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夏目房之介の「で?」

7月31日、花園大学集中講義「マンガにおけるマンガ家像」レジュメ

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2009.7.31 花園大学集中講義 マンガにおけるマンガ家像の変遷

1)  現在の一マンガ家像 大場つぐみ・小畑健『BAKUMAN集英社 

ジャンプを舞台にしたマンガ家志望中~高校生~新人マンガ家のイメージ

「二人で一組」=現代ジャンプ版 藤子不二雄A『まんが道』 持ち込みイメージの詳細さ、具体性(集英社) 担当者像(図1 2巻12~15p) 担当者の指摘 図2 2巻82~83p 

同様の場面(77年頃?) 小林まこと『青春少年マガジン 1978~1983講談社 08年 図3 14~20p 目の前で原稿を読まれる新人作家の心理 〈まるで魔法にかかったようだった 工富氏はオレにアイデアを出させるのだ〉同20p 過酷な現場と友人作家の「死」 影の部分

現代マンガ家イメージ(1)素朴な新人の熱血 (2)過酷な現実 (3)担当編集者

(4)マーケティング的な戦略的側面の前景化=『BAKUMAN』(『DEATH NOTE』との連続性

(5)恋人(?)=声優を目指す美少女=主人公の動機 職業イメージ

(6)制作の複数性 原作+マンガ家+編集者(+雑誌の性格) かつてはマンガ家は単独

 図4 1巻104~5p ネームの存在 編集者と媒介し合議する存在 〈編集者に見せてOKが出たら初めて原稿にできる OKが出るまでは何度でも描き直し〉〈もちろん絵にする時 構図は俺が考えるし コマ割りもそうとう直す〉 現在ではネーム原作が増えた 「原作」と集団制作=70年代に確立

BAKUMAN』は原作ネームとマンガ家のネームを公開 マンガ制作のシステマティックな側面、複数性=多層性が当然のイメージに

図5 1巻204p 大場ネームと小畑ネーム 図6 1巻184p 空間差の感覚の違い 178p 微妙なコマ構成による距離感 図7 3巻46p 大場のマンガ絵の特徴(記号的簡略ギャグ絵)→小畑の立体化

 → 同34p キャラクター性の合体 読者もマンガ制作の「現場」を疑似体験できる仕掛け

2) マンガにおけるマンガ家像の歴史

岡本一平(明29~昭23)『どぜう地獄』大正13年 東京美術学校の画学生としての自己像(画家としてのマンガ家=近代) 図8 清水勲・湯本豪一『漫画と小説のはざまで 現代漫画の父・岡本一平』文春 94年 32p 漱石山房の中の自分=文士の中にいる漫画家(漫画漫文) 大人向けの漫画 図9 田河水泡『蛸の八ちゃん』婦人子供報知 昭6~12年(‘31~37) 講談社漫画文庫 76年 14~19p マンガ家として作中に登場

〈水泡さんにたのんで人間にかきなおしてもらおうかな〉漫画家=透明な存在ではない

 読者が会いにいけば実際に会える人間 10 写真掲載 『のらくろ軍曹』講談社昭9(34

11 大城のぼる『愉快な鉄工所』昭16 中村書店 小学館 05年 

 机に向って一人で執筆→取材→キャラクターを考える

12 手塚治虫『のらくろもどき』 「丸」84年 『手塚治虫大全1』マガジンハウス 92年 177p 田河水泡登場 戦後手塚マンガにおける異常なほどの本人出演率

13- 手塚『ぼくの孫悟空』6 講談社手塚全集17 8~13 70~71p 「漫画王」52~59

 同様のマンガ家類型の継承

(1) 漫画家は画家のようなもの→ベレー帽? (2)一人で考えて描いている (3)眼鏡

3) 戦後マンガ家像の変化

白土三平『忍者武芸帖』、貸本劇画など、マンガ読者の青年化を背景に、自己表現に悩むマンガ家像へ 子供漫画家から「かっこいい作家(芸術家)」としてのマンガ家へ 14 永島慎二『漫画家残酷物語』1 フュージョン・プロダクト 0年 『シリーズ黄色い涙 漫画家残酷物語1 傷害保険61年 6~7,10~11,32~33p  アシ2~3人で月収50万(61年総理大臣給与の約2倍 週刊朝日「戦後値段史年表」) ここでは質屋に通う貸本専門のマンガ家 「喰うために描いている」

