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夏目房之介の「で?」

ジャン=マリ・ブイスー氏の発表概要1

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2010年2月22日 早稲田大学演劇博物館 グローバルCOEプログラム 公開研究会
 「ジャン‐マリ・ブイスー氏を迎えて 漫画の社会学 ソフトパワー ヨーロッパにおける受容 文化政策」 ジャン‐マリ・ブイスー氏(パリ政治学院、国際研究調査センター長)
聞き手 藤井慎太郎(文学学術院準教授・グローバルCOE事業推進担当者)

※以下、当日の発表(ブイスー氏夫人による逐語日本語通訳)の記憶及びメモと、配布された資料によって夏目が再構成したもの。

発表内容

 私の専門は戦後日本の政治、経済、社会の変化についてだが、4年前から本格的にマンガの研究を始めた。私自身、幼い頃からBDファンであり、それもあってマンガに興味をもった。こうした趣味のことをフランスでは「私の隠された庭」という。マンガは戦後の日本人のメンタリティの変化やトラウマを映すものとして重要な研究対象である。このように社会の変化を如実に映し出す「グラフィック・ナレーション」は日本以外にない。
また2002年に日本は世界第二位の文化商品輸出国となった。日本人の想像力が生んだマンガが、なぜこれほど諸外国に浸透するようになったのか、その理由をコンテンツの分析によって探ってみたい。以下の数字データなどは「マンガ・ネットワーク」という研究グループで調査したものを使っている。この組織では2007年パリで伊藤剛氏、東浩紀氏を招いてシンポジウムも行っている。2006~7年、マンガ・ネットワークでは国際交流基金の支援を受け「マンガの受容」について欧州4カ国(仏、伊、独、スイス)2千人を調査している。また、2010年には大学から「日本のBDの世界と歴史」という本を刊行する予定。

●フランスにおけるマンガ人気の高さ

・総売り上げ部数:1250万部(2008年)
・バンドデシネ市場におけるマンガのシェア:37.5%(2008年)
・売上高:1億5000万ユーロ(約95億円)
・人口あたりの売上部数:フランス人5人あたり1冊のマンガ単行本を購入している計算(アメリカでは百人あたり1冊)

 フランスは、人口比でいえば日本につぐ世界第2位のBD生産国である。

『TINTIN(タンタン)』24巻(1929)売上 2億1千万部 130カ国に翻訳
『ASTERIX(アステリクス)』33巻(1959)売上 3億2500万部 112カ国に翻訳
『TITEUF』13巻(1993)売上 2000万部 20カ国に翻訳

たとえば日本マンガがさかんに刊行されたドイツではBDはほとんど存在しなかったが、それではBDの伝統的な市場を持っていたフランスでは、BDとマンガは競合するのか、どんな関係にあるのか。
まず、フランスでマンガが受容された理由についてお話したい。マンガ・ネットワークの調査によれば、マンガを読むようになったきっかけの98%がTVアニメであった。

●TVアニメ:市場原理
・1970年半ば、仏で放送されていた子供向けTVアニメ数:年間千作品以上
・当時仏国内で一年間に製作されていたアニメ作品数は450タイトル。一方日本では1800タイトルが製作されていた。
・TVアニメ1分あたり製作コスト:仏5千ドル、米4千ドル、日3千ドル
・レクレA2(仏国営放送局の子供向け番組1977~1987年放送)番組内で放映されたアニメの36.5%が日、25%が米、23%が仏アニメ
・クラブ・ドレテ(民放番組1987~1997年放送)番組内放映の68%が日、18%が米、14%が仏アニメ

 クラブ・ドロテを放映していたテレビ局は銀行など民間企業によって作られたTV局なので市場原理に敏感だった。
 また、アニメの原作はBD(フランス)やマンガ(日本)であることが多いが、BDの方は厳しい検閲が行われており、それがフランスのアニメ原作だったのに比べ、日本のアニメの元になったマンガはほとんど検閲を受けていなかった。これが競争力の差になった。

●青少年向け出版物に関する1949年法
・第二条:青少年向けの出版物においては、如何なる形であれ強盗行為、虚偽、窃盗、怠慢、卑劣な態度、憎しみ、放蕩、(....)幼児・青少年を意気阻喪させるすべての行為、民族的偏見を生み出し助長するすべての行為を肯定的に表現してはならない。

 フランスでは13世紀に最初の検閲があり、以来「検閲への情熱」を持ち続けてきた。本来、検閲は国民の道徳観を表すものである。が、条文を見ればわかるように、その基準は曖昧である。その目的は国家主義的なものと保護貿易的なものとがある[後者は、おそらく戦後急速に流入した米コミック排斥のために検閲が利用されたという意味だろう:夏目]。検閲は、仏法務省内に設けられた「検閲委員会」(カトリック影響の強い保守的な21名と出版社・作家らの9名の計30名で構成)が行う。彼らが恣意的に検閲が必要だと思われるもの、たとえば「子供を過剰に刺激するもの」としてアメコミのオノマトペや「バカげている」という理由でヒーローのマスクさえ対象となった。実際、私が若い頃には文学でもサドやヘンリー・ミラーの作品、『O嬢の物語』、『エマニエル夫人』などが検閲対象となり、書店でも見つけられなかった。

●参照図 ボートで抱擁し合う若い男女のアメコミ一場面が離れて描き直された仏版の例
●ゝ イタリア作家のBD(80年代)で、祈祷中の少女のスカートに手お入れる聖職者(?)の場面を、聖職者と少女の全身図から頭部中心にトリミングした例
●『ラッキールーク』(西部劇)で敵を殺した場面を、殺さずに桶に撃ち落とし、ひっぱりだす場面に変えた例
●『タンタン』で飲酒の場面を描きかえ、飲んでいない場面にした例

●子供向けBDで、飼い犬の長い耳をゴムのように巻き、その回転で空を飛べるようにした場面
 この場面がなぜ検閲にかかったかわかる人はいますか?
 夏目「非科学的?」
 いえ、違います。動物虐待だというのです。

 これらは検閲によって描き直された例である。これまで4900件の検閲のうち、千件がBDだった。最も重い罰則は「販売の全面的禁止」だが、これは実施されたことがない。その下の「広告の禁止」が一般的であるが、広告がなければ卸業者が書店に配布できないことになっているので、実質同じである。これらの検閲は出版に自主規制という慣行を生じさせた。1974年以降は、委員会の意見が当局に受け入れられなくなっていった。たとえば『バーバレラ』1964年版の全裸シャワー・シーンは当初気付かれなかったが、68年度版では水着にされ、74年度版では全裸に戻っている。さらに84年度版では、乳房が大きなり陰毛まで描かれるようになった。

 ※藤本由香里氏質問「なぜ74年以降検閲の力が衰退したのか」
 当時、ディスカールデスタン大統領が当選し、彼は保守的政治家であったが、文化に対してはリベラルだったので検閲要請に必ずしも従う必要はない、と法務省に指示したのではないかと思う。フランスでは大統領が変わると、すべてが大きく変わるのです。また60年代の学生運動(5月革命)の影響もあったと思う。

 ところで、なぜ、それほど厳しい検閲がある時代に、日本アニメが入ってこれたのか。
 じつは、フランスのTVはもともと国営放送だったので検閲の必要がなく、そのため『ドラゴンボール』や『北斗の拳』も、女の子の下着の映るアニメも放映された。また仏民放には反検閲的な態度があり、アニメ管理組織CSA(セ・エス・ア 視聴覚最高評議会)は「性・暴力は規制されるべきではない」と主張していた。

 ※夏目質問「『めぞん一刻』アニメの仏版では、飲酒でどんちゃん騒ぎする場面が、酒ではなくレモネードにされていたと聞いたが、それは検閲ではなく自主規制だったということだろうか」
 おっしゃる通りだ。当時日本アニメは、その内容を吟味することなく、さまざまな種類のアニメがパッケージで輸入されたこともあり、「クラブ・ドロテ」などきわめて統一感のない放映内容だった。

 ※鵜野孝紀氏による補足
 「CSAのサイトには検閲の権限はない旨明記されていた。ただ、放送後に内容が適性であったかどうかジャッジして、未成年にふさわしくない描写に罰金を課したり、クォータ制に基づく制裁のようなことはあった」

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