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夏目房之介の「で?」

「からだの文化」二日目終了

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いやあ、面白かったですね。二日目の研究発表、まずは大地宏子さんの「日本近代のピアノ教育における身体イメージの剛と柔 ―井口基成と宅孝二の比較から―」。日本のピアノ教育が、19世紀欧州において発達したハイフィンガー奏法をつい最近まで墨守し、その精神主義、根性主義が『子犬のワルツ』など、マンガ→TVの「大リーグボール養成ギプス」的訓練法につながったという発表は、ものすごく面白く刺戟的でした。日本同様に遅れて国家統一と近代化を進めたプロイセンの軍事教練と、ハイフィンガー奏法が似ており、ドイツ人教師を通じて日本に移入されたそれが最近まで(多くの批判をものともせず)生き残ったという指摘は、僕には近代国家を遅れて作り上げた地域の厳格な労働主義(辛いものこそ真の修行)とでもいうべきものの伝承に思えました。明治~大正のナショナリズムと講談社文化(富国強兵と立身出世主義)、そして梶原マンガが一気につながりました。もちろんマンガに伝承されたような前近代的説話や宗教的背景もありつつ、基本は近代の問題のように感じます。そういえばランニングの訓練も最近まで「足を高く上げる」という、すでに欧米では否定された走法を日本が墨守していた、という話も思い出した。

そのあとの野村さんの「歩く丹田の系譜 −身体イメージがつなげる哲学・信仰・養生・芸能−」
の話も、じつは近代における体育的身体(測定できる「人間機械論」的身体)の問題を含んでいて、佐伯先生の指摘にもあったように、ことは国民国家とロマン主義のからむ近代イデオロギーの問題につながる。それぞれの発表が壮大な問題系に集約する瞬間を見た思いです。

最後のワークショップは、山田せつ子さんによるモダンダンス(とは何か、というのは長くなるので割愛)的な、体をいかに自由に使うか(ただしコミュニケーションとして)、という非常に興味深いものでした。まさに、19世紀西欧において成立した「古典」とは、近代の「自由」「解放」の待遇に生まれていく側面も持つのではないかと思うので、これまたリンクしてますね。
僕個人は、八卦掌的身体をもって自由なダンスを経験させていただき、何というか、自分の体の可能性をあらためて感じさせていただきました。とくに最後に八卦掌仲間と踊った経験は、自分の身体の表現力を感じる貴重な時間でした。
参加されたすべての人たち、支えてくれたスタッフたちに感謝します。大成功でした!

野村さんのブログにも記事が。
http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/

追伸

二日目に来てくれたエッグのキミさんもブログに紹介してくれた。
http://d.hatena.ne.jp/Eggfarms/

師さんのブログにも:
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20100720/p1

飯田耕一郎さんのブログにも:
http://blog.goo.ne.jp/usaya08/e/cac564e691142086f5f3ebac9b7741af?fm=rss

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