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夏目房之介の「で?」

本日行った講義「マンガと暴力(1) 『デビルマン』」のレジュメです。

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2008.9.25 現代学講義「暴力論」 「マンガと暴力」(1)『デビルマン』

01)マンガの「暴力」主題の成立 60年代の日本マンガ

マンガ・バッシング=「性と暴力」 怪しげな周縁的媒体の売り物→芸術、文学化→知的青年層

知的青年層媒体化=思春期~青年期読者層の「性と暴力」主題化=マンガでは‘60年代

●成長課題としての「暴力」ファンタジー

恋愛や友人関係、学校での諸問題、不良への憧れ、性や暴力への興味は、思春期以降の人間の社会化過程で必然的な問題だといえるだろう。/これらの問題に日本マンガは、スポーツや格闘技、恋愛物語やSFと、様々な舞台を提供して応えてきた。性と暴力を巡る想像力は、思春期から青年前期にある人間が、自分という存在を再確認し、ある場合はそいれを否定して新たな人格を再構成するために必要なものだ。いわば、自我確立のための起爆剤である。日本マンガが自然発生的にその必要に応えてきた結果、性と暴力がその主要な主題になったのだと思われる。夏目房之介『マンガの深読み、大人読み』イースト・プレス 2004年 「日本マンガという文化」 283p

●「若者文化」=対抗文化としての「暴力」

人が思春期から青年前期に人格を再定義するとき、成長儀式的な過激さが必要となる。/儀式のありようは、体やホルモンバランスの変化という生理的成長現象のみならず、その地域の社会的文化的な規範によってさまざまな形をとるだろう。[]/高度に複雑化し、教育期間という一定の留保時間が必要となった社会では、子供でも大人でもない、かなり長い過渡的な年代が想定されることになる。20世紀後半の大衆社会では、成長儀式は「学校」に置き換えられる。が、そこに包摂されない逸脱部分が、ジャズやロック、反抗や破壊、性的放埓など過激化する若者文化という形をとるのではないか。『巨人の星』の「青春」は、ロマン主義的な教養主義に近いものがあった。それと比べると、貸本劇画や『巨人の星』以降の少年マンガにあらわれた「性と暴力」は、より破壊的な、20世紀後半の先進国戦後世代の若者文化的表現だった。夏目房之介『マンガに人生を学んで何が悪い?』ランダムハウス講談社 2006年 「過激化する青春」 50p

●戦後社会と若者文化の成立

戦後に本格化した経済成長と大衆社会化の過程で、「若者」のプレゼンスは飛躍的に増大した。その背景には複合的な要因が介在している。まず、経済的な豊かさの実現は、子供中心の性格をもつ近代家族の大衆化を促し、高校・大学への進学率を飛躍的に上昇させた。その結果、肉体的には成熟を遂げながら社会的な自立を猶予された「子供」と「大人」の中間にあたるライフステージが大衆的なレベルで確立した。また、若者を消費市場のターゲットとする高度産業化の動きは、こうした動きに拍車をかけた。中山昭彦、吉田司雄編著『機械=身体のポリティーク』 水溜真由美「日本の〈怒れる若者〉と女性身体をめぐる闘争」 184p

●先行例としての米国

‘20年代「若者の反逆」と「放逸」が問題化 とくに女性の変化(「未成熟と永遠の若さ」が理想化) 社会的中間層(中流家庭)の成立と消費する大衆娯楽の発展(ダンス、映画、出版物、音楽) 

(参照 常松洋『大衆消費社会の登場』山川出版社 世界史リブレット48 1997年)

02)暴力表現の例としての『デビルマン』 善悪転倒と人間不信

永井豪『デビルマン』 週刊少年マガジン(‘72~73年) 60年代、貸本劇画、、ガロ、COMなどマニア誌と青年劇画誌の表現革新と「マンガ革命」的状況→少年誌の青年化・過激化を象徴する1作品

●関連略年表

‘59 少年週刊誌創刊 貸本作家による「劇画工房」発足 白土『忍者武芸帳』1巻刊行

‘64 「平凡パンチ」、青林堂「月刊漫画ガロ」創刊 ヴェトナム戦争(トンキン湾事件)

‘67 虫プロ商事「COM」、「週刊漫画アクション」「ヤングコミック」創刊

‘68 『あしたのジョー』(少年マガジン)連載開始 ガロ増刊『つげ義春特集』刊行 小学館「ビッグコミック」創刊  全共闘運動 公害問題

‘70 『銭ゲバ』(サンデー)、『子連れ狼』(アクション)など連載開始  赤軍ハイジャック 三島由紀夫自刃

‘72 『同棲時代』、『ベルサイユのばら』、永井豪『デビルマン』連載開始  浅間山荘銃撃戦

永井豪『デビルマン』(72~73年)は、まさに「性と暴力」の主題によって、少年マンガの背骨だった「自明な正義と悪」を転倒させるにいたった。/『デビルマン』の、それまでは考えられなかった大きなコマ。たたきつけるようなペンタッチの残酷場面[図4]。断ち切り1頁大の象徴的画面。大画面の叫び[図5]の連続・・・・。頁単位のコマ数を劇的に減らしたこれらの手法は、感覚的にはハードロックのアンプによる大音量と同じ効果をもたらす表現だった。前掲 夏目『マンガに人生・・・・』 54p

[図4][図5]図1~2 『デビルマン』5巻 講談社 94年 155p 160~161p

図3 同上 138~139p 〈きさまらこそ悪魔だ!

●世界的に「人間不信」 の時代 近代「人間(中心)主義」への疑義(→エコロジーへ)

反戦、反公害運動、管理社会への反抗など、「戦争」をやめない人類への絶望

=対抗文化の「暴力」的な「問い」の提示 「暴(あば)く」こと→「問い」の先鋭化 「暴力」の時代

図4 同上 166~167p 悪魔人間=中間存在の確認

図5 同上 170~171p 美樹の首アップ 当時話題になった「残酷描写」

七〇年前後、先進諸国の青年たちをとらえた人間や文明に対する不信のなかで、最終戦争による破滅の描写は、より深くさし迫ったテンションをもち始めていた。[]この瞬間、少年マンガに先天的に内包されていた勧善懲悪的な正義と悪の構図が、負の感情のリアリティのなかでひっくりかえったのだ。夏目房之介『マンガと「戦争」』講談社 97年 105p

●あらゆるものへの疑義提起 白土的対抗する正義の暴力」肯定の「解体」

03)マンガにおける「暴力」の内面化と手塚

●手塚、白土 「異者の和解」と対抗の暴力~永井豪へ

いわばデビルマンは、媒介者であることに絶望したアトムだった。〉〈永井豪の変身や両性具有テーマは、あきらかに手塚・石ノ森の直系なのだが、ここにはそれと異質な何かがあった。乱暴ないいかただが、むしろそれは梶原一騎的な苛烈で個人的なたたかいによる、肉体の痛みからくる感情の説得力に近いかもしれない。夏目同上 106p 107p

白土的集団戦闘→個人闘争者へ 『あしたのジョー』『ゴルゴ13』『子連れ狼』『柔侠伝』など

図6 同上 211p カイムと合体したシレーヌ 価値転倒のための「醜」「怪」「負」への感情移入 →「解体」を主題とする思想の時代=「暴力」主題の内面化 →内的ファンタジーとして

(同時期に少女マンガの「文学化」「内面表現」へのダイブが進行)

●戦後マンガ史的な素描 手塚マンガの「傷つく身体」(大塚英志)→戦後マンガ起点仮説

「科学的なリアリズム」「記号的な身体性」「戦局を見る視点」「映画的な演出理論(映画的手法)」 →傷つかないはずの「記号的身体」が傷つき「死ぬ」=手塚「戦後」マンガ(大塚英志、大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』角川書店 2005年 52p)

図7 手塚治虫『幽霊男/勝利の日まで』朝日新聞社 1995年 226p 死なないはずの少年の死

図8 手塚治虫『地底国の怪人』(復刻版)不二書房 1948年 147p

戦前にまずディズニーを受容していった「戦前のまんが」の継承者の手塚がいて、次に戦時下に変容していった方法を身につけ、そして、それを食い破ってしまうような暴力や身体性を、おそらく戦争が終わる直前に、手塚は自分の内側に抱いてしまうわけです。[]この時期の手塚は思春期ですから、性とか暴力に対して過剰な反応をしてることは仕方ないのかもしれない。ただ、おそらく戦時下という極限的な状況が、自分の内側にある身体性を必要以上に発見せざるを得なくさせる面はあったはずです。[]死とかグロテスクなものに対して、あるフェティッシュな感情を抑えきれない。そういった暴力的な表現としての手塚まんがが、この時期に手塚の中に芽生えているわけです。/こうした暴力性が手塚の中にあったということは、戦後まんがの問題として、一つ押さえておかなくてはいけないものなんです。/つまり、この暴力性と身体性の発見にどう折り合いを付けていくのかという問題が、手塚の中で、おそらくは倫理性の問題として、この後出来上がっていくからです。同上 大塚『「ジャパニメーション」・・・・』 118~119p

●〈倫理性〉→「異者の和解」=戦争体験と戦後が生んだ重要な思想(夏目)

→伊藤剛 「キャラ」(キャラクターと区別された仮説概念)性(マンガの記号性、記号的身体性)の「隠蔽」によるマンガの近代の成立(リアリズム)

では、耳男の「死」によってもたらされたものとは何か。/それは「キャラ」の強度を覆い隠し、その「隠蔽」を抱え込むことによって「人格を持った身体の表象」として描くという制度だと考えられる。[]/またこれは同時に、狭義の「マンガのモダン」の起源でもある。伊藤剛『テヅカ イズ デッド』NTT出版 2005年 141p

●手塚の内面化=「傷つく身体」の「暴力性」が、ストーリーマンガの危機や冒険を手法的に保証し、やがて戦記マンガやバトル物へと展開し、読者の青年化と若者文化の時代の交錯の中で『デビルマン』のような「暴力」主題を生んだ? 戦時下、占領という制度「暴力」の下で、じつはマンガの「暴力」主題は潜在?

予定 (2)90年代と新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』 (3)21世紀と清水玲子『秘密』

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