現代マンガ学講義(2)-3
現代マンガ学講義(2)-3 市場特性 中間層
仮説 中間層の厚い社会は何をもたらすか? 都市住民を中心に均質な生活空間を持つ類似した趣味共有
地域差の少ない生活感性に見合った娯楽の共有 → 同じ文化を共有する安心感?
同時に、趣味性の差異を求め、差異の「記号」を消費する大衆消費社会の特性を反映?
戦争による流通など中央統合→戦後の高度成長による中間層化→消費社会化による娯楽の均質/多様消費拡大
=歴史条件の偶然によるマンガ媒体の中間層メディア化→多層文化消費形態の一つへ
参照
夏目房之介「マンガの発見」103回「「ビッグコミック」創刊の頃3若者たちの肖像」より 「コミックパーク」サイト連載 2008.2 http://www.comicpark.net/ ところで、ここでいう都市部の若者とは、正確にはお小遣いを使えた「若者」たち、おもに都市中間層の子弟である。が、その一方に、農村から集団就職列車で都市に流れ込んだブルーカラー階層の若者たちがいた。60年代を中心に大量の若者が集団就職列車(54~75年)に乗り、労働力として都市部に流入した[註]。彼らは、ほぼ戦後ベビーブーマーであり、つまりマンガをはじめ多くの戦後文化の担い手世代でもある。いいかえれば、彼ら大量移動人口の生活の変化、都市部への定着と結婚・子育て・マイホーム建設などが経済成長のひとつの支えであり、また若者文化から中産階級文化への変容の背景だといってもいい。/大学進学率も、55年の10.1%から70年の23.6%に上昇し、ここでも大量の戦後ベビーブーマーが都市部に集まり、知的大衆化していく。60年代の「若者文化」を形成するのは、これら戦後ベビーブーマーのブルーカラーから大学生にいたる階層の人々だったわけだ。/その観点から「ビッグコミック」にいたるマンガ雑誌の流れを眺めると、マンガ・メディアが社会の階層間流動の様子を映しているように思える。
A)戦前から続く講談社などの中間層以上を対象にした子供雑誌と、その後継者である戦後の少年・少女マンガ月刊誌の流れ。
B)より下層庶民をも対象にしえた赤本(一部には手塚治虫が影響を受けた中村書店のシリーズなど高級なものもあったが)、貸本マンガの流れ。
この二つの流れの後裔に、60年代の青年化したマンガに対応するマニアな雑誌として、「月刊漫画ガロ」(64年)と「COM」(67年)が成立、さらに中小出版社の青年劇画誌の乱立(67~68年)がおこる。長井勝一・白土三平がおこした青林堂「ガロ」は明らかにB)の流れを汲み、手塚系の「COM」はA)の流れだとすれば、「ビッグコミック」にいたる青年劇画誌乱立は、その(マンガと劇画の)総合と混沌の結果なのである[略]。/いいかえると、60年代末以降の日本社会の上げ底的「総中流化」=中間層を肥大化させた高度消費社会の成立が、マンガ・メディアの青年誌化の定着の背景であった。そこで「若者文化」=カウンター・カルチャーとしての象徴性をまとっていた「劇画」は、その想定読者層であった都市若年ブルーカラー層の成長と社会的上昇に沿って変容し、対抗的な役割を終えたと見られる。
A,B)両方の代表作家を揃えた「ビッグコミック」の成功は、いわばその里程標的な意味をもったといえるだろう。
註 55年に東京在住の15~19歳人口は90万弱、20~24歳で102万。それが65年には130万と158万に増え、各40万と56万で合計96万人の増加。60年から70年の10年間で東京の総人口は890万から1087万へ、約200万人増加している。(『数字でみる日本の100年』第4版 国勢社 00年など)