花園大学8月1日 講義「ヘンなマンガ」レジュメ
2009.8.1(日) 花園大学 講演 「ヘンなマンガたち ~マンガを成り立たせるもの~」
1)「絵のないマンガ」 竹熊健太郎の学生作品
竹熊健太郎〈2009年現在、京都精華大学マンガプロデュース学科教授、多摩美術大学美術学部非常勤講師[(漫画文化論)] 「マヴォ」など同人誌を創刊。〉
今年の日本マンガ学会の発表で見た彼の学生の作品 「絵のないマンガ」
A)坪井慧(多摩美大卒業生)『放課後、雀荘で』図01-1~5
〈多摩美の卒業生である坪井慧さんの「放課後、雀荘で」。俺が言う「絵のないマンガ」の代表的作品であります。この作品のポイントは、雀卓を囲むキャラクターがすべてセリフ(文字)で表されており、しかも4人ともにフォントを違えていることです。手前の人物のセリフが裏返しになっていて、店の人に勘定を頼む「すみませーん」という文字のみ、文字が正しく表示されて“振り向いた”ことがわかるなど、非常に芸が細かい。この作品は以前「たけくまメモ」で紹介したことがありますが、再度大きい画像でアップします。〉「たけくまメモ」09.6.23
B)増田拓海(同上)『解答用紙は別紙』図02-1~11
〈こちらも多摩美卒業生である増田拓海さんの作品『解答用紙は別紙』。これを「マンガ」と呼ぶべきかは議論が分かれるかもしれませんが、見開きを1コマと見るなら、コマを追うごとに時間の流れがあり、展開があって、俺は「マンガ」と見なしていいだろうと考えます。マンガ学会でこれを発表したところ、場内大爆笑に包まれました。世の中には、見る以前には想像もつかない種類の傑作があるということを思い知らされます。いずれ「マヴォ」にも掲載したい作品です。〉同上
竹熊同人誌「コミック・マヴォ」に掲載? 図03
〈次回の「マヴォ」は本文148ページ、表紙入れて全部で152ページになりました。8月16日のコミケで頒布開始ですが、その一週間後(23日)のコミティアでも頒布します。〉「たけくまメモ」09.7.25
問 「これはマンガだろうか?」
A)の場合
マンガの定義 「絵・言葉(・コマ)」で構成される表現 →絵がない →コマはある
絵はないが「キャラクター(登場人物)」は読者に伝わる お話がある マンガでは?
B)の場合
絵はあるが、イタズラ描きであり、言葉もあるが回答であり、コマはページ見開き単位
→定義の解釈を拡大しないとマンガといいにくい 竹熊は「時間」「展開」があるのでマンガと
→「時間」「展開」のないマンガももちろんあった(昔の諷刺漫画など
→今では「マンガ」という言葉が「コマによって時間的に説話を展開するメディア」として一般に受け取られている →歴史的な変遷によってマンガという事象も言葉も変化する
2)マンガの定義は可能か?
国民百科事典 ‘78年
〈漫画 省略や誇張による、概してこっけいや諷刺を内容とした絵画の一ジャンルの総称で、東西を通じてその歴史はきわめて古い。[略]漫画が画期的に新しい顔を見せ、非常な活況を呈するようになったのは第2次大戦後のことで、これはテレビの普及と、週刊誌をはじめとするマスコミ、ジャーナリズムの発展、つまり総じて視聴覚文化の隆盛という事態が決定的に影響している。[略]
今日ではアメリカと日本を筆頭として、吹き出し(バルーン)や、〈ギャー〉とか〈ザー〉といったオノマトペ(擬声語)を多用し、コマ割りを自由に使ってストーリーを描き、語る→劇画(フランス語ではバンドデシネ)が、連載・長編漫画(アメリカ英語の〈コミックストリップ〉)のバリエーションとして盛んになり、漫画=劇画といっていいほどになっている。〉 渡辺淳
第二次大戦後 テレビの普及 マスコミ 視聴覚文化の隆盛
形態 コマ割り 劇画 連載・長編漫画 絵物語
↑諷刺画、戯画など、古代以来の「伝統」を強調し、近代に複製化、現代に説話性を獲得して長編化したものという定義 →「風刺」「笑い」という属性を本質規定とする
→日本では60年代から「笑い」のないストーリーマンガ、劇画が登場し、定義が「コマ」による展開(映画技法の移入説)として定義されてゆく
スコット・マクラウド『マンガ学 UNDERSTANDING COMICS THE INVISIBLE ART』 岡田斗司夫監訳 美術出版社 ’98 、ウィル・アイズナー→《連続的芸術 シーケンシャル・アート》
連続的芸術→ 連続的視角芸術→ 「並置された連続的視角芸術」→ 〈意図的に連続性をもって並置された絵画的イメージやその他の図像。情報伝達や見る者の感性的な反応を刺激することを目的として描かれる。〉(17p) 表現形式に注目した定義
他に媒体、読者に注目した定義も当然ありうる → 事象という山脈の名づけ
定義や名づけ方の変遷そのものを辿ることで物事の理解・分析の道具とできればよい
3)マンガの中心と周縁
マンガの読者、あるいは多くの人々が「マンガ」として思い浮かべるもの →曖昧
ジャンプ? BL? 携帯マンガ? ラーメン屋の4コマ誌 新聞の4コマ? アニメ?
曖昧だが確実に存在し、その地形と気候によって様々な相を見せ、地図を誤れば迷う
現在の産業市場的な「中心」は、おそらく少年週刊誌 その表現形式を想起するか?
中心的なマンガ表現の形式とは何か? 絵・コマ・言葉 → 絵・キャラ・言葉
キャラクターの強さ=現代マンガの重要ポイント(19世紀以降?
4)ヘンなマンガの意味
周縁(山脈の裾野=端)から見て、中心を明らかにする方法
絵の記号的性質について
吾妻ひでお『狂乱星雲記7 霧の町』(『不条理日記』奇想天外社 79年 所収)「コミックアゲイン」79年 図04―1~2 何もかも姿を変えてしまう世界 絵の指示性の否定→「モノ」ではなく「コト」を描く (マンガの?)絵の性質(記号性と多義性)についての示唆
主人公のキャラだけは同一性を保っている→読者にしか見えていない
一條裕子『静かの海』ぶんか社 98年 所収 「扇ぷー機」 図05 家具や道具や家が主人公
内語による主人公化 しかし読者の視線は人間に向く マンガの「内語」(読者にしか見えない)=その場の主体という約束事を人間以外に適用することで、マンガの絵の権力関係を転覆
キイワード 「読者にしか見えていない」・・・・はず
大島弓子『綿の国星』 萩尾望都『イグアナの娘』 高野文子『田辺のつる』
内語 少女マンガ~人物の内面表現の発展
吉崎観音『ケロロ軍曹』1 角川書店 図06 58p 内語が見える
周縁的な表現から表現形式が革新され、さらに様式化して共有された「約束事」のパロディへ
「ヘンなマンガ」は、マンガというメディアの中心へのカウンターなだけではない