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夏目房之介の「で?」

現代マンガ学講義24 08.12.11 5)「マンガ的な絵」とは何か?

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現代マンガ学講義24  08.12.11  5)「マンガ的な絵」とは何か? レジュメ  夏目房之介

「マンガの絵」 起源と成立

人間の知覚は、対象を省略化・単純化することによって成立しており、「描く」こと以前に「見る」ことが、すでに輪郭的・省略的であっても、それをそのまままんが固有の特徴だということはできない。「誇張表現」「ディフォルメ」「カリカチュア」などについても、一般的な絵画、特に近代以降の絵画を見れば、広く用いられている手法であることは明らかである。/「まんが的な絵」を定義することには、ほとんど意味はない。意味があるのは、「まんが的な絵」という共通認識が時代や場所によってどのように成立していたか、という歴史的な問題である。ササキバラ・ゴウ「まんがをめぐる問題」 04「絵について」

「マンガ的な絵」のイメージ

 形状的特徴=単純化 簡略化 線画 意味的特徴=誇張 滑稽・風刺

 実際は伝統絵画、美術ではごく普通の描法だが、西洋美術史の中で確立した網膜像再現的な絵画(線遠近法、立体の二次元化技術)からの逸脱度で計られる→元来「マンガ」的というより古代的、伝統的  →近代マンガの成立後、遡って「マンガ的な絵」として「再発見」された「伝統」「歴史」

マンガ原始起源論の典型

古代の漫画で現存する一ばん古いものは、紀元前二千五百年のメソポタミア初期王朝のもので、人物、動物などを戯画化したものである。須山計一『漫画博物志◎世界編』番町書房 72年 14p

5)-1 同書図版より リラの装飾板貝殻絵(メソポタミア BC2500年) 17p

 他に ブッシュメンの洞窟絵画(アフリカ 動物戯画(古代エジプト) など         

古代エジプトにおける「リアル」な彫塑類と「マンガ的」な絵画の並立

平面と立体は元来別の表象だった? 簡略な線画+「誇張・擬人化による滑稽・風刺」概念 →西洋カリカチュア(戯画)概念の成立

5)-2 レオナルド・ダ・ヴィンチ「五つのグロテスクな頭部」15C.半ば

ダ・ヴィンチは〈しばしば最初のカリカチュリストとされるが、グロテスクな人間の頭部が素描されたページからは、笑いを誘うような意図はうかがえない(参考図1)。むしろそこに見出されるのは、人間のありとあらゆる醜さに対する、冷徹な科学的興味である。ライネル・ランボーン「ホガースからホックニーへ イギリスのカリカチュアと風刺」 国立西洋美術館「イギリスのカリカチュア ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵」展図録 87年11p 最初のカリカチュリストは16C.イタリア? 本来、絵画には誇張的な描写が含まれリアリズムと同時に存在していたはず

5)-3 

川崎市

市民ミュージアム『日本の漫画300年』展図録(96年)で紹介される「古代の戯画」 「大大論」8C.(正倉院文書) 二介元行『針聞書(はりききがき)』(1568年)鍼術秘伝書より「蟯虫」(九州国立博物館蔵『針聞書』ジェイ・キャスト 07年 27p) 前掲『漫画博物誌◎世界編』よりムンク『叫び』ロートレック これらを絵の「質」で「絵画」と「漫画」を分けうるか? ←不可能な問い

絵における2つの傾向 写実と記号

絵というものを2種に類別することがよくある。写実再現を目指す絵と図式的記号的表現を専らとする絵との2つである。前者は、事物の外観を模写再現的に表そうとする絵であり、後者は、もの事を目に見える記号によって表現する絵である。前者は、いわゆる「写実」的な絵や写真などに代表され、後者は、子供の絵、各種説明図、絵文字などを典型とする。/何らかのパターンに基づき、その選択結合、変形によって作画する方法は、2種のうち、記号的な絵において特に用いられ、その根幹に連なっている。笹本純「描かれた顔における「向き」の類型製」 筑波大学芸術学系研究報告「芸術研究報18」97年 121p

歌麿など浮世絵美人画などでは類型的な「向き」しか描かれないが、それでもあらゆる「向き」を感じさせる→ ボッティチェリなど西洋古典絵画ではあらゆる「向き」の可能な「立体」(ビュー)が想定されている

戦後マンガ史における顔の「向き」類型の変化

梶原一騎(高森朝雄)・ちばてつや『あしたのジョー』(68~73年) 講談社文庫版 1巻と12巻

5)-4 月刊誌~60年代マンガの「鼻」を持つ初期型ジョー1巻15p→後期12巻373p

劇画的「リアリズム」の浸透にもかかわらず、鼻の類型は「正面」を向けない(立体ビューではない)

5)-5 大友克洋的な絵においてマンガ的正面顔が可能になる 大友克洋『ショート・ピース』奇想天外社79年の表紙及び『宇宙パトロール・シゲマ』24p 完全な「立体」反映模写ではない

マンガの絵の記号性と変容絵による人物表現におけるパターンというものを、徹底して意図的に周到な体系化を踏まえて活用しているのが、マンガの領域である。戦後のマンガ史について、特に絵の側面に限ってその変遷を眺めると、確かにそれは図式的記号的表現から離陸して写実再現的表現を希求する流れと見なすことができる。〉同上137p

5)-7 西岸良平の顔の「向き」群(笹本論文 図16) 人物視線による「向き」の意味 同図20~22

図5)-8 テプファー『M.ヴィユ・ボア』の肉筆1827年版と印刷39年版で、すでに写実性変化?

5)-9 水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』 細密写実系の風景+簡略な人物(マンガ的鬼太郎と伝統画風妖怪) 絵のレベルの混交 西洋的な常識としての写実/簡略画の相互浸透 表象のレベル(「現実」との距離感)

→マンガ的簡略画の網膜絵画的なリアリズムや絵画性(芸術性?)への接近→遠近法・立体性の獲得(第二の近代化?)→ジャンルの成熟・多様化とともに折衷など、混交した画風の成立

○仮説 もともと平面である絵の「平面性」と「(擬似)立体性」の2方向で、異なる絵の傾向が生まれ、それが発展しつつ相互に浸透し合ってきた? マンガの中でも、それが生成する

・絵を生成する要素としてS・マクラウドのように「写実/記号/抽象」の三項を立てるか?

読者視点による絵のレベル 「見る」と「見える」

絵画や映画を鑑賞する私達の感覚の中では[]二種類のラインが同居している。/〈~を見る〉感覚とは何かというと、まるでオブジェのような絵画(映像)そのものを眺めるということだ。絵画なら「そこにある絵を見ている」という認識であって、「その絵の向こうにある世界を見ている」という見方には繋がらない。[]〈~のように見える〉はその逆だ。その絵の向こうに、何か仮想の世界が広がっているような感覚を得るを意味する。まるで絵のように世界が見えてくるという体験!それは、〈神の目〉〈鑑賞者の目〉が同化していくことを意味する。[]「絵そのものを眺める」というより「絵の向こうの世界を眺める」ようになっていく。そういう没入感覚は、多くの漫画読者が共通して体験することだろう。[]漫画の絵は、世界に二重のフィルターをかけてイメージへと還元するものだと言える。「世界観への還元」と「画風への還元」の二種だ。泉信行「「白さを見る」のか?「白く見える」のか? ―岩明均『ヒストリエ』における「神の目」の意識」「REVIEW HOUSE08 80~81

 5)-10 同論文図1 「見る」と「見える」の概念図

〈世界観への還元〉→「捨象」→登場する対象/登場しない対象の分別

〈画風への還元〉→「抽象/誇張」→「~のように見える」=「神の目」

漫画の絵が誇張するものとは、その作品世界の意識そのものではなく、「現実→作品世界」の間にある「落差」なのかもしれない。〉同上 82p  

a網膜像的な「現実」再現性・b「現実」の意味の記号的な再現性・c「現実」と非現実の距離感を示す要素

a→写実 b→記号 c→抽象 ? 「現実」の反映(写実)性と等価(意味)性 ?

参考 イタリアでマンガを教え、日本にイタリア・マンガを紹介する仕事もしている山根みどりさんのサイト。日本マンガ(「バカボンド」」とBDの視線誘導比較。あるいは絵の重さについて。

ローマでMANGA6]日本行き/midori

http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20080513140100.html

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