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夏目房之介の「で?」

講義「現代学 恋・愛・性 マンガと恋愛」レジュメ

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2009.11.5~12 特別講義「現代学 恋/愛/性」 「マンガと恋愛」 レジュメ   夏目房之介

1)輸入された「恋愛」
「恋愛」= LOVEの訳語として幕末~明治の翻訳辞書に登場 それ以前の「恋」「情」「色」などと異なる
〈訳者がラーブ(恋愛)の情を最も清く正しく訳出し、此の不潔の連感[ルビ=アッソシエーション]に富める日本通俗の文字を、甚だ潔ぎよく使用せられたるの手ぎはにあり。[略]日本の男子が女性に恋愛するはホンノ皮肉の外にて、深く魂(ソウル)より愛するなどの事なく〉巖本善治の翻訳小説評 1890(明治23)年「女学雑誌」(01 ※下線引用者) 他に「社会」「個人」「近代」「美」「彼、彼女」など、明治以降の西欧文明輸入のキイワードを紹介 思想、文化、感情の捉え方も「言葉」として輸入 俗っぽく不潔な性愛の否定→清潔純粋な「恋愛」へ→「恋愛」の流行 ロマン主義 文学少女 女性の自立と「自由恋愛」 輸入概念としての「恋愛」が理想化され、社会の新たな関係への起爆剤にも 「恋愛」は、かつて文明を動かすLSIのように思われた、それ自体ブラックボックスの言葉だった

2)諷刺対象としての女性からモダニズムへ
図1 作者不詳「全身悉く主義の人」「滑稽新聞」1908(明治41)年 (02) 図2 北沢楽天(1876~1955)「時事漫画」1921(大正10)年2月11日号 (03) 図3 生態としての恋愛 杉田三太郎「近代恋愛科学 結婚申込さまざま」(04)
岡本一平(1886~1948) モダニズムとしての漫画と恋愛 「エロ・グロ・ナンセンス」と漫画の発展
図4 人生の一コマとしての恋愛 キスシーンの主観ショット(漫画漫文形式) 岡本一平『人の一生』1924(大正13)~26年「婦女界」(05) 〈日本最初の長編ストーリー漫画〉同103p  岡本かの子の夫、岡本太郎の父
同時期の女性(少女)誌文化と竹久夢二(1884~1934) 「文学少女」とロマンティシズム

男女生態、風俗として対象化される恋愛 戦後編
図5「ほがらか帳」1945(昭和20)年  図6 遠藤健郎「勇士の再会 白描戯画」1955(昭和30)年(06) 社会風刺 「大人漫画」の視線 図7~8 南部正太郎『ヤネウラ3ちゃん』46~49,51~52年「大阪新聞」「報知新聞」連載(07) 戦後の解放感 素朴、純情な恋愛描写 ちなみに『サザエさん』(46~74年)はマスオさんとお見合い結婚
図9「見合結婚と恋愛結婚割合の推移」(08) 高度成長期の60年代半ばに「見合」<「恋愛」 社会構成の変化→人間関係の変化→恋愛観の変化

3)戦後子供マンガに始まる恋愛
戦時中に始まる戦後子供マンガの思春期 手塚治虫(1928~89)16歳の作品『幽霊男』の「スカートの奥」
図10『幽霊男/勝利の日まで』私家版45年(09) 図11『前世紀 ロストワールド』不二書房48年(10) 
〈ぼくたち兄妹になろう〉〈ぼくたちはママンゴ星の王さまと王女さまだよ〉 少女の裸の胸 「不良」の読物だった初期手塚(大林宣彦監督の証言)→バッシング 諷刺対象ではなく自己表現としての「性愛」 手塚マンガの影響 子供のため→自己表現(長編物語化)→少女マンガ『りぼんの騎士』「少女クラブ」53~56年 →水野英子(1939~ ) 
図12『銀の花びら』「少女クラブ」57~59年(11) 王子様の愛情表現 
図13『星のたてごと』「少女クラブ」60~62年(12) 少女の恋愛感情(演劇的大仰さ)
戦前少女文化の欧米読物イメージ→西洋コンプレックス表象の内部で可能になった少女マンガ「恋愛」描写
石森章太郎(のち石ノ森章太郎1938~98) 思春期的心理表現→少年マンガへ 図14『少年同盟』「少年」62年(13) 当時50年生の戦後ベビーブーマー(戦後マンガ市場の中心読者?)=12歳