 〈作家がいくら新しい物を持っていっても編集者の石頭にわかるもんか!〉

 〈雑誌なんて詰まらんし人気人気で人気のねえものはマンガジャないと思ってやがるからな 記者共は!10p

 自分の描きたい「新しい」ものと出版社・編集者の求める商業主義的作品の齟齬

『同10 嘔吐』? 284~287,292~295p  「売れる」マンガで稼いだ金に嘔吐する主人公

本当の自分の漫画が描きたいんだ・・・・[]自信がないんだ・・・・生活の・・・・!

文学志望者、音楽志望の若者(のちのロック)同様の「悩み」 永島慎二自己像(狂言回し)の登場 良識派・芸術家との問答 〈たかがマンガだぜ 芸術のなんのってしろものじゃない 読まれりゃポイとすてられちまうんだ〉〈かわらこじきが映画芸術をきずいた! 電気カミシバイといわれたテレビも年々その質の向上がみられる! それにひきかえ子供マンガはどうだ・・・・作家、質! 共にていかしていくばかりじゃないか〉

 

59年週刊少年誌創刊 月刊誌から週刊誌への切り替え=作家の世代交代(トキワ荘、劇画世代

戦前から活躍した漫画家(大人漫画)との対立(60年代後半~70年頃衰退)

戦前からの「よいこのマンガ」から戦後ベビーブーマーの若者化に合わせた青年化・過激化

象徴的事件=寺田ヒロオの離脱 15 藤子不二雄A『愛・・・・知りそめし頃に』9 小学館 09年 62~67p 戦後児童マンガの転換期

寺田〈「漫画少年」に載っている漫画は、子供に夢を与える楽しい作品ばかりだった!〉[]

〈近頃の少年誌の漫画は・・・・ 見るにたえない作品が多い! [] 西部劇、探偵もの、未来もの、時代劇、ほとんどの漫画の主人公が銃を撃ち、刀を振り回している!〉64~65p 石森〈テラさんのいうことは正しいけど、理想論すぎるよ。〉66p 同時期藤子Aは『シルバークロス』というまさに主人公が銃を撃つアクション・マンガを描いている 寺田のいう「名作」 戦前の田河水泡、新関健之介『トラノコトラチャン』、吉本三平『コgクマノコロスケ』、戦後では井上一雄『バット君』、手塚治虫『ジャングル大帝』 梶井純『トキワ荘の時代 寺田ヒロオのまんが道』筑摩書房 93年 179p

4)戦後マンガの曲がり角

週刊誌化、青年化→ページ生産量の増大 主題の多様化 技術水準の向上→アシスタント制 プロダクション化

16 宮谷一彦『ライク ア ローリング ストーン』6 「COM」69年9月号 

若者文化としての青年マンガのヒーロー=マンガ家 自己表現(フォーク、ロック、ハプニング)者としての(青年)マンガ家像 編集者〈雑誌が出なくなる 掲載ることが先決でしょう〉 マンガ家(宮谷)〈もうすこしがまんしてください ぼくの いや新人の作品は この世界の宝だ 商業ペースと自己主張のギリギリの接点です〉80p

自伝としてのマンガ家マンガ 藤子不二雄A『まんが道』77年~?

