一ヴァイオリンになった。

父は、指揮者の不思議として、うまい指揮だと、別に細かい指示などなくとも、楽器の音が変わり、全体がうまくなるようなことがあるのだと話していた。あの話は、グルリット氏の指揮の経験からきているらしいと、今回のパンフレットの父の話でわかった。やたらと細かい部分にこだわる指揮や演奏の考え方は嫌いで、グルリット氏の指揮を尊敬していたようだ。家では「グルさん」と呼んでいた。

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