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夏目房之介の「で?」

『ちばてつや落穂拾い集 てっちん』

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ちばてつやさんから『ちばてつや落穂拾い集 てっちん』(非売品)をご恵送いただいた。「てっちん」は、15歳の頃に描かれていたマンガに使ったペンネームだとか。
うれちい、うれちい、うれちいなっと(昔のちばマンガ風に)♪
ちばさん、ありがとうございます!
内容は以下の通り。

『家路(1945~2003)』小学館「ビッグコミック」2003.10
 ちばさん一家が旧満州(中国東北部)で敗戦を迎え、帰国するまでを回想した作品。
『ぐずてつ日記』教材用描き下ろし2006.9
 ちばさんの三男の方の幽霊体験をマンガ化して、学生用の教材とした作品。
『マジック野郎』「ちばてつや漫画館」描き下ろし1997.7
 高井研一郎さんがちばさんのホームパーティで手品を披露する話。
『赤い虫』小学館「ビッグコミック」2008.6
 「少女クラブ」連載当時、神経症の幻覚症状で、寝ようとすると「赤い虫」が背中から頭まで這い上がり爆発するという体験の回想。作品中、「マガジン」で『消えた魔球』連載が始まることになり、担当の「矢原さん」(おそらく宮原照夫さん)から変化球を教わり、キャッチボールで体を動かした結果「赤い虫」が消えたという。興味深く貴重な作品である。
『バスに乗る』講談社フェーマススクールズ「MANGA」描き下ろし2006.9
 日常の些細な出来事でもマンガになるお手本として描かれたという。このスクールは、「少女クラブ」時代に編集長だった丸山昭さんが手がけた事業だったはず。
『屋根うらの絵本かき』同 集英社「別冊少年ジャンプ」1073.10
 旧満州での家族との逃避行中、お父上の同僚だった中国の徐集川さんに匿われ、外に出られない密室で弟たちに絵本を描いてあげた話。ちばさんによれば、これが後に漫画家になる原体験になったという。また、この時の恩人・徐さんに会いに中国に渡ったNHKドキュメンタリー「わが心の旅」で、すでに徐さんが亡くなっていたと知ったちばさんの流した涙は感動的だった。
『魔法のエンピツ』文星芸大学内誌「ステラ」描き下ろし2008.8
 奥様が冗談で買ってきた太いおみやげ用エンピツが、なぜかアイデアを生み出す「魔法のエンピツ」となったという挿話。
『トモガキ』(前後編)講談社「ヤングマガジン」2008.11
 59年当時、講談社の別館(旧家の古い洋館)に缶詰になったちばさんが、担当編集者の新井さんと悪ふざけをした挙句、頭からガラス窓につっこみ、顔中にガラスが刺さり、手の腱を切った事件と、その後、下書きだけの原稿を丸山さんがトキワ荘に持ち込み、急遽、代筆した事件を描く。この件をきっかけに、ちばさんはトキワ荘と交流ができる。代筆原稿のコピーが載っているので、どことなく石森、赤塚風のちば作品を垣間見ることができる。じつは、僕はこの旧別館を取り壊す直前に、丸山さんの案内で中を拝見している(いやあ、何て贅沢な経験だろう!)。この事件も、丸山さん、新井さん、ちばさんで、微妙に記憶が異なるようだが、いずれにせよ、ひとつ間違えばちばてつやという偉大な作家を失っていたかもしれない大事件であった。近所に病院があり、しかもその道の名医がたまたま担当されたと丸山さんから伺った。神の意志だったのでは、と思いたくなる。
『風のように』初出 講談社「少女フレンド」1969.7
 自然破壊が騒がれた頃に描いた作品と、ちばさん自身の解説にある(各作品に解説がついていて、これも貴重)。養蜂で全国を回っていたが、事件で父を失った子どもが白眼視されながら村に住み、やがて荒地を耕して花畑を作って去り、青年になって戻り、彼の唯一の味方だった少女と結ばれる話。ちばさんらしい寂しさと優しさと解放感を感じさせる小品。

「科学博士の出現!」
 最近、ご両親の部屋を片付けて発見されたという、15歳のちばさんが描いた作品の紹介。学校で使うノートに、下書きなしで描かれたストーリーマンガ。表紙と中身見開き二つ、奥付(単行本のそれを模してある)の計6ページの写真が載っている。いやはや貴重な一点!
「マル秘 ちばてつやプロダクション大公開」
 奥様が描いたたという『風のように』執筆当時のちばプロダクションのパノラママンガ。これも相当貴重ですぜ!
著者略歴 主な作品 受賞歴

 この本は、2009年、講談社創業100周年記念特別賞として、ちばさんが受賞されたときの記念出版らしい。多くは雑誌などに発表されたものだが、解説も含め、かなり貴重な資料的意味がある。できたら研究者にも入手できる形で出版してもらえないものだろうか。

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