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夏目房之介の「で?」

岩下朋世「手塚治虫の少女マンガ作品における表現の機構」

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 東北大大学院情報科学研究科のマンガ研究者・岩下朋世(ほうせい)氏の2008年度博士論文である。
 ずいぶん前からもらってたのだが、何だかんだでようやく読了したのだ。岩下さん、ごめん。
タイトルからだけだと、手塚の少女マンガの作品論的なものかな、と思うかもしれない。あにはからんや、この論文、これまでのマンガ論を整理し、組み替えて、あらたな地平を開こうと試みる壮大な論文なのだ。正確を期すために、岩下自身の文章で要約する。

〈日本の戦後マンガに関する研究は、範型としての手塚治虫を論じることを通じて体系化していった経緯がある。したがって、手塚治虫に関する研究の中で、体系づけられて論じてこられなかった「手塚治虫の少女マンガ作品」について論じる以上、従来のマンガ研究の理論的枠組みをさまざまなレベルから問い直す必要が生じる[略]そのためには手塚を範型として採用してきたマンガ研究の歴史を相対化する新たな視角を導入する必要性も出てくる。そして、こうしたマンガ研究の理論的、歴史的枠組みの再検討は、マンガのサブジャンルである「少女マンガ」研究の枠組みに関しても再考を促すものとならざるを得ない。〉(岩下 補論「マンガを「学術的」に研究することについて -「マンガ」一般を論じる上での諸問題」(2008)より

 そのために、この長大な博士論文の前半部を使って、岩下は手塚研究に端を発した現在のマンガ研究の背後にあるマンガ観(戦後マンガの手塚起源論)の批判的検討から始め、手塚の少女マンガとくに『リボンの騎士』の少女マンガ起源論にも同様の検討を加え、さらにそれらへの批判的検討であった伊藤剛『テヅカ イズ デッド』を再検討し、そこで提出された「キャラ/キャラクター論」に対し「キャラ図像」「人格」「キャラクター」という三項による表現分析を提起する(この三項については今後議論されると思う)。
 それらの成果をもって、岩下はようやく手塚の少女マンガにおける「内面」表現の分析を行い、これまでのジェンダー論、性別越境論による分析視角を広げ、マンガ一般に妥当する〈表現の機構〉を見出し、あらためて手塚マンガにおける少女マンガ表現の意味を問い返すのである。

 これらの再検討に引用されたマンガ論者は、早くは草森紳一、藤川治水、石子順造、中島梓、さらに夏目、竹内オサム、村上知彦、米沢嘉博、大塚英志、藤本由香里、押山美知子、中野晴行、宮本大人、伊藤剛などのほか、海外の研究にも及ぶ。この目配りの広さだけでも、これからマンガ研究を目指す人には指標になるはずのものだ。また、ここで提出されたマンガ論枠組みの再検討と整理は見事なもので、ひじょうに見通しがよくなる。できれば全国のマンガ研究者に共有されてほしいと思う。
 学術論文なので、書き方が厳密で繰り返しも多いが、用語そのものは平易で、厄介な翻訳用語は使われていないので、素人でもちゃんと読めば理解できる。現状、共有される形になっていないのだが、できるだけ早くWEB上にPDFなどで読めるようにしてほしい。そのへん岩下さんは、どうなんだろう。あるいは、どこか出版社が出してくれないだろうか。文章を練る必要はあるだろうし、現在書くとまた違った書き方になるかもしれないが。

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