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夏目房之介の「で?」

メビウス×浦沢直樹シンポ大成功!

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本当に素晴らしいシンポでした。
明大の藤本由香里さんの縁の下の力と、原さん、野田さん、鵜野さんの働きに大感謝です。
もちろん、色々と困難もあったし、聴衆からみれば意見もあると思います。
メビウス氏は、質問に対して端的に短く、ストレートに答えるタイプではないので、日本語との同時通訳で不足なく展開するのは難しく質疑の部分は課題が残ります。

が、今回、ハンディカメラでメビウス氏や浦沢氏が絵を描く瞬間を写すことができ、言葉よりも絵が、線が、多くを語ることができました。
メビウス氏が線を走らせる瞬間を間近で見られた僕や浦沢氏はもちろん、聴衆もその感動を共有できたので、壇上から見ても、まるで会場は音楽ライブのように集中し、感動を感じ取ることができました。以前からマンガ家は絵で語る、あるいは絵を通して語るのだという観点から、こんなセッションができればと秘かに期していた僕としては、大成功といっていい場になりました。質疑も、課題も、まだたくさん残っていたのですが、まずこれ以上のデキにはならないのではないかとさえ思います。

メビウス氏や浦沢氏が、互いに刺激されながら絵を、目の前で描いてゆく。
そのライブな訴求力は、会場に静かに、しかし確実に浸透しいているように感じました。

浦沢さんが、メビウス氏が絵を描いているとき「至福の時間だよね」とささやいて、僕もそう思いました。素晴らしい感動のひと時でした。しかも、終わったときに、そのことをメビウス本人に伝えることができた!

浦沢さんが、壇上でささやいた江口寿史の4コママンガ、マンガをアシたちと音楽ライブのようにコンサート形式で描いて喝采をあびたマンガ家が、アンコールに応えて同じマンガを描くと途端にブーイングを受けるという作品は、僕も記憶に残っていました。浦沢さんは、あれ、マンガでもできるよね、といったのでした。僕もそう思った。
でも、それができるのは、一つはメビウスと浦沢さんだから。そして、線という不思議な現象が絵を生成する面白さを、自動筆記のように展開するインプロビゼーションを行える条件があったからでした。僕も、若い頃、山下洋輔のようにマンガを描けたら、と夢想したクチなので、浦沢さんの気持ちはよくわかった。

嬉しかったのは、終了後、控え室やパーティで、多くの作家さんたちから、同じような感動の感想をもらったことでした。
僕自身、自分のマンガの、そしてマンガ論の原点である「線」の不思議さ、面白さの感覚が、二人のアドリブに刺激されてムクムクと沸きあがってくるのを感じ、あらためて線とマンガからマンガを語りたい要求を蘇らせていました。だから、僕の中で線の身体的な運動のもつ面白さが、コマという時間に転化してゆく発想を口にしたのでした。
また、頭の中でさらに線の展開をコマに分節するアイデアイが沸き起こり、もしあと10分時間があったら、メビウス、浦沢に応えてその場で描きたかった。

まだまだ語りたいことがありますが、とりあえず今回はここまにでして、当日の僕の発表のレジュメを以下に転載しておきます。

あ、あと、若干写真も。

2009.5.9  明治大学国際日本学部シンポジウム 「メビウス∞描線がつなぐヨーロッパと日本」

A)夏目房之介「メビウスの日本マンガへの影響」(10~15分) ~2:30

1)   

メビウスとの出会い

 このような場で、メビウス氏、浦沢直樹氏とお話しできることは大変光栄です。お招きいただいて本当に感謝しています。

僕がメビウス氏の作品に出合ったのは、たぶん70年代後半でした。

今でも、その頃に買った「メタル・ユルラン」の米国版HEAVY METAL』の『ARZACH(アルザック)を持っています。[本、図版1]  77年度版

当時、2020円で買ってますが、28歳くらいでしたから、高かった。

その画力とイメージの豊かさ、スタイリッシュなコマの切り方や有機的で独特な陰影の線[図2]、未来SFやファンタジーに融合する古典近代的なデザイン[図3]、溶解と変容の線描による視覚化[図4]・・・。見たことのない表現の驚きで満ちていて、衝撃的でした。すべてをビジュアルで語ろうとする感性、視覚の思想の確信のようなものを感じました。

2)         

日本での影響

当時、僕はマンガ家を目指していました。

子供の頃から読み続けたマンガを、大学生になり大人になっても読み続ける、マンガ世代の一人であり、いわゆるマンガ青年でした。

メビウス氏の情報をどこで仕入れたかはっきりしません。が、米国パロディ・コミック誌『MAD』などを教えてくれた先輩のマンガ家や作家から聞いたか、あるいは雑誌で読んだかだと思います。

70年代の日本では、60年代に発展した若者文化、対抗文化としてのマンガ、あるいは劇画と呼ばれる潮流が、青年向けマンガ誌となって過激な表現を追求していました。

このへんの事情は、米国のアンダーグラウンド・コミックスや「メタル・ユルラン」をはじめとするフランスのBDの新潮流と、かなり似た、先進国に共通した現象だったと思われます。

その流れの中で、小野耕世さんなどが、さかんに海外のコミックを紹介していました。

たとえば、72年には海外コミック専門誌「Woo」が創刊され、ロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット』を連載したり[図5]、当時のマンガ青年の必読誌であった青年劇画誌「増刊ヤングコミック」で海外のコミックを紹介したりしています[図6]。後者には、宮谷一彦[図7]、榊まさる[図8]、平田弘史[図9]、谷口ジロー、上村一夫、石井隆、そして大友克洋など、当時のマンガ青年に影響深い作家が描いています。青年向けメディアとしてのマンガ勃興期の文脈の中に、海外コミックが浸透する現象があったといえます。

3)   

大友克洋の登場

  日本も、ちょうど世界的な若者文化の同時性の中で、ヒッピー的なイマジネーションと過激な表現変革の時代にあり、メビウス氏もその一環として受容されたと思います。とくにヴィジュアルSF情報誌「スターログ」が、70年代末から80年代にかけて精力的にメビウス氏や「メタル・ユルラン」などの紹介を行いました。

 当時の日本で、もっとも色濃い影響を感じさせたのは、大友克洋でした。

 

 まだ、一部のマンガ青年にしか知られていなかった大友は、「ロッキング・オン」という音楽雑誌で、かなり自由な表現を試みていて、そこにこんな作品を描いています。

[図10] 「マンガ奇想天外」80年4月創刊号 着色転載 『大友克洋の腸の陰干』(初出79年)

彩色され転載された雑誌「マンガ奇想天外」には、ニューウェーブとよばれる新感覚、新世代の作家たち、大友克洋、吾妻ひでお、高野文子らが描いていました[図11 表紙]

大友自身が単行本のあとがきでメビウスを初めて見て影響されて書いたとしている作品もあります。初出「SF宝石」79年10月号の『FLOWER』です[図11b]。同誌の目次、大友のページにはすでに「日本のメビウス」と紹介されています。

 ちなみに、メビウスの影響を感じさせる以前、初期の大友の絵はこんな感じです。

[図12] 『宇宙パトロール・シゲマ』77年 大友『ショート・ピース』奇想天外社 79年

 その後、彼はメビウスへのオマージュとも思える絵を使った作品などを『ヘンゼルとグレーテル』(81年 CBSソニー)[図13]という本にまとめます。『ドン・キホーテ』112113[図14] BDのアルバムの作りを日本に移植した早い例だと思います。

 他にも、ジャン・ジロー名義の『ブルーベリー』に影響を受けたという谷口ジロー、ドラッグ的な意識変容イメージを継承している小池桂一などの例を挙げることができます。 浮遊感覚、飛翔の描写、『アルザック』の乗る鳥の造形に、宮崎駿『風の谷のナウシカ』のメーベや、多くの宮崎アニメを連想する人も多いでしょう。

 また、大友克洋という作家が、70~80年代の日本マンガの表現水準を塗り替えるような存在だったことは強調すべきでしょう。たとえば、吉田秋生という少女マンガ家の絵も、ある時期、大友的な絵と運動描写を獲得しています。

[図15] 『解放の呪文』82年 吉田『夢の園』小学館 83年所収

ここには、あきらかに大友が日本のマンガに導入した運動の分節法が見られます。

それ以前の画風は・・・・(69年 [図16] 『楽園のまん中で』 『夢見る頃をすぎても』小学館 83年所収

 最近のヒット作でいえば、『NARUTO』の岸本なども、大友の影響を語っていますから、現在でもその影響は広がっているといえます。日本の戦後マンガの表現方法において、大友は大きな分水嶺をなしていて、メビウス氏の影響も、いわば間接的に日本マンガに広く浸透したといえるかもしれません。

 また、手塚治虫が、尊敬をこめて、自らの効果線の中に「メビウス線」[図17]と名付けた陰影のつけかたを作ったことも、付け加えておくべきでしょう。

手塚治虫『陽だまりの樹』81~86年 11巻(小学館 87年)174p

 手塚「メビウスの雲」のある指定用紙図版も

直接に絵の影響を指摘できなくとも、その「絵」あるいは「描線」の「思想」ともいうべき影響を受けた作家は、多かったのではないでしょうか。実際、私も影響を受けましたが、残念ながら画力がなかったので、誰もその影響を私の絵に見出すことはできません。

4)絵の思想

 このように語ってくると、直接目に見えるような影響を拾って、メビウス氏の仕事を語ることの困難さや限界に気づかざるをえません。

実際、日本におけるメビウス氏の影響を語るとき、画風や描線だけに限ってしまうと、その大きさと深さを刈り込んでしまいかねないのです。

そうではなく、メビウス作品の持っている意識変容のイメージ、線が線を越えてゆく開放感、そういった豊かな、そして普遍的な「絵の思想」そのものが、簡単には見えない形で、広く、深く影響していったというべきではないでしょうか。

それは、BD、マンガというメディアが持つ無限の可能性を感じさせてくれる、視覚的感性の思想として考えてみるべきかもしれません。

 本当は、いかにもメビウス氏らしい独特な方法で、自分自身と自作を語っているINSIDE MOBIUS』(2004~)シリーズなどが翻訳されると、私たちはもっと、その思想を理解できるかもしれないのですが・・・・ぜひ、どこかの出版社で出されることを期待して、一応話を終えたいと思います。

写真

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メビウス氏にサインをもらって、狂喜する僕。来年60歳のオヤジが、もう、ほとんど子供(笑 メビウス氏は、この角度だと浦沢氏の描く御茶ノ水博士みたい。

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控え室にて。右から永井豪さん、荒木飛呂彦さん、内藤泰弘さん。

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終了後、マンガ家さんたちとともに描いた僕の色紙。
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