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夏目房之介の「で?」

現代マンガ学講義(6) マンガのコマと近代~歴史

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2010.7.10  現代マンガ学講義(6) マンガのコマと近代~歴史  夏目房之介

1)近代とは?  経済、社会、思想にわたる用語 西欧で確立したとされる
近代市民社会=社会システム 近代国家=国民国家(王権→国民へ 18~19C.)、議会制や民主政体 近代経済=産業革命(18~19C.)以後の資本主義経済 近代思想=合理主義 近代哲学=デカルト(17C.) ルソー(18C.)
 経済・社会システムと文化・イデオロギーの両面における変化

近代の「時間」とは?  「今・ここ・私(たち)」の成立 17~18C.西欧 「今」を起点に更新される時間経験

〈そして、この語[今の世(Modernitas)→註]の将来を決定したのは、「古典古代の文化」と「今の文化」との優劣が論じられた17世紀末から18世紀初頭における「新旧論争」でした。この論争は、「近代人(Les Modernes)」の文化の自律的な意義が正面から取り上げられたものとして、歴史意識の大きな転回をしるしづけました。また、「啓蒙の世紀」である18世紀になると―「世紀」という語で歴史上の百年間の区分を指すことが一般化するのもこのころからです―、「今の時代」は、次第に世界が完成へと近づきつつある時代であるという歴史認識が支配的になり、文化のあり方も、古典古代を手本(規範)とするのではなく、「今の文化」それ自体の批判の中から進歩していくものであるという、現在私たちがいわば常識とみなしているような時代意識が広まっていくことになったのです。〉石田英敬『記号の知/メディアの知 日常生活批判のためのレッスン』東京大学出版 2003年 284p
註 「未来の世」と「古の世」の中間世界=「今の世」=モダン、モダニティ=「近代、現代」

〈ヘーゲルは、「近代人は朝の礼拝の代わりに新聞を読む」と述べました。これこそ、近代の本質を示した言葉だと言ってよいかもしれません。聖なる書や宗教的暦が人々の生活の時間を律していた近代以前に対して、日々更新する世界の出来事を読みとり、その〈今〉を起点にして、時間の経験を組織していくというのが〈近代〉という時代です。〉同上 285p

宗教的円環に内包されない、進化する過程としての現在=不確定な未来を生成する「今」
科学的合理主義の分析的理性 現象を収集分類し並べ直し分析する(博物学、観相学)
 全体と部分→構成編集する意識 叙述の変化(細部の描写、「私」の語り=書簡体)
 ※数学遠近法の成立(15C.西欧) 同一視点からの空間区分

決定された叙事詩的場面(宗教的聖画)の連続ではなく、均質で等価な「瞬間」の生成
→テプフェールの「近代」的なコマ? 世俗化と人間(顔、性格)への傾斜(江戸期「相見」「大首絵」)  『天狗通』のコマ構成=手順解説の叙述に相当(物語化しなかった)

日本における「近代」の問題 「遅れた国の近代」 明治維新は革命か、クーデターか?
明治国家は近代国家か絶対王政か? マルクス主義の歴史段階説から見た日本の近代
日本の時代区分 中世(室町)→近世(江戸)※日本特有の区分→近代(明治以降)→現代(第二次大戦後) 歴史意識の分断 「近代」と「現代」はともにモダンの訳語 「遅れ」か条件の違いか 70年代までの日本知識人の大問題→80年代に消失 「アジアで唯一近代化に成功した日本」(日本文化論)→東アジアの近代化進展 欧米モデルの相対化

2)マンガを「歴史」的に考えること  歴史観/世界観 「近代」とは何か?
〈例えば、「日本初のマンガは『鳥獣戯画』である」という見方に反論するのはいいとして、その根拠を別の「起源」で説明することの功罪をどう考えるのか。また、日本語とマンガの表現的特徴を重ね合わせて、日本文化の優位性を語る言説に対し、画一的な日本文化論批判に留まらず、そこから先に議論を進めるにはいかなる論理が必要なのか。さらには、マンガを「近代」という枠組みとの関係から説明するのであれば、マンガが帯びた「近代性」を指摘するだけでなく、逆にマンガがいかなる意味で「近代」の輪郭を形作る一因となってきたのか、それをあわせて考察する必要はないのか。〉吉村和真「「戦後」「マンガ」「歴史」を接着するために」「水声通信」(水声社)2006年12月号「特集 戦後マンガ史論をどう書くか」所収 52p

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