貸本マンガと少女マンガの「恋愛」類型
図15 永島慎二(1937~2005)『陽だまり』64年(14) 恋愛前駆症状の描写 微分化された心理
図16 つげ義春(1937~ )『沼』「月刊漫画ガロ」66年(15) 「性愛」の暗喩表現
貸本マンガの「少女マンガ」→60年代青春物 思春期~青年期の戦後マンガ世代の支持→青年マンガ、少女マンガ
図17 田淵由美子(1954~ )『林檎ものがたり エピソードⅢ』「りぼん」77年(16)
 70年代「おとめチック」 国籍不明のロマン→ご近所的恋愛類型の成立 
橋本治〈女の子は夢を見ます。そして少女マンガはその夢です。〉〈ちょっと前までは、女の子が夢を見る時、彼女達はかなり遠くまで想いを馳せたのです。お姫様の住むお城まで。[略]自分のまわりを見わたしたって、そんな夢を見る余地なんか全然なかった、ただそれだけなのです。[略]わざわざ遠くまで出掛けて行った女の子達は、今、自分達の近所にまで夢をたぐり寄せてしまったのです。/[略]たぐり寄せてみて初めて気がつきました。/恋というのは、[略]あんまり近くにあり過ぎると、恥ずかしいのです。〉〈でも、男の子は言います。「そんなキミが好きだよ」と。[略]そんなわたしとは、いつもあわててばっかりいるわたしです。[略]おまけにやさしい人にいじわるしちゃう、いけないわたしです。/そして、チビで、泣き虫で、無口で、内気で、鈍感で、そばかすだらけで、どこといって何一つ特徴のない、わたしです。〉(17)  図18 田淵由美子『ライム・ラブ・ストーリー』(18)
藤本由香里〈少女マンガのモチーフの核心が、自分がブスでドジでダメだと思っている女の子が憧れの男の子に、「そんなキミが好き」だと言われて安心する、つまり男の子からの自己肯定にある、ということを最初に指摘したのは橋本治である。〉〈この時点[70年代半ば]まででほぼ、少女マンガの一大妄想体系が確立する。/“一途な愛は必ず勝利する“/という黄金のテーゼであった。〉〈少女マンガには、文字通り見守りつづける存在、いつまでも待ちつづける男が実にたくさん登場するのだ。『ベルサイユのばら』のアンドレ、『エースをねらえ』の宗方コーチ、籐堂さん、『アラベスク』のミロノフ先生、『ガラスの仮面』の速水さん、等々。〉(19)  イデオロギーとしての少女マンガ

4)80年代以降のマンガにおける恋愛
80年前後 少年マンガでの「ラブコメ」ブーム 少女/少年マンガの交差 高橋留美子 女性による男性マンガ
図19 あだち充『タッチ』「週刊少年サンデー」81~86年(20)〈三角関係の再生産構図〉(21)=①恋愛成立の動機 
②物語を駆動する最小単位 恋やスポーツ(あるいは両方)のライバル→ 「すれ違い」「勝敗と挫折」の生成 三角関係の一隅の「死」(『こころ』→『あしたのジョー』→『タッチ』『めぞん一刻』)→永遠化→再生産→長編化 
「三角関係」の物語生産力の高さ 夏目〈僕らが人間としてとりうる関係というのは、自分が自分に対してとる関係、つまり、一人だけの自分の世界という関係のとりかたと、もう一人の他者とつくる一対一の関係、恋愛はここに含まれますね。それと三角関係、あるいはそれ以上の大勢の共同的な関係、だいたいこの三つがわれわれの意識の世界を形づくっている。つまり、三角関係というのは、みんなの生きている客観的な世界であるとか共同的な世界であるとかいうものの雛形なんです。[略]その中で常に二対一になっていこうとするわけです。〉(22) 自己幻想,対幻想,共同幻想(吉本隆明) 少年、少女の「夢」=自己幻想、共同幻想→対幻想と三角関係の前景化 自己表現と自己対象化 60~70年代、大衆文化/対抗文化/若者文化の興隆→戦後ベビーブーマーの市場と表現(文学、映画、音楽、マンガ) 
先進国の高度消費社会化 ハイカルチャー神話の崩壊→経済的文化的階級性の減退→知的大衆層の媒体=マンガ