〈この企画[COMの「トキワ荘物語」]あたりがきっかけとなったのか、七〇年代前半は、ベテラン作家たちに自伝的マンガを描かせる試みがあちこちで行われ、一方では過去のマンガヒーローのノスタルジックな復活の試みも行われている。〉米沢嘉博『藤子不二雄論 Fと(A)の方程式』河出書房新社 02年 211p

〈もちろんこの作品は戦後マンガ史の歴史的資料であり、昭和二十~三十年代の時代史であったが、青春文学の系譜をたどるビルディングスロマンとして多くの人に読まれていくことになる。私的でありながら、普遍性を持ち得ること、文字による文学が成立しながら、マンガが今ひとつ成功させえなかった在り方が、一つの方法としてここには結実していた。永島慎二の「漫画家残酷物語」が、やはりマンガ青年たちを主人公にしていたように、マンガを描くということの追体験が、より多くの共感を得るのは、背後に広がる作家自身のそれまでの仕事、つまり読まれてきたマンガがあったためかもしれない。〉同上 215p

「読む」=「描く」私 マンガ=ぼくらの共同体の成立(70~80年代

17 藤子不二雄A『第二部 まんが道』1 中央公論社(FFランド版) 87年 8~11

ドキュメンタリー的写真起こし絵(劇画から)+子供主人公の記号化+文字情報による歴史・状況説明+当時のマンガの再録(模写?)=『まんが道』的自伝マンガ手法の確立

4) マンガの産業化とマンガ家像の背景

60~70年代、週刊誌化・読者青年化→若者文化化を核とする市場の拡大 →マンガ制作現場の変化 アシスタント制度+プロダクション化 「原作」制度確立 編集者のプロデューサー化 市場のジャンル分化確立

プロダクションは法人組織をとるものがほとんどで、これは、アニメ化やキャラクター商品化によって、マンガ家の懐に巨額の二次使用料が入ってくることと無関係ではない。税務対策上はもちろん、資金の流れをはっきりさせておく上でも、個人経営より法人組織にしたほうがいい。版権の管理など、マンガ制作とは直接関係のない仕事をこなすにも、組織化して専任スタッフを置いた方がやりやすくなる。[]マンガ家になるために、先生に師事して、仕事を手伝いながらデビューを目指すのではなく、はじめからアシスタントという職業を選ぶのである。徒弟制から組織への移行である。〉中野晴行『マンガ産業論』筑摩書房 90p 〈マンガ産業の中核である制作現場が、一九五九年を境にドラスチックに変化したとはいいながら、依然として古いタイプの家内工業的な段階に留まっていることには驚かれたかも知れない。〉100p →編集者とマンガ家の個人的信頼関係(→昨今揺らぐ?

60年代後半期 少年マガジン表紙にちばてつや、川崎のぼるの写真 68年8月25日号

 翌69年3月30日号 執筆陣作家19人の集合写真が表紙に

68年7月 マガジン 84.4万部 サンデー 69.1万部 ジャンプ 10.5万部

70年8月      117万部       75万部        96万部

 大野茂『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』光文社新書 09年 293p

18  マンガ関連雑誌の総発行部数推移(196771) 『マンガ産業論』104p

    マンガ雑誌・単行本の販売金額推移(1976~1980) 同上 121p

(1) 大勢アシスタントを抱えて一緒に仕事をする (2)儲かる(版権収入

産業的なマンガ家像+個人作家(産業と家内手工業職人イメージの合体)

5) マンガ家像の典型化

ビデオ「手塚治虫 創作の秘密」NHKドキュメンタリー NHKエンタープライズ 上映

DVD 「情熱大陸 さいとう・たかを」TBSドキュメンタリー 録画 上映

合理性を無視した作家性と子供っぽい創造性イメージの手塚 +システム化された制作現場

 →より産業化された現場への接続 手塚の「個室」 漫画家像の類型化

さいとう →職人的な集団作業 映画的分業制の先駆者→『ゴルゴ』像に結び付けたいTV制作側 

その他

吾妻ひでお『不条理日記』70年代後半 江口寿史『寿五郎ショウ』80年代

島本和彦『燃えよペン』90年代 日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』2000年代

回顧物 辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』上下(青林堂工芸社) 畑中純『1970年代記 「まんだら屋の良太」誕生まで』(朝日新聞社)

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