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夏目房之介の「で?」

西村繁男原案、次原隆二『少年リーダム』(新潮社)1巻

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 元「週刊少年ジャンプ」編集長・西村繁男の名著『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』を原案にした「週刊コミックバンチ」連載マンガの単行本第1巻。ランブコメブームで部数をのばしていた「少年ザンデー」に危機を感じる週刊少年誌発行部数1位の「少年ジャンプ」とおぼしき「少年リーダム」誌に、1982年に配属される新人編集者が主人公。実在をモデルにした人物が、西村の他にも初代編集長・長野、本宮ひろ志などが登場。連載マンガも、知っている人なら微妙に元のマンガを思わせる作品から作者が連想できる。が、やはりそこはジャンプ的熱血を受け継いだフィクションなので、異様に熱い(暑苦しい?)誇張場面(多分)が多く、資料的にはもちろんそのまま使えない。が、こちらが知っている情報が出てくると、あ、このへんは取材をもとにしてるなと思う。

 そして、この1巻には82年の「少年ジャンプ」連載作品一覧表が資料として掲載され、主要作品についての西村のコメント(『まんが編集術』とは微妙に違うコメントがあったりしておかしい)があり、さらに「バンチ」誌にも掲載された「描線の流儀」1~2、西村と作者の次原、元ジャンプ編集者で現コアミックス(「バンチ」編集制作)の堀江信彦の鼎談、西村と本宮ひろ志の対談が掲載されている。この西村・本宮対談の本宮発言がモーレツに面白い。

 『男一匹ガキ大将』で本宮が「完」と書いたはずの「富士裾野の大決戦」の回が、編集部によって「つづく」にされたあたりの話になると、本宮節に火がつく。

西村 ずっと恨みごと言ってたもんね。「あそこで終わってりゃこんな苦労しなかった」って(笑)。
本宮 やり方があこぎですよね(笑)。しつこい。それが伝統的に続いていったから、ジャンプは伸びていったんでしょうけど。〉115p

 江口寿史が原稿を落としたときの話もある。
〈あの時、西村さんが「お前はもういらない!」って電話をガチャンって切った、あれなんですよ、あれ。締切りを守らない江口君と言う事を聞かない俺を斬り捨てたことが、600万部ジャンプの成功につながったんだと思いますよ。〉135p
 本宮さんという人は、じつにプロデューサー・編集者感覚のある人なのだ。そして、こういうことを平気でいう創刊以来の人気作家に対し、「俺ら、反本宮ですから」と言ってのける編集部員(たしか、本宮の著書では鳥山明の担当だった鳥島氏が「オレはあんたが嫌いだ」といっていた)がいて、ガンガン言い合う雰囲気があっての最盛期ジャンプだったんだろうと思わせる。本宮の「ジャンプ」観は、現場的な「知」としての精確さを持っていると思える。

本宮 ジャンプってホームランの打ち方を経験してるんですよ。俺もなんだかよく分からないけど、めちゃくちゃ振ったら入ったようなホームランを打った経験があるわけですよ。それは地響きと同時に下からドーンと歓声があがるくらいの勢いがあって、社会現象になるんですよ。その経験があるかないかではものすごい差でしょうね。
西村 ジャンプとしては低学年の子供たちの心をつかんで、その子たちになるべく長く読んでもらわなきゃっていう方針でずっとやってきただけなんですけどね。今はああいう漫画が生まれる土壌が狭まってきてるのかもしれませんね。〉136p
 本宮は、この後〈漫画家って一人でやってくのは難しい〉時代なんじゃないかと語り、出版社が原稿料を払いきれないようになると予言。メディア・ミックスを見越して、人が集まって〈総合的に漫画を作っていくスタイル〉になるだろうと語っている。

 西村の言葉も、読者市場の変化を感じていて興味深い。現場的には西村の「ジャンプ」観は正解だったのかもしれないが、こののち次第に読者層が多様に分化し始めたとすれば、「子供たちの心」だけでの理解は、実態とすれ違っていったのではないかという気がする。雑誌形態自体の変化が起こったといえるかもしれず、西村の〈土壌が狭まってきてる〉という言い方が何を指そうとしているのか、考えさせる。

 マンガの中では、危機感の中で少年サンデーと思われるライバル誌の数年分の連載と記事、グラビアなどを、部数変化のグラフを見比べて、編集部員が対策を練る場面がある。その結果、部数の上昇はグラビアでもアニメ化でもなく、人気マンガの連載そのものにあったことがわかる。これが事実だったかどうか不明だが、ありそうな話だと思う。
 マンガ編集者の心得なども、マンガの中で語られているが、少なくとも西村時代の「常識」に類するものだっただろうと思う。

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