クレイグ・ヨー、ジャネット・モラ・ヨー共編『ミッキーマウス画集』
こないだ研究資料を神保町で買い込んだとき、クレイグ・ヨー、ジャネット・モラ・ヨー共編『ミッキーマウス画集』(講談社)のハードカバー文庫版を購入した。92年に大判で出て、99年に文庫化されたようだ。なかなか豪華で面白いビジュアル本で、要するにアンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、チャールズ・ショルツ、マイケル・ジャクソン、ロバート・クラム、メビウス、スージィ甘金などが描いたユニークなミッキーを集めた画集なのだ。ぱらぱら眺めるだけで楽しい。
しかし、それだけではない。なんと、ジョン・アップダイクが「序文」と称してミッキーマウス論を書いているのだ。僕は彼の小説を読んだことがないが、ミッキーを扱った小説も書いているらしい。このエッセイ、なかなか本格的で興味深い。ミッキーを語るキーワードは「耳」であるとして始まり、どこから見ても角度の同じ耳の象徴的な意味を探り、そもそもマンガやアニメのキャラクターとはどんな存在なのかについて言及される。
〈元来ミッキーの耳は3次元空間には属していないのだ。ミッキーの耳は表象化された理想、つまり観念の世界に属している。漫画の世界特有の、弾性と不滅性をそなえた領域である。〉
このあたり、大塚英志「傷つく身体」論とも重なる議論かもしれない。
また、ミッキーの誕生や変遷を追い、排除され蔑まれる者としてのミッキーと彼の白人中産階級化、自分の中に記憶としてあるミッキーなどについて書かれていく。
〈あの表現しようにも不可能な子どものころの感覚ーーゴムの味、甘草入りのお菓子のにおい、超自然的な透明感、ミッキーマウスが与えてくれた身近な刺激の感覚ーー[略]私たちにとってミッキーマウスはまさしく”守護妖精”である。〉
ミッキーへの愛を動機にした、なかなかいい論考である。