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夏目房之介の「で?」

鹿島茂『勝つための論文の書き方』文春新書

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「論文を書く」のが、大学院のゼミの最終目的である。だが、論文以前に、論理を扱い、問題を構造的に見出し、抽象的なレベルの言語を実体的、感情的なレベルとわけて枠組みを作り・・・・・という作業そのものができなければ、論文どころか、自分の課題を発表して議論することすらあやうい。文章をきちんと書けるためにも、説得力をもって話すにも、同様の課題をクリアしていく必要がある。問題点やレベルは様々だが、この点こそが、修士課程の問題だというのが、2年間の経験でわかってきた。しかし、大学院に進まず、卒論以外に論文を書いた経験もない素人教授には、そこをどう指導してゆくかがわからんのである。

というわけで、博士課程の人を含めた演習ゼミで必要な読書目録を作ろうと話したとき、複数の人が挙げたのが鹿島茂『勝つための論文の書き方』だった。タイトルにはおぼえがあるが、さすがにこのタイトルに首を傾げてしまい、手にとっていなかった。
しかし、鹿島茂先生の著書であるから、そこは面白いであろうと読んでみた。結論からいえば、今年からこの本はゼミ参加者の必読リストにのせる。文章は平易で簡潔だが、論文を書くということは「問題を立てる」ことだという点も、その他の指摘についても、見事である。僕などが何かいうより、すぐに読めるので、読んでほしい。ここに書かれていることは、鹿島教授のいうように、論文のみならず、プレゼンテイションにも、発想法にも役立つはずだ。

ただ、問題があるとすれば、鹿島教授のように指導経験のない僕には、この本で書かれた内容を実地に指導する具体的なスキルが蓄積されていない、ということだろう。

大学院の学生にとって重要なのは、これまでの学生生活で先生や学校が何かやってくれたり、何をしろといってくれたことは、もはやないということを知ることであるはずだ。自分で見つけて、自分でやらないかぎり、前には何も進まない。ただ、そのこと自体を「指導」することはできないし、やれば「自分からやるべきこと」を「先生がやらせる」ことになるという矛盾が生じる。そのあわいをどうするか、というのが正直悩ましいのである。
今日、たまたま昔から交流のあるお菓子製造機器のメーカーの社長さんと話して、ここ10年ほどの新卒者のレベルがひどく落ちていると聞いた。それまでは、自分で問題を見つけて処理し解決してゆく能力があったが、いわれなければ何もできなくなっている、というのだ。事実だとすれば、何かが学生たちをスポイルしつつあるのかもしれない。

それにしても鹿島先生に教えを乞いたい気分だ。

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