恋愛表現の深化 少女マンガ家から女性作家へ
図20 山岸凉子(1947~ )『日出処の天子』「LaLa」80~84年(23) 恋愛と独我論 
厩戸(聖徳太子)と毛人の同性愛と別離 超能力者・厩戸の「魂の双子」論〈わたしとそなたは一つになるべく生まれてきたのだ〉〈二人力を合わせれば一天四海を握るが如く総てを支配できるのだ〉 →夏目〈激しい恋愛がもつ宿命的感覚、存在の同一化願望、必然性の神話。その経験のある人なら、厩戸の言葉にリアリティを感じるだろう。男女間の恋愛でも同じことはおきうる。〉(24) →普通人(?)・毛人のエゴ指摘〈王子のおっしゃっている愛とは相手の総てをのみ込み相手を自分と寸分違わぬ何かにすることを指しているのです〉〈わたしを愛しているといいながらその実それは・・・・あなた自身を愛しているのです〉 →夏目〈ここで毛人は、恋愛の深い経験の中で人が往々にして陥る独我論的な不可能性に気づいたのである。〉(25) 「I Want you,I Need You,I Love You」、「The End of The World」の恋人と世界の等価交換性 互いに自分とは何か、相手とは何かを問いながら彷徨する描写→互いの内語を交互に見せる少女マンガ的描写 藤本のいう少女マンガ・イデオロギーへの一つの応答

図21 岡崎京子(1963~ )『ジオラマボーイ パノラマガール』「平凡パンチ」88年(26)
「フツー少女」(?)のSEX視線 ロマンをはぎとった「憧れ」へのドライな楽しみ方 「恋」の消費
図22 桜沢エリカ『私のことを考えない人』「月刊ヤングロゼ」90年(27) 恋愛前駆的気分→恋愛への「かけひき」の瞬間 〈甘い匂い〉→遊び感覚→気分の微分表現(余白の活用)
「恋愛感情」未満の「気分」=時間の浮遊感覚 遊びから恋へ 気分から感情へ 気分表現の緻密化
図23 岡崎『私は貴方のオモチャなの』「フィールヤング」94年(28) 好きな男の犬になった挙句彼のさしがねで集団レイプされた女の子が普通のデートを1回して〈これで全ておしまい〉と庭に水を撒く「潔さ」 80年代女性作家の「強さ」「明るさ」「ドライさ」 夏目〈前を向いて絶望する勇気〉(29)
図24 同『好き? 好き? 大好き?』「月刊ヤングロゼ」95年(30)
甘いいちゃつき会話と裏腹な不安の内語連鎖 信じたい/信じない 好き/嫌い 感情の自明性の崩壊
「恋愛」(=対人関係)の不可能性 「恋愛」「感情」「気分」「人間関係」すべてにわたる消費感覚→価値観の揺れ

0年代とセカイ系恋愛観
図25 CLAMP『ちょびっツ』「ヤングマガジン」00~02年(31) 女の子PCとプログラムとわかって「恋愛」する男の子 互いに「特別」になる→SEXすると初期化 夏目〈「互いが互いに相手一人しか存在しないような選択は、結局は不可能だ。あるとしても一瞬しか可能ではない」という「不可能性の寓話」〉=〈他人=他者とは、そもそもそんなに都合よく自分を選んでくれるものではない〉(32) =おとぎ話の〈ハッピーエンド〉
図26 高橋しん『最終兵器彼女』「ビッグコミックスピリッツ」00~01年(33)
他者の不可能性主題+世界の破滅 夏目〈最終兵器になった彼女が、最後に地球を滅ぼし、かすかに残った力で自らの中に恋人をとりこむ。〉(34) 微分化の果てに壊れ、多層化し曖昧になった「言葉」の画像=「意味」「記号」に溢れ返りながら、どれも曖昧で拠り所ない不安な感覚 薄い被膜(レイアー)の重なりでしかない世界観
破滅した世界の果てに見たもの=〈白く白く深く、清浄な世界だった〉(70年代以降のマンガ、アニメ的破滅願望)
〈他者の存在しない世界、独我論の「果て」が、「死」や宗教的彼岸同様に美しく「清浄」であることを、現在のマンガがよく知っているのだと思える結末だった。それが、このマンガの洗練された記号的な画像の「美しさ」にもなっているし、作品自身がそのことをよく知っているように見える。〉(35)

5)現在のマンガと恋愛の例
椎名軽穂『君に届け』「別冊マーガレット」05年~ 70年以来の「そんなキミが好き」類型 人によって苛立つ
主人公 黒沼爽子(貞子)=コミュニケーション不全 不気味に見える 無垢 誤解される 超天然で鈍感
彼氏 風早翔太=超さわやか 社交的 人に好かれる なぜか貞子を気に入る→好きになる
友人 吉田千鶴(ちづ)=豪快、ケンカ強い 矢野あやね=おしゃれ カッコいい ともに群れない
ライバル くるみ=ぶりっこ 陰謀家 作家自身、貞子タイプではない? →友人、くるみの罵倒に爽快感
図27 椎名『君に届け』2巻12p 陰謀の主が貞子との噂に探りを入れる友人 かつての少女マンガ以上にありえない天然鈍感ぶり 人と打ち解けようとするが、翔太の助けで次第に誤解が解ける→恋に発展する(が本人がいつまでも気づかない) 図28 3巻124p 〈むねがいたい!!〉→図29 4巻138p 〈恋愛感情〉ようやく言葉を与える→図30 7巻168p ようやく恋愛感情であったことを確認→図31 9巻28~29p 風早告るも、貞子誤解しすれ違い→図32 9巻169~170p 自分から想いを届けようとする→図33 10巻94~95p〈やっと届いた〉→図34 12巻66~67p ようやく手をつなぐ(拍手 少女マンガの古典的王道を超スロー画面で微分化して追うような印象 各個の心理の行き違いを微細に追う手つき(とくに貞子のそれが意外と対象化されていて、作家の「私」性を感じさせない) 可能性への確信の強さ=不動の王子様 読者視線はむしろ友人たちから貞子を見る 貞子→友人たち→翔太の順に心理過程が描かれる
マンガの多声的複数性(主観がそのたびに入れ替わる表現構造)を安定的に使った「恋愛」可能性への信頼物語

マンガが大衆的なレベルの娯楽媒体であるかぎり、先端的な課題に進む部分だけでは存続しえない
つねに、そのときどきの「フツー」な願望、憧れ、快楽に対応する幅広さがなければ市場は縮小する
また、そうした市場から生まれる作品群だけに、その時代社会の規範、願望、挫折などを映し出す

01)柳父[やなぶ]章『翻訳語成立事情』岩波新書82年90p
02) 清水勲『近代日本漫画百選』岩波文庫97年111p
03) 『北沢楽天画集 近代漫画の創始者』番町書房71年81p
04) 『人生漫画帖』大日本雄弁会講談社 1932(昭和7)年 58~59p
05) 清水勲、湯本豪一『漫画と小説のはざまで 現代漫画の父・岡本一平』文芸春秋94年112p
06) 『現代漫画⑮漫画戦後史Ⅱ社会風俗篇』筑摩書房 70年 7,16p
07) 南部正太郎『ヤネウラ3ちゃん』小学館文庫 77年 42,44p
08) 湯沢雍彦[やすひこ]『図説 家族問題の現在』NHKブックス 95年 83p
09) 朝日新聞社「手塚治虫 過去と未来のイメージ展」図録95年151p
10) 夏目房之介「恋愛マンガ学講義」『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』NHK出版97年189p
11) 水野英子『銀の花びら』講談社漫画文庫① 02年80p
12)同上 講談社文庫① 02年 43p 
13) 夏目『マンガはなぜ』191p 
14) 同上193p 
15) 同上195p
16) 田淵由美子『林檎ものがたり エピソードⅢ』集英社文庫「りぼん おとめチックメモリアル選」05年97p
17) 橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 後編』北宋社83年356p 、352p、358~359p
18) 藤本由香里『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』学陽書房98年13p 
19) 同上12p、23p、26p 
20) 夏目房之介『消えた魔球』双葉社91年77p 
21)夏目 『マンガはなぜ』213p
22)夏目『マンガはなぜ』213~215p 
23) 山岸凉子『日出処の天子』白泉社文庫⑦67p、81p
24) 夏目『マンガに人生を学んで何が悪い?』ランダムハウス講談社06年145p 
25) 同上146p
26) 岡崎京子『ジオラマボーイ パノラマガール』マガジンハウス89年277p
27)桜沢エリカ『Love so Special』角川書店65,68p
28)岡崎京子『私は貴方のオモチャなの』祥伝社95年128~129p
29) 夏目『マンガに人生』181p
30) 岡崎京子『チワワちゃん』角川書店96年165,171p
31) 夏目『マンガに人生』184p
32) 同上185p
33) 同上186p、187p
34) 同上186p
35) 同上186p

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