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夏目房之介の「で?」

清水克行『日本神判史 盟神深湯・湯起請・鉄火起請』

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昨夜、ひさしぶりに清水(若旦那)克行君が来訪。ちょうど知り合いの紹介で、ハーバードに在籍する人類学の先生、真島亜有さんとエッグで会食予定も入ったので、一緒に歓談した。真島さんは、才媛であるがむちゃくちゃノリがよく、面白い話をしてくださり、場は異常に盛り上がった(お隣のご家族には迷惑であった、すいません)。
ちなみに真島さんは、こんな方です。
http://www.renaissance-eyes.com/request/2008/01/post.html
また清水克行君は、明大商学部の准教授であった。うわー、立教の学生時代から知ってるので、驚くなあ。若旦那、りっぱになっちゃって(泣)。
http://rwdb2.mind.meiji.ac.jp/Profiles/20/0001946/profile.html

で、若旦那が持ってきてくれた近著がこれ。

清水克行『日本神判史 盟神深湯・湯起請・鉄火起請』中公新書

一見、何を書いてあるかわからんタイトルなので、売れ行きが悪いそうだが、話はかなり面白い。
まだ読んでないので、本来なら読んでから紹介すべきだが、何しろ読むべき本が山になっており、いつ読めるか知れたものではないので、先に紹介してしまう。

内容は、じつは会食の前に仕事場であらすじを本人から聞き、冒頭と最後だけ斜め読みした。冒頭だけ読んでも、若旦那の文章のうまさが知れる。フィールドワークに出たときの話に始まり、臨場感とともにテーマに引き込まれる。
彼は、日本の中世から近世にかけて行われた神による裁判の歴史を、それが実際に行われた地方に行って取材するのだが、その話がまず面白い。裁判は二種類あり、一つは熱した湯に手を入れてやけどしないほうが正しいとするもの(湯起請)、もうひとつは焼けた鉄棒をつかんで被害の少なかったほうが正しいとするもの(鉄火起請)。こういうのをクガタチ(盟神深湯)というらしく、世界各地にかつてあり、今もあったりするらしい。
たとえば、滋賀県蒲生郡や会津の地で、かつて行われたクガタチを取材すると、今でもそのことを地元の人たちは伝えており、その結果村や町の境界が定められて今に至っていたり(横浜と川崎の境界も江戸初期にそうして定めたらしい)、勝った人が祭られていて、英雄的に伝えられていたりする。それどころか、焼けた鉄を握ると当然手が使えなくなるので、その後、その人の農地はほかの村民が共同で営み、19世紀に至るまで共同体が彼の家を助け続けていたりするという。

つまり、じつはこれらの神事はまるきり数百年前の歴史だったのではなく、その伝承は最近まで生き続けていたらしい。すごいのは、そうして境界争いを決着した村同士が、今でも双方で「あっちはズルをした」とか思い続け、お互いに結婚することもないほど交流しない例もあるのだそうだ。
これらの例を収集し、湯起請の件数が1400年代半ばをピークとし、鉄火起請が1600年(関ヶ原の戦い!)をピークとすることをグラフで示しているのだが、問題は何でこの時期だったのか、ということだ。若旦那は、それまである程度安定していた公権力の法制度が、この二つの時期に混乱し(それまで口約束で済んでいた境界問題などが、この時期に書面になるようになったり、制度的な変化もあったらしい)、地元が自分で何とか決着するために持ち出された慣習法だったということと、同時に、神の判断への信頼度が落ちてしまったことが背景ではないか、というようなことをいっていた(耳学問でいい加減なので、本当に知りたい人は本を読んで判断してね)。実際は、本当にそれで神慮が下りたと信じたからというより、もっと現実的な理由で、紛争を解決する手段として使われていたらしい。それも、結局はえん罪事件が起き(当たり前だけど)、江戸時代に世がおさまるとともになくなったのだという。

要するに、これはクガタチなる神事を通して、日本の中世~近世の共同体が、いかにして神を失っていくかという話なのだ。そして、最後に若旦那は、こう反問する。
クガタチの習慣は、中国とヨーロッパでは、早い時期になくなっているという。中国では法家の思想が浸透し、ヨーロッパではキリスト教会が神を試す業として禁止したらしい。日本ではそうした強力なイデオロギーの介入がなく、かなり最近まで存在したが、結局イデオロギーによらずに自然消滅した。なぜなのか? 
若旦那と最後に議論になったのは、その理由を日本の特殊性に還元しうるかどうか、という点だった。僕は、金融や流通の発達が自然に合理的思考を生み、社会の世俗化圧力が高まった結果なので、むしろ特殊ではなく、自然だったんじゃないかと考える。こちらから見れば、ヨーロッパの例のほうが、強力なイデオロギーの垂直性と人間社会の世俗的な水平性を無理やり統合しているように見えて、特殊なんじゃなかろうか(でも、近代思想はかの地で生まれたので、あっちが基準になるんだけど)。若旦那は日本の例を世界的に特殊な現象として読み解こうとしているようだったが、案外そうじゃないよねってのが、最近の僕の考えなのだ。

まあ、こういう議論はじつは、ほかの多くの地域で果たしてどうだったのかが、詳細にわからないと決着しない。僕は、大文明圏(ローマ帝国のヨーロッパ、イスラム地域、中国、インド)の中心地とその周縁部において、相当異なってくる気がしていて、周縁部(東アジアでいえば、朝鮮半島、日本、台湾、東南アジア)で同じような研究がどんな結果を出すかによって変わってくるなあと思う。日本は、古代からさまざまな地域からの寄せ集め的側面があって、それが垂直性を弱めてきた可能性があるとは思うが、所詮与太話である。
でも、こういう与太話はじつに楽しい。若旦那みたいな話のうまい学者と話していると、ほんとに時間を忘れる。

というわけで、いい加減な話ですが、この本は面白いと思うので、興味のある方はぜひ。

追伸
こんなん発見
http://blog.livedoor.jp/ueikjp/archives/51071081.html

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