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夏目房之介の「で?」

ちばてつや『トモガキ』前後篇(ヤングマガジン)

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ちばてつやが、『ママのバイオリン』を描いている頃の話を「ヤングマガジン」に前後篇で描いているとゼミで聞いて、おお、買わねばと思っているうちに過ぎてしまった。単行本で読もう、と思ったが、何しろ前後篇で90ページだから、いつ本になるかもわからない。ひそかに泣いていたら、瀬川氏が入手してきてくれた。ありがたいなあ。そういえば『練馬のイタチ』という、やはりちばプロの話を描いた連載は、ヤンマガの創刊からしばらくだったんだねー。それ以来らしい。
こういう回想、自伝物がふえるのは、僕などにとっては楽しみであると同時に、貴重な資料なので、うれしいなあ。

『「トモガキ』は「友垣」。ちばさんだとつい『餓鬼』のほうを連想してしまうが。
ちばさんが『ママのバイオリン』を「少女クラブ」(講談社)に描いている頃、数年前に取り壊された講談社別館(これがまた、すばらしくオシャレな昔の洋館だった)でカンヅメになり、夜中にはしゃいだ拍子に窓ガラスに激突し、顔と手をガラスでズタズタに切ってしまった事件を扱っている。

このときの「少女クラブ」編集長は丸山昭さん。じつは、僕はこの話を、取り壊し直前に丸山さんの案内で別館を拝見しながら、丸山さんから伺っている。そのとき一緒だったのは斎藤宣彦、藤本由香里、秋田孝宏などの各氏だったと思うが、いやあ、贅沢な話だなー。手塚さんが隠れた部屋だとかも案内してもらった。

ちばさんの手は、腱が切れていて、ひょっとしてマンガ家ちばてつやの作家生命はここで終わっていたかもしれないという事件なのだが、偶然すぐ隣に病院があり、しかもかつぎこれまれたときに名医がいて、うまく腱や神経をつないで動くようになったという話だった。もし、このとき手当てがうまくいかなければ、それこそ『紫電改のタカ』も『あしたのジョー』も生まれなかったかもしれないのだ。

ところで、この連載があった少しあと、エッグファームズと同じマンションに住む通称ハマちゃんが「夏目さんに聞きたいことがあるんすよ」といってきたのが、このちばさんの事件についてだった。彼は連載を読んで、本当にあった話なのか知りたかったのだ。僕も得意満面で、当事者の一人から聞いた話をした。ただ、そのときに原稿を丸山さんがトキワ荘に持ち込み、すでに忙しくなっていた石森、赤塚らトキワ荘組に代筆してもらった話は、おぼえていなかった。でも、そうだったらしい。そのときの連載原稿らしい絵がマンガの中にあるが、たしかに石森風だったりするのがわかる。
これを奇縁として、それまで会ったことのなかったちばさんとトキワ荘組が交流することになるという展開だが、最後は次々と亡くなった仲間の話になり、赤塚葬儀の場面で終わる。

ちばさん、もっと回想物描いてくれないかなー。読みたいなー。

ちなみに「ヤングマガジン」49(08年11月17日号)と50(11月24日号)掲載です。

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