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夏目房之介の「で?」

エルム時代の友人Kと会う

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少し前、大崎の駅でバッタリ会い、近いうちに、といって別れたエルム時代の同僚とエッグファームズで食事。いやあー、太ったけど変わってない。それにしても、よく僕が覚えてたなー。
向こうが僕を分かるのは、何らかメディアに露出してるのを見られてることが多いので、よくあるのだが、僕がよくそのときに分かったなあと思って。何しろ、Kによると最後に会ったのがR20年前だそうだ。僕はまったく、いつどこで最後に会ったか覚えていない。
「結婚してるの?」と聞いたら「来てくれたじゃない」といわれた。結婚式に出たのも覚えてない。でも、倒産のあと、しとうきねお氏中心の忘年会を四谷のホワイトでやって、新宿まで大挙して歩いている間に、彼が酔っ払いからナゼかビール入り尿瓶をもらい、歩きながら飲んでいたのはよく覚えている。その後、コマ劇場の横の喫茶店でケーキを食べてた。彼は背が高くて、なかなかイイ男だったのだが、そのとき誰かが「萬屋錦之介に似てる」といい、次の年の年賀状に「萬屋綿之介」と書いてきた。「錦」と「綿」を書き違えていたのだ。飄々としたとこがあって、面白い人だった。いや、今でも面白いけど。

エルムの倒産が1976年末。彼はたしかその年の初め頃に入社してきた。エルムがいきなり事業を拡大しようとした時期で、まず本社を高円寺から新大久保に移し、狭山に最新設備の倉庫を作り、人員を拡大して、双葉社から編集局長(現出版評論家の塩澤實信氏←随分お世話になった)と編集長(凄く尊敬できる人で、この人を見て「俺は編集者にはなれん」と思った。双葉社の本多さんに会ったのは、この人が縁)を引き抜いて、それまでの編集部を編集局にした。
その中でKも入社したのだが、あっちゅう間に倒産の憂き目に会った。むちゃくちゃ人が良くて、一緒に遊んでた同僚のT島とかアルバイトだったSとかに、失業したっていうのに金を貸しては踏み倒されたらしい。そういや、そんな話を聞いたな、と何となく思い出した。T島には、僕は大金は貸さなかったけど、ロクでもない目にはあって、どんな人間に用心すべきかを学んだ相手だった。あれやこれや、社会と人生と人間の何たるかを学んだ時代だったんだなー。

僕もそうだけど、Kもあまり昔話をしない。なので、記憶のすり合わせとか、全然できなかったけど、話は盛り上がり、ナゼか彼が仏教のことを知りたいというので、初期仏教から日本の鎌倉仏教までのあらすじを話したり、なぜ僕がキリスト教を嫌いになったかとか、なぜ信仰もないのに仏壇で手を合わせるのかとか、出版業界の問題とか、そんな話をしていた。でも、もう少しエルム時代のことを思い出す作業してもよかったかな。
楽しいひとときでした。